努力の在り処
チュンチュンチュン。機嫌良さげに囀ずる小鳥たちの声を起床の鐘に、爽やかな朝が訪れる。
「……んぅ……?」
微睡みに満ちた朝の空気。浅い眠りの中、顔を小さなものにグイグイと圧迫されるような感触で目を覚ました。
「……なんだ……?」
寝惚け眼をゆっくりと瞼を開くと、真っ先に目に映ったのは小さな白い毛玉。もとい、仔犬のリク。
なぜかリクは、仰向けになって寝ていたらしいオレの顔の上に乗っている。そして、なんとも仔犬らしい無邪気な様子で、じゃれつく様にオレの顔を蹂躙していた。
「こら、くすぐったいだろ?」
オレは鉛になったように重い両の腕を動かし、リクを持ち上げることで、自分の腹部の上に移動させて顔から下ろす。それでもリクは変わらず無邪気に尻尾を振っている。
「おはよう、リク」
腹部の上から、円らな瞳を向けてくるリクに朝の挨拶をした。
すると、
「おはようございます」
返ってくる可憐な声での返事。正直、これは完全に不意打ちであった。一方通行的な挨拶になるであろう挨拶に対し、返事が返ってきたのだ。これで驚かない方が難しかった。
オレはリクを真っ直ぐに見つめて言った。
「お、お前、女の子っぽい声で喋れたのか……?」
「女の子っぽいとは失礼ですね。正真正銘の女の子ですよ。貴方の目は節穴ですか」
「……そうか。それならもっと早く教えてくれれば良かったのに」
「普通は言わなくても分かると思います」
「あえて言葉にしなきゃ分からないことも沢山あるんだ。覚えておくといい」
「ずいぶんと意味深な教訓ですね。覚えておきましょう」
彼女はオレの言葉に納得したように頷いた。
だが、それはそれ。まだ他に気になる点がある。それを訊きたい。頷く姿を確認してからオレは疑問を漏らした。
「それでなんでお前がここに居るんだ?」
「庭を散歩してたら偶然ここに辿り着いたんです。そしたら、東雲さんが倒れてたので焦りましたよ」
彼女の言葉によれば、どうやらオレは久しぶりの剣舞のせいか、途中でぶっ倒れていたようだ。それでそのまま寝落ちしていたらしい。
たかが一晩、全力で鍛練しただけでこれとは情けない。動きだけなら未だしも、短期で体力的な側面ではかなり衰えていることが分かった瞬間だった。
「そうか、驚かせて悪かった。それと東雲さんってのは少し他人行儀だな。せっかくだから恭弥でいいぞ。普通の友達みたいな感覚でさ」
「……それは私に向けて言ってると解釈して良いんですよね? 先程から貴方はリクへ語りかけている様子で私と会話してましたが」
「ん、あぁ、そのつもりだけど?」
オレは視線を腹上に居るリクから、割りと近くに居た村雨へと横に移動させる。普通に考えれば当たり前なのだが、さっきから会話していたのはリクではなく、近くに居た村雨だったのだ。
「おはよう、村雨」
「はい、おはようございます、東雲さん」
改めて朝の挨拶をすれば、丁寧な口調で挨拶をしてくる律儀な村雨。そんな彼女に向けて言った。
「だから別にオレのことは恭弥でいいって」
「それなら、これからは私のことも那月と呼んで下さい。一方的なのは嫌なので」
「了解だ」
相も変わらぬクールな物言い。
なんだか、これだけのことなのに地味に格好いい。なんて女の子には失礼な感想を抱きながら、少しだけ身体を起こす。道場の小窓から外の風景を見やれば、もうすでに朝日が昇っていた。
「それで、貴方こそなんでここに居たんですか?」
「んー、ちょっくら剣術の鍛練してたんだ」
「……鍛練ですか、手がそんなになるまでの?」
オレは村雨―――いや、那月にその事を指摘されて自身の手を見つめてみる。そこで初めて気が付くことが幾つかあった。
オレが鍛練で握っていたであろう刀にはべったりと血が付いており、手は擦りきれて血だらけになっている。それに結構な量の血が流れていたらしく、床にも血痕が散り散り。
もしもこの状況下でオレの心臓が動いておらず、那月が来ても起きなかった場合は、間違いなく救急車と警察を呼ばれていたところである。
……いや、心停止してたら普通に呼ばれるか。
まぁ、なんにせよ、少なくともその血が固まっていたのは幸いだったといえよう。
「悪い、リク。オレのせいで汚れてないか?」
オレの腹部に乗っかっているリクに訊ねた。
すると、気にするなとばかりに「わんっ」と鳴いて返してくれる。新雪を連想させる純白の毛には、見たところは血がついていたりはしなかった。
そのことに安心していると、那月がポツリと呟いた。
「自分よりもリクの心配ですか……」
その言葉には若干の呆れのニュアンスが含まれており、それを証明するかのようにため息まで吐いていた。大変に遺憾である。
オレは彼女に反論した。
「そんなこと当たり前だろ。自分よりも友達の方が大切なんだから」
「おかしな人ですね」
本心を述べていただけに、その言葉には少し傷付いた。ふん、どうせオレはおかしな奴だよ。どうとでも言いやがれ。
オレが僅かながらも拗ねていると、これでは埒が明かないとばかりに那月が口を開く。
「手当てをしますので、一度家に戻りましょう」
「いや、いいって。こんなことで那月の手を煩わせるつもりはないから。このくらい自分でも出来るしな」
あくまでも迷惑をかけるつもりはないと否定するも、那月はそれを是としないようだ。
「友達は大切なんでしょう? それなら私が貴方を大切にしてもおかしくはないと思いますが?」
さっきオレが言った台詞を使うのは卑怯だと思う。もしオレが那月の申し出を拒めば、自分が言ったことを自分で否定することになってしまう。それを見越して那月は言っているのだ。
昨日といい、今日といい、人の発した言葉を返してくるところ、彼女は意外と意地が悪いのかもしれない。
「……分かったよ。オレの敗けだ。手当てしてもらえるか?」
「最初からそうしてればいいんです」
那月はくるっと踵を返して、道場の出口へ向かう。
オレは慌ててその背中をを呼び止めた。
「あっちに帰る必要は無いぞ。そこの鞄に全部入ってるから」
オレはリクに一言断って、腹上から退いてもらって立ち上がり、道場の隅に置いていた自分の鞄を漁る。その鞄の中からコンビニの袋を取り出して、事前に購入しておいた中身を開帳していく。
「スポーツドリンクに携帯食、消毒液、脱脂綿、絆創膏、包帯ですか。最初からこうなる前提で道場に居るつもりでしたね?」
「それが普通だろ? 鍛練には怪我は付き物なんだしな」
「……普通じゃありませんよ。貴方はこれまでどんな鍛練をしてたんですか……」
そう言われ、改めて昔に師匠から課されていた鍛練内容を思い出していく。その後、一拍の間のもと、記憶から引きずり出したものを言葉へと変換していった。
「確か、アップにランニング三十キロほどを走ってから、腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワットを百回×十セット。それが終わったら素振り。大きな岩を刀で一刀両断。真剣の立ち合いをして、えーと、それから――――」
つらつらと挙げ連なるメニューの数々。聞いていた那月はそれを途中で遮り、大きなため息を吐いたのだった。
「もう結構です。本当にどんな日々を送ってたんですか貴方は……」
「山籠りだけど?」
オレの答えに那月は頭を痛そうに抱えた。
「どうしたんだ?」
奇怪な行動に不思議に思って訊ねたところ、
「貴方が馬鹿なことがよく分かりました」
などと失礼なことを言ってきた。大体馬鹿なのはオレじゃない。そのメニューを用意した師匠だ。
それに、憧れの剣聖二人を馬鹿だと自分が言っていることを知ったら、那月はどんな顔をするのだろうか。ちょっぴり気になったりもする。
だが、それよりも―――
「仕方ないじゃねぇか。オレには才能なんて都合がいいものはまったく無いからな。だから、無茶苦茶だろうが、馬鹿みたいだろうが、これくらいしないと全然足りないんだ」
と、ガシガシと頭を掻きながらなげやりに告げる。
それに対し、
「それは貴方に負けた私も才能が無いと、遠回しに言ってるんですか?」
ムッとした表情で詰め寄ってくる那月に、オレは「違う違う」と手を振る。彼女は意外にも自尊心が強いようだった。
「オレは魔力以外の才能が無いから天月に捨てられた。それはお前も知ってるだろ?」
那月は言葉には出さなかったが、一つ頷くことで肯定した。オレはそれを確認して、話を続けた。
「んで、オレを拾ってくれた人に言われたんだ。オレの授かった才能は膨大な魔力なんかじゃないって。あるのは別の才能だってな」
「では何の才能だと言われたんですか?」
「誰よりもたくさん努力して、誰よりも前に進める。そんな才能だってさ」
途端に那月はポカンと呆けた表情になった。
まぁ、確かにそうなるよな。どんな才能かと期待してみれば、あっさりと努力と言い切られる。誰もが口にするような一般にありふれた言葉で返され、呆然としない方がおかしい。
実際にオレも姉さんの口から初めて聞いた時には、那月と全く同じ反応だった。だからこの反応も納得できる。
オレは彼女の二度目のレアな表情を見ながら続けた。
「何も無いんなら、諦めずに努力して掴みとればいいんだ。零から一、一から二。たったそれだけで人間は変われるらしいぞ?」
オレはそうやってここまで登ってきた。全てはゼロからのスタートなのだ。だからここまま登っていく。それだけのことである。
「それで沢山のモノを集めれば、それだけ自分も進歩する。実際に昨日の試合も剣術以外に、古武術、投擲術、スポーツ医学、心理学とか色々な要素を織り込んでたんだ」
自分で学んだことを、日々挫折しながらも、試行錯誤してやってきた。そして手に入れた分だけ世界が変わっていく。オレはそれを教えてもらった。
「まぁ、簡潔に言っちまえば、生徒会室でも言ったように、努力に勝る裏技は無いってことだな。だからオレは例え馬鹿みたいでも、自分に出来るだけの努力を怠らないってわけだ」
オレの言を聞いた那月は反応を一つ。
「貴方は私と同じ年だと思えませんね」
そう言って苦笑いをしたのだった。




