白い毛玉
そんなこんなで。
三人でささやかな会話を楽しみながら村雨邸の廊下を進んだ。
「じゃあ、シロちゃんはここで待っててね」
長い廊下を歩いた末に着いた、かなり広い居間にオレを通し、村雨先輩はトテテと足音をさせながら部屋を出て行く。
おそらくキッチンに向かったのだろう。
村雨先輩とは違い、共に居間に残った村雨にオレは素朴な疑問をぶつけてみた。
「村雨は料理とかしないのか?」
「いえ、しませんよ。残念ながら私は料理が出来ないんです」
返ってくる答え。それは少し意外なものであった。
「へぇ、そうなのか、意外だな。村雨ならそつなくこなしそうなのにな」
「貴方の言葉を借りるのなら、人は見かけによらないって事ですよ。意外性があってこその人間ですから」
先、オレが道場で言った台詞をそのまんま返されてしまった。
自分の言葉がブーメランの如く返ってきたことにバツが悪くなり、人差し指で頬をポリポリと掻いていると、視界の端に白い毛玉が映りこんだ。
あれは何だろう?
そう思って凝視していると、その毛玉はモゾモゾと動き出した。縦にコロコロ、横にコロコロ、果てには上にジャンプ。真っ黒クロスケならぬ、真っ白シロスケがそこにはいた。
「む、村雨……何だあれ……?」
わずかに動揺しつつも、動いている白い毛玉を指差す。
その指が差している先を追った村雨は、
「そこに居たんですね」
彼女は小さく呟くと、いつもより幾分か優しい声音で口を開いた。
「おいで、リク」
毛玉はピクッと反応してこちらに向き直る。
白い毛皮に包まれた小さな体躯に、全てを魅了しような愛らしい円らな瞳。そこには可愛らしい仔犬の姿があった。
しかし、白い仔犬――もといリクはひどく怯えている様子で、その場から一歩たりとも動こうとしなかった。
「やはり、まだ懐いてくれませんか……」
そんなリクの姿を見て、村雨は残念そうに肩を落としていた。
「いつから飼ってるんだ?」
「少し前に捨てられてるのを見つけたので、私が拾いました」
捨てられていた。たったそれだけの短なその言葉に、自分の心が揺れるのが分かった。
だからなのだろうか。
「……そうか」
オレは短くそう返してから、リクの方へと近付いていく。いきなりゼロ距離までは行かないが、あと一歩でも進めば手の届く距離まで近付いた。
するとリクはビクッと震え、小さな体躯を更に縮こまらせてしまった。その理由もオレには分かってしまう。
オレは出来るだけリクに目線を合わせるように、腰を屈めて片膝をついた。
「オレの名前は東雲恭弥だ。よろしくな、リク」
語りかけるかのような口調で話す。
オレの言葉が微かでも伝わっているのか、不安を帯びた瞳で見上げてくるリク。そんな不安気なリクにオレは笑いかけながら言った。
「オレと友達にならないか?」
オレはスッとリクの方へ手を伸ばす。
リクは一瞬、ビクッっとするものの、恐る恐るといった様子でこちらを見据えている。オレは再度笑いかけた。
「大丈夫、怖がらなくていい。オレはお前の味方だ。お前を絶対に否定しない」
こちらからはもうこれ以上の接近しない。
あくまであちらから近付いてくれるのを待つ。伝わっているかどうかも分からないオレの言葉を信じてくれるのを待つ。そうするしかなかった。
しばらくして。
決死の覚悟のようにそろりそろりと。ゆっくりと歩を進め始めたリクは、ようやくオレの手が届く距離まで歩いてきた。
あともう一歩。
「オレはお前の味方だよ」
もう一度そう言った。
するとリクは、クンクンと差し出した手の匂いを嗅いだ後、ちょこんと小さな前足を乗せる。差し伸べた手を信じるように、そっとそっと乗せてくれた。
その出来事に思わず押さえきれない喜びを感じ、笑みがこぼれてしまう。
「そうか、友達になってくれるのか。ありがとな、リク」
乗せられた前足を軽く握り、僅かに上下に動かしてシェークハンド。リクも嫌そうな素振りは見せなかった。
安心したオレは、リクの小さな身体を優しく抱き上げる。
リクは「わん」と鳴き、真っ白な小さな尻尾をパタパタと振りだした。それはなんとなく喜んでくれているようにも感じられて、思わず頬が緩んでしまう。
「ん、オレも嬉しいぞ。これから仲良くしような」
リクは「わんわんっ」と、小さな尻尾をより一層激しく振っていた。
「わかったわかった。今から一緒に遊ぼうか。でも、夕食までだぞ?」
リクは嬉しそうに「わんっ」と一鳴き。
オレはリクを抱えたまま、村雨の方に向き直り、彼女に訊ねた。
「なぁ、リクのオモチャとかってあるか?」
しかし、村雨は目を丸くして固まっているだけで、まったく反応してくれなかった。いつも冷静そうな彼女が、こんな呆けた顔をしているのはおそらくレアだろう。写真にでも撮っておいたら面白そうだ。
「どうしたんだよ? 宇宙人でも見つけたような顔して」
「あ、貴方はこの子の言葉が分かるんですか……?」
あり得ない。その心情がありありと伝わってくる表情を村雨は浮かべていた。
「残念ながら、オレには不思議っ子の属性はないぞ?」
「ですが、今、リクと会話して……」
あぁ、そういうことか。
村雨は、オレがリクと会話していたと思ったらしい。だから珍しく呆けた表情をしていたわけだ。
「オレにはこいつの気持ちがよく分かるからな」
「気持ち、ですか……?」
キョトンと首を傾げる村雨。
そんな彼女にオレは言葉にて内容を肉付けしていく。
「あぁ。こいつは心細かったんだよ。捨てられて、誰にも甘えられなくて。だからずっと怯えてたんだ。仲良くしようとするんなら、まずはきちんと居場所を作って安心させてやらないとダメだぞ?」
オレも無能を理由に一度捨てられたことがある。その時は姉さんのお陰で安心できた。だからこそ、単純にこいつにもそういう人が、そして居場所が必要なのだ。
オレの言を静かに聞く村雨は、神妙な顔つきになっていた。
「……貴方もそうだったんですか?」
その質問には虚をつかれた気分になる。まさかリクに関することならばまだしも、オレに対する返しが来るとは思ってもみなかった。
「どうだろうな。あまり昔のことは覚えてないんだ」
オレはあえて質問に答えず、曖昧に笑って誤魔化した。それから村雨の目を見て、静かに語る。
「今のオレにはさ、居場所があるんだ。すごく温かくて心地いい居場所だ。それがこいつにはない。だから、村雨が居場所になってやってくれ」
そう言って抱えたリクを差し出した。不安そうに見上げてくるリクに、オレは優しく諭すように教える。
「お前を拾ってくれたのは―――救ってくれたのはオレじゃない。目の前に居る村雨だ。こいつがお前の新しい居場所になってくれる。お前を守ってくれる。だから、お前は安心していいんだ。村雨は絶対にお前を裏切ったりなんかしない。安心して甘えればいいんだ」
そう繰り返しながら、村雨の腕の中へとリクを誘う。
「ほら、村雨」
差し出されたリクを、壊れ物を扱うかのように緊張をはらんだ表情で腕の中に抱く村雨。
暴れることなく腕の中に収まるリクに訊ねた。
「な、もう怖くないだろ?」
リクは返事をするように「くぅん」と小さく鳴いた。そこからはすでに怯えの色は消えていた。あるのは『自分の居場所』に居るという安心感だけである。
「ここがお前の新しい居場所だぞ。絶対に忘れるなよ?」
そう優しく声をかける。が、すでにオレの言葉が届いているかどうかも怪しくなってきていた。先ほどまで快活だったリクは早くも安心しきった顔で、瞼を閉じてしまっている。
これまでリクにとっては知らない場所で、どうすればいいかも分からなかったはずだ。だから怯えていた。でもようやく自分の居場所ができた。そのせいで緊張の糸が切れたのだろう。
「……これでもう大丈夫そうだな」
多分もうリクは怯えなくて済むはずだ。これからは安心して過ごしていけると思う。なんせ、こんなにも優しそうなご主人様が側に居るのだから。
「はい。もう寝てしまっていますね」
小さく寝息を立て始める様子を眺めながら村雨は優しい笑みを見せ、眠るリクの頭をそっと撫でている。
オレが呼吸することすら忘れて静かに彼女たちを見ていると、
「どうしたんですか?」
こちらを見る彼女はいつもの表情に戻ってしまっていた。
ずっとその笑みを見ていたいと感じただけに、ひどく残念だった。彼女の笑みはそのくらい魅力的だったのだ。
「せっかく笑顔が似合うんだから、もっと笑えばいいのにって思ってな」
言葉の後に続く、静寂という名の空白。
……言ってから軽く後悔した。本心だとはいえ、なに面と向かって恥ずかしいことを言ってんだか。自分のことながらなら軽く引く。
白い目で見られてるだろうな、と思いながら村雨の様子を探るも、想像していた反応は見せなかった。それどころか意外な言葉が飛び出す。
「それなら貴方が笑わせてくれればいいじゃないですか」
思いがけない彼女の言葉に、なんだか肩透かし感を感じた。
そういった言葉をかけられるくらいには、村雨と仲良くなれたということでいいのだろうか。だとしたらこちらとしても嬉しい。
「それじゃさっそく笑わせてやろう」
オレはゆっくりと村雨に近付いていく。
「……なんで手をワキワキしながら近付いて来るんですか。あと表情がいやらしいです」
「なに、手っ取り早く物理的に笑わせてやろうかと」
すると、何の感情も含まれていない完全な無表情で一言。
「通報しますよ」
うわぁ、すげえリアルな脅しだ。
セクハラで逮捕される、世界最強に君臨している三ツ首ノ猟犬のリーダー。それはさぞかし愉快で珍妙な構図になることだろう。
間違いなく全米が泣くに違いない。もちろん、その前にオレが泣くけどな。って言うか村雨なら本当に通報しかねん。
「冗談だ」
まっぴらそのような気は無いですよ、とばかりに手をヒラヒラと振ってアピール。
「当たり前です」
村雨は憮然とした顔でそう言った後、リクをクッションの上に寝かせ、タオルケットをかけてやっていた。その顔には再び優しげな笑みが表れており、まるでリクのお母さんみたいだ。
やはり彼女にはクールな表情よりも、こういう表情が似合うと思う。少しだけ見惚れていたところ、
「おまたせーっ!」
ちょうどいいタイミングで、台風のごとき人が帰還してきたのだった。




