深夜、二人
本日の二話目です(*^^*)
長い長い夜が更けて、とうとう日を跨ぐ。
時刻は0時ジャスト。場所は東雲邸の一室。
そこにあるのは机と椅子が一対、箪笥が一竿、ベットが一台だけ。本棚やテレビといった調度品は見当たらない。誰が見ても殺風景だと感じるであろう内装であった。
しかし、目を疑う異様な光景が一つだけ。
それは机上にところ狭しと並べられた、数えるのも億劫になりそうなほどの膨大な書類の数々。
だからなのだろうか。そこだけ陰鬱とされるような空気に包まれているように感じられた。
「はぁ、まだ終わんねぇ……。結局、こっちでもあっちでもやることは同じってか?」
オレはそう愚痴めいた一人言を呟く。
思い返してみれば、気分を取り直す程度に休憩をはさみつつはあるが、帰宅してからずっとこの書類整理にかかりっきりであった。
更に言うなら、帰宅してからはこの部屋から一歩も出ていない。いわゆる一種の缶詰状態。
でもその甲斐あってか、残りは三分の一程度まで減っていた。
自分一人でなければこの作業も既に終わっていたんだろうな、と考えるも、その思考を首を振ることで頭の中から追い出した。
なぜなら、同居人からも「一人じゃ大変そうだし、手伝おうか?」と言われたが断ったからだ。
舞華も凛姉も学校での作業で多少なりとも疲れているに違いない。故に手を貸してもらうことに躊躇いを覚えていた。
それに、何よりも。
「自分のために手伝え……なんて言えるわけ無いしな」
本来、この書類整理の仕事は急いでやるべき仕事ではないとのことだ。放課後の空き時間を使って、生徒会メンバー全員で取り組むべきものらしい。
その作業をなぜオレが一人だけで行っているのか。
それは明らかな愚問だといえる。
理由は単純にオレのわがまま。自分がしたいことをするには邪魔だったため、早々に片を着けることを決心した。たったそれだけのことだ。
「ま、自業自得ってな」
そう思考に見切りをつけ、黙々と作業を続けていたときだった。
後方にてガチャリと扉が開く。
「恭弥、まだ起きているの?」
ノックもなしに部屋の扉が開かれ、そのような言葉が投げかけられる。
オレは声の方へ振り向いた。そこには、寝巻きまでもが紅蓮の色を纏った少女、我が姉こと凛姉が腕を組んで立っていた。
「なんだ、凛姉もまだ起きてたのか。明日も学校だし、もう日を跨いでるんだから早く寝ないと駄目だろ? 身体に悪いぞ」
オレは彼女にそうたしなめる。
「そう言う恭弥こそ寝てないじゃない」
ごもっともな指摘である。
「ねぇ、貴方は帰ってきてからずっとその作業をしてたの? 帰ってきてから、一度も部屋から出てきてなかったようだけれど」
「そうだけど、それがどうかしたのか」
「案の定、そうだとは思っていたけれどやっぱりね。ということは夕食も食べていないってことじゃない。きちんと食事は摂らないといけないわよ」
おそらく彼女たちは実家なり外食なりで食べてきたのだろう。オレが夕食を作らなかった以上、それしか選択肢もない。
「もしかして何も食べてないオレのために夜食でも作ってくれたとか? ……いや、その期待は意味無いか。凛姉、料理が出来ないもんな。今時、料理が出来ない女の子なんて少ないのにな。はぁ、凛姉にはガッカリだ。料理の腕を磨いてから、出直してきてくれ」
オレはやれやれと嘆息した。
「……燃やすわよ」
一言で一蹴に伏されてしまったようだ。
「ちょっとした冗談だ。本気にしないでくれよ」
「まったく、恭弥には言ってもいい冗談と、言っては駄目な冗談もわからないのかしら?」
凛姉は眉をひそめ、オレを睨む……が。
それから急に激しくかぶりを振り出した。その突然の奇異な行動に目を瞬かせるも、オレは動ずることなく努めて平静を装う。
「なんで一人でヘッドバンキングなんかしてるんだ? 密かなマイブームなのか?」
ヘッドバンギングとは、主にロック、ヘヴィメタルにて見られる動作の一つのことだ。リズムに合わせて、頭を激しく振る動作である 。
そのような知識は有しているが、見ている側としては突然そのような動作をとられるとどうしていいのか分からなくなる。
「違うわよ、違うのよっ! ……あぁ、もう、なんで直ぐに言えないのよ、私は!」
今度は突如、やけくそ気味に叫び出す。
……どうやら最早、末期なようだ。今、目に映り込む情報がそれを明示していた。
オレは彼女に近付き、落ち着かせるように肩に手を置く。それから気遣う声音で話しかけた。
「海外だけど、いい病院知ってるから紹介しようか?」
言っとくがオレは後悔していない。姉がおかしくなっていれば、健気に気遣う。それが弟心というものだ。
その結果、例え、それでどんな被害を被ろうとも。
「馬鹿にしているのっ!?」
「へぶっ!?」
結果として、鼻っ柱に一発もらった。
もちろん握り拳のグーだ。冗談抜きにマジで痛い。暴力反対。あと鼻骨が折れてないか甚だ心配である。
「……ふみまへんへしは。はにをひほうほひへはんへふは?」
すみませんでした。何を言おうとしてたんですか?
そう言ったつもりだ。正直、今は喋ることもつらい。
だが、見事な一発をおみまいしてくれた当の本人は勝手に話を進めようとしていた。
「もう面倒だから単刀直入に言うわ。私にも手伝わせなさい」
ストレスを発散したおかげか、大分落ち着いたトーンになっている。どうやら犠牲はオレの鼻骨だけで済んだらしい。
「はひほ?」
「恭弥がやっているその作業に決まってるでしょう。少なくとも生徒会室でやったときよりも量が多いのに、一人でやろうとしてる方がおかしいわ」
どうりで終わらないわけだ。単純に考えても、五倍。
ならず、それ以上あるのならば、時間をかけてもなかなか終わらないとしても頷ける。
「………………」
「貴方がなんと言おうが、私は手伝うつもりよ。だから、断ろうとするのは諦めなさい」
オレの沈黙を否定だと読んだのか、そのようなことを言ってくる。沈黙してたのは、ただ鼻がまだ痛かったからである。
そうとは知らぬ彼女は、言うなり書類を手に作業を始めてしまっていた。
本当に彼女には敵わないようだ。オレは一つだけ悪い意味でないため息をつき、彼女の隣で再び作業に取りかかった。
何気に、これが再開して以来の姉弟の共同作業だ。なんて、妙な感慨に耽りながらも作業を開始して間もなく。
一つの質問が投げかけられた。
「恭弥は、さ。天月を離れてから、どこで何をしてたの?」
問われる問い。
答え難き答え。
聞かれれば、こう答えるしかない。
「Does getting to know have a meaning?(それを聞くことに意味はあるのか?)」
「Of course.It is meaningful.(もちろんよ。意味はあるわ)」
淀むことなく返ってくる返答に目を丸くした。
簡潔な英会話。大抵の人物ならば簡単とはいえ、唐突に言語を変えるだけで話を逸らせるのだが、どうやら誤魔化しは通用しないみたいだ。
「流石、凛姉。英語まで達者だな」
「貴方ほどではないわ。では改めて聞くわね。今まで、どこで何をしていたの?」
二度目の同じ問い。
オレは根本からの事象を誤魔化すことを諦め、部分的な事象を曖昧に簿かすことにした。
「んー、バイトだよ、バイト。アメリカでな」
英語では誤魔化せないようなので曖昧に伝える。
さすがに魔法警察官ことマジックポリス。
更には世界最強の独立部隊、三ツ首ノ猟犬のトップだとは口が裂けても言えなかった。
曖昧な表現に違和感を持つより早く、アメリカに在住していた下りに興味を持ったらしい。凛姉は納得顔でしきりに頷いていた。
「へぇ、だから英語が堪能なのね。学校は通ってなかったの?」
「ま、働くことで手一杯だったからな。行くヒマもなかったし、行く気もなかった」
会話を挟みつつ、作業を続けた。
それからものの一時間ほどで、大量の書類の山は掃けていく。あれよあれよという間の出来事。一人でやっていたのが馬鹿らしいと思えるくらいの効率で片付いた。
「やっと終わったー」
ぐっ、と身体を伸ばしたあと机元を離れ、オレはベットに向かってダイブする。
柔らかい質感がこの身を包み込む。
くつろいだ分、どっと疲れが押し寄せた気がする。
時刻は一時を回ったころ。一人でも増えると仕事能率は格段に向上した。やるべき作業も終わり、あとは寝るだけ。
オレは身体を起こし、もう一人へと声をかけようとした。
しかし、視線を向けた先からは、彼女の姿は忽然と消えていた。
すると、
「うわっ、凛姉!?」
不意に肩に感じる感覚に驚き、声をあげる。
いつの間にか凛姉がオレの背にまわり、肩をもみはじめてくれていたのだった。
「い、いきなりなんだよ、びっくりするだろ……」
「ふふっ、どうですか、お客様? 当店自慢のマッサージの味は?」
茶目っ気のまじった微笑みでの細やかな冗談。
その言葉に疲れていた心身が癒されるようだった。
オレもつられ、笑いながらそれに冗談で返す。
「ん、そうだな。疲れた時には一家に一人欲しい腕前だ。使う用と鑑賞用、保存用に三人分買おうかな。おいくらですかな、店長殿?」
彼女の華奢な指先は決して力強いわけではないが、凝っている箇所を余すことなくほぐしてくれる。本当に肩が軽くなっていくようだ。
「当店ではお一人様につき、一人限りとなっております。なので、私で満足いただけるようにも、もっと頑張りましょう」
肩から今度は腕へ向かう。
上腕から下へとほぐすように彼女の手は動いていく。
だけども。
「んー、それは残念だな。じゃあ、もう一人店員を増やそうか」
「えっ……?」
「それでは一名様ご案内」
彼女が小さく声をあげた頃にはもう遅かった。
くるりと立ち位置が百八十度変わり、凛姉がオレに背を向ける姿勢になっていた。
「それでは当店自慢のスペシャルコースをご堪能下さい、お嬢様」
オレは凛姉にベットの上でうつ伏せになるように促し、彼女の腰に手をやった。
目だけではなく、触って実感する腰の細さ。それにも関わらず、綺麗な曲線を描く身体。そう在ることで異性の差を否応なしに感じさせられた。
そういった感想を抱きながらまず始めに、肘、肩、背中、腰の順でゆっくりじっくりと手のひらを押し付けるようにしてさすっていった。
そうすることで手の摩擦によって血行がよくなり、身体から力が抜けて筋肉が緩む。そのため神経の緊張がほぐれ、心が落ちつく効果がある――と本で読んだのを記憶の引出しから引っ張り出し、記憶に沿って実践していく。
「力の加減はこれくらいで大丈夫か? 痛かったり、力が弱かったら、遠慮なく言ってくれよ」
そこから肩甲骨の下あたりから手のひらで垂直に押圧ししていく。
「……んっ、これくらいが気持ちいいわ……」
力加減のほどを聞いたあとは、順繰りにしてから、更に次の段階。肩甲骨の下の出っ張り部分に片手を添え、一方の手を肩甲骨と反対側の腰骨に当て、背中から腰にかけての筋肉を斜めに伸ばしていく。
もちろん反対側も忘れずにやっておく。
「そっか、それはなによりだ。それにしても随分と凝ってるな。凛姉って何か習い事とかしてるのか?」
口を動かしながら手も休めない。
片手を肩に置いて支えとし、肩甲骨の下から腰にかけて、手のひらの付け根で外側に向って押していく。
その感触が催すのは穏やかな快感。
それを感じている当の本人は、熱を帯びた吐息をもらしていた。
「……っ、え、えぇ。この前までは……っ、華道と茶道、っ……、あとピアノのレッスンを……受けて、いたの」
「この前までってことは、今はもう受けてないのか?」
「そうね、っ、どれも、十分に修め……たからっ、もう習わなくて、いいってお父様が……」
そこまで言って、凛姉はしまった、と言いたげな焦った表情を浮かべ、身体を震わせる。
ここまで来ても、天月の名はオレの日常を阻害する一因となるみたいだ。
あの家があるからこそ、凛姉はオレのことで一々気を痛める。いっそのこと、今からでも存在そのものを抹消してやりたい衝動に駆られるが、彼女の本来帰るべき家でもあることには違いない。
可能な選択肢と不可能な選択肢。
選んでいい選択肢とそうでない選択肢。
選択肢を選ぶ時と選ばない時。
少なくともその分別はつけなくてはならない。
「こらこら、マッサージの途中であまり動かないでくれ。オレは気にしてないから」
「で、でも……」
まだ言葉を続けようとする凛姉。オレは動かしていた手を一度離し、今度は背骨に沿ってツボを刺激していく。
「……まっ、んっ……きょ、恭弥ぁ、そこ、はっ……」
「ここが気持ちいいのか?」
「だ、だめっ、声が……我慢でき……っ」
「別に我慢しなくていいよ。どうせこの部屋にはオレたち二人だけしか居ないんだ。ちょっと大きな声くらいなら問題ないぞ」
「……そ、そうっ……じゃ、なく、ふぁ、んっ……」
マッサージの効果か、心なしか凛姉からもれる声は甘い響きを持っていた。少しだけ胸の鼓動が高鳴ることを自覚するも、努めて顔に出さず、無心に手を動かしていった。
丹念に動く手は上から下におりていき、しばらくして活動を止める。
「これで終わりっと。本当は風呂上がりに全身をマッサージするのが一番効果があっていいんだけどな。今度やろうか?」
「……ん、はぁ、はぁ……」
マッサージ終わり間もなくは息も絶え絶えだったが、深呼吸するようにして息を整えているようだった。
数分後。
いつもの息遣いに戻ったあと凛姉は言った。
「……遠慮させてもらうわ。これ以上のことされたら、おかしくなっちゃいそうだもの。……それに恭弥はドSみたいだし」
ボソリと最後に小さな声でそう付け足す。
「小さい声で言ってるけど、バッチリ聞こえてるからな。一応言っとくが、オレはドSじゃないぞ」
不名誉な呼び名は否定させてもらう。
「じゃあ、『踏んで下さい!』とか言って詰め寄ってくるおかしな人が目の前に居たら、貴方はどうするの?」
オレは迷わずに即答してみせた。
「躊躇いなく踏み潰してから簀巻きにしたあと、最寄りのゴミ捨て場に放置する。そんで警察に不審者に襲われたって通報するな」
「完全に加害者側じゃない。その回答でよく自分はドSじゃないなんて言えたわね」
呆れた、とばかりにジトッとした視線を向けられる。
うん、月見里先生の時もそうだったが、美人寄りの人物にジト目を向けられると何かに目覚めそうだからやめて欲しい。
「冗談だよ冗談。もし本当にそんなやつに会ったとしたら、首の位置まで土に埋めてから、腹の空いてそうな野良犬をけしかけるくらいだから」
「何が冗談よ、むしろ悪化してるじゃない!?」
それは凛姉の気のせいだ。
「いや、やっぱり、そいつの個人情報を調べあげて、顔写真込みでネットに情報を晒すのもありだな。そうすれば万事解決だ」
「一言だけで社会的抹殺なの!?」
「でも、どう考えても、今後を踏まえてその場で消しとくのが一番だよな」
「最終的には物理的な抹殺!?」
刹那ごとの的確なツッコミ。
荒く息をつく凛姉を前に、極めて真剣な思考をしていると同様な趣でオレは首を傾げた。
「凛姉、なんだか疲れてそうだから、またマッサージするか?」
「疲れてるのは恭弥のせいじゃないっ!」
「オレのせいじゃない? あれ? オレがボケてたせいで疲れたんじゃなかったのか?」
「わざと都合がいい意味で捉えてるわよね、それ!?」
もう残念なくらいに振り乱す凛姉。
最早、自分のキャラを見失っている彼女に思わず反省せずにはいられない。
「ところで、凛姉」
「……なによ」
オレは今日一番の真剣な表情で言い放った。
「『ところで』と『ところてん』って若干響きが似てて、惜しい気がしないか?」
「心底どうでもいいわよっ!」
ナイスなツッコミいただきました。ごちそうさまです。
と、まぁ、閑話休題。
「……作業も終わったし、そろそろ自分の部屋に戻るわ」
そう言い残し、立ち上がる凛姉。
「ん、サンキューな。おかげで助かったよ」
「ねぇ、恭弥、最後に一つだけ訊かせてもらえないかしら?」
「オレに答えられることならな。一応言っておくが、恋人は募集してないぞ。オレには心に決めた奴が居るからな」
「あらそう」
駄目だ。早くも耐性がついてきたらしい。あっさりと流されてしまった。
凛姉はそれから一つ間を置き、言った。
「なんで貴方はそんなにも焦っているの?」
その言葉はどうしようもないほどに闇夜に響いたのだった。




