感情と思考
「よく言うわ。じゃあ、恭弥のお姉さん……あぁ、凛ちゃんの方ね。あなたは彼女を利用するつもりなんでしょ?」
ため息とともに告げられた言葉。
それは何よりも残酷な響きを有していた。
「神域の件以外の出来事は、全部そのための茶番劇だったんじゃないかしら? ほんと、かわいい顔して随分と悪どい考えをするところは相変わらずね」
姉さんが言ってきたのは、本題の月見里先生の事ではなく、凛姉の事だった。時系列上、月見里先生の情報より、必然的に凛姉の情報に触れるのは必至のことだ。それならば、きちんとした情報が伝わっていなければならない。
「まさか。変な冗談ならよしてくれ。凛姉とはちゃんと和解したよ。魔法を使って視たんなら、分かるだろ」
オレはそう姉さんに苦言を呈した。
「形上はね。途中までは本気で遠ざけるつもりみたいだったみたいだけど、彼女が本当のことを知ってると分かった瞬間に思い付いたんじゃないかしら。どちらに転んでも、自分が得する選択肢をね。その結果、和解が成立したんでしょ」
あくまで姉さんは自分の考えを譲るつもりはないようだ。
オレはその言葉にこう返す。
「あの時のオレの感情は本物だよ。凛姉のことは大切だし、和解できて嬉しかった。そこに嘘偽りなんてないに決まってるだろ?」
「そうね。感情は本物に違いないと私も思うわ。でも、感情と思考は別物よ。あなたは彼女自身に天秤を傾けさせるように仕向けた。恭弥を取るのか、それとも自分の家である天月家を取るのかを」
淡々と責めるような姉さんの口調が突き刺さる。
オレはいつの間にか、姉さんの言葉に耳を貸してしまっていた。
「それを確かめるために、恭弥は最後の勝負だなんて言って屋上から飛び降りたのよね。もしあの時、彼女の中の天秤が天月家に傾き、彼女が飛び降りなかったらそれまで。恭弥は完全に彼女と縁を切り、天月と関わりを絶つことが出来た」
「……へぇ。もしその逆だったら?」
「天秤が恭弥に傾けば、彼女は家なんかよりもあなたを選ぶ。実際、彼女は天月家の跡継ぎであるにも関わらず、お家事情を他所に死ぬかもしれないのに飛び降りたもの」
「で、オレのために飛び降りれたらどうなるってんだ?」
間を置き、姉さんは言う。
「彼女を連れ出し、遠慮なく天月家を潰すことが出来る。恭弥に天秤が傾いている以上、天月家よりもあなたが優先されてしまう。故に天月家を潰そうが、後でなんとでも言いくるめることが可能となるはずよ」
理論整然とした姉さんの考察。
過去の映像という表面上だけしかない情報で、ここまでの考察をしてみせるところは流石だった。
やはり、知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神である『アテナ』の名を冠する最強は卓越している。
「それに恭弥は彼女の魔法が熟することを望んでいるんじゃないかしら。希炎の祈り。あの魔法を視た限り、彼女はいずれ『扉』に辿り着く。開く開かざるは別としてね。だから、側に置いておいて損はないと考えている」
「……模擬戦まで視てたのか。それは予想外だったよ」
「ええ、だからここまでの考察をすることが出来たの。どう? どれくらい間違っていたのか、答え合わせしてくれないかしら?」
今度おどけた口調で言ってきたのは姉さんの方だった。
オレは深いため息を吐かざるおえない。
右手で目元を覆い、天井を仰ぐ。それから口を開いた。
「姉さんはさ、オレが冠している二つ名である『オメテオトル』の意味が分かるか?」
答えとは異なる問いかけをした。
一から全部説明するより、こちらの方が早いと考えたからだ。
「アステカ神話に類する創造神。彼の名は二面性の神を意味し、 対立する二つを兼ね備えた完全な存在と言われているわ。また、多くの異名を保持し、神の中の神、万物の主として崇められていた神。それが恭弥が名乗る『オメテオトル』の由来よ」
スラスラと挙げ連ねる姉さん。他にも付け足そうとすれば幾ばくか出てくるが、概ねの要所は押さえている。
オレはそれを踏まえて言った。
「つまりはそういうことだよ。本当と嘘。善と悪。光と闇。秩序と混沌。常にオレは二律背反と共に在る。本音も建前も含めて、全てが本当であり、嘘なんだよ。だから、残念ながら姉さんの考察は正解であり、不正解ってわけだ」
そう言い終えてからの数分間。残ったのは、静けさだけだった。
千キロ以上離れた二つの電話口。一見、世界が停止していると錯覚してしまうほどの静寂さが蔓延っていた。
だが、実際、それは違っている。その片方から漏れるのは、圧し殺した小さな笑い声だったのだから。
オレはやれやれと首を横に振る。そして、オレは二度目の苦言を呈す羽目になった。
「……姉さん、それなりに真面目な話だったんだから、笑うのは止めてくれ」
「だ、だって、ねぇ?」
ねぇ? と訊かれましても。オレにどう答えろと。
「自分でも馬鹿みたいなこと言ってる自覚はあるさ。でもそれが事実である以上、例え言葉遊びでも間違いじゃない。まぁ、もっとも、それを見抜いて理解してくれる姉さんたちの存在が唯一の救いになってるんだけどな」
「そうやってすぐに煙に巻こうとする。嬉しいことを言ってくれたって騙されないわよ。まったく、どこで教育を間違えたんだか……」
「……本音だったんだけどな今のは。それに姉さんは何も間違えてないよ。オレが然るべくして、正しく道を間違えただけだって」
「ほら、また言葉遊びに走る。恭弥の悪い癖よ」
「そこは本音と建前の使い分けが上手いと言って欲しいもんだな」
オレの叩いた軽口に一拍の間が空く。だが、その間を掻き消すように姉さんは呟くのだ。
「そうね……。そうやって大切なことだけは本音を建前で覆って、恭弥は誰にも相談しようとしない。誰にも頼ろうとしない。いつも誰も知らないところで全て独りで終わらせてしまう」
電話口から悲しそうな、寂しそうな声が響く。
この言葉に対する言葉をオレは持ち合わせていなかった。
何を姉さんに言えばいいのか分からない。多分、今どんな言葉を言っても、薄っぺらいモノになる。
ひたすらにかけるべき言葉を模索していると、それよりも先に姉さんが捲し立てていた。
「とにかく! 私は恭弥を止めるつもりはないわ! だけど、今回の件も含めて自分の行動に後悔はしないこと! どんな結果になっても、それだけは忘れたらダメよ! わかった?」
何も言えぬことに気を遣ったのか、声を大にしての姉さんの言葉。
こういったところが姉さんの人徳だと思う。正しくても、間違っていても、ずっとずっと変わらない。いつでも、どんな時でも、必ずオレの味方でいてくれる。だからオレは救われている。
それを噛み締めたオレは、こう言うしかなかった。
「……姉さんに神域の話したこと、今、かなり後悔してるんだけど。そのせいで、要らん地雷を踏んじまったしな」
「きょーうーやー?」
冗談を飛ばせば、姉さんが低い声で圧をかけてくる。
しかし、暖簾に腕押しだ。オレは笑って返した。
「冗談だよ、冗談」
「まったく、冗談ばかり言ってて、願いが叶わなくなっても知らないわよ?」
小さな子供を脅すような姉さんの意地悪げな声。
その言葉にオレは態度を改め、極めて真面目な返答した。
「そのためにオレは最強になったんだ。オレの願いには絶対に誰も巻き込まない。準備の段階では関わったとしても、叶えるときは必ず全部独りで叶えてみせるさ。例え、それが世界中の人間を全員敵に回すことになったとしてもな」
「そうだとしても、もっと凜ちゃんや舞華ちゃんを含めた、何も知らない外側の子もきちんと見ててあげなさい」
オレは姉さんの言に「あり得ないな」と言葉を一つ挟み、次なる言葉を吐き出していく。
「姉さんが言ってたんじゃないか。感情と思考は別物ってな。二人のことは本心から大切だと思ってるよ。ずっと側に居たいとさえ思ってしまう。それは感情によるものだろう。でも、思考面から見れば、彼女たちはオレにとって別段有用性がある訳じゃない。ましてや、オレのことを理解してない彼女たちは、始めから蚊帳の外にしておいた方が余計なことに気を割かなくて済むだろ」
感情と思考。
それは密接に繋がっていながらも、それは非なるモノだ。
「感情は動機にはなっても、決して目的とはなり得ないんだ。目的になるのは自分の思考によって創られた理想だけなんだよ」
そう前置きしてからオレは言う。
「オレは必要があるなら、自分の感情でさえ踏み台にするよ。ただ目的のために全てを使い潰してみせる。大切な人は端から遠ざける。その上で身体も、感情も、命さえも。オレというたった一つの駒だけで盤上を覆してやる」
我のことながら呆れてものも言えない。
今、感情は熱くなっている。これ以上ないまでに熱く熱く、煮えたぎっている。反して思考だけは冷たいままに、ひたすら口を通して流れ出て行く。密接に繋がっているはずのものが、完全に二つに分断されてしまっていた。
「本当に心を殺すのが上手なのね。それだから恭弥は、いつまで経っても心の苦悩から抜けだないんじゃないかしら」
姉さんによる指摘。
それは姉さんには言われたくないことだ。神域は例に漏れず、心の苦悩を抱えている。どんな人物、人柄だろうとそれは変わりない。
「……なんつーか、それを神域の人間に言われても、イマイチ説得力に欠けるんだけど」
「だって私はもうとっくに抜け出してるもの。他の誰でもないあなたのお陰でね。あなたが私に救われたと思っているように、私もあなたに救われたのよ」
姉さんの優しい優しい包んでくれるような声音。それはいつもオレを救ってくれる。でもこの時だけはそれに甘えたくなかった。
「……オレは変われないよ。オレは独りで居る時が一番気が楽なんだ。誰も傷付かなくて済むし、誰も傷付けなくて済む。姉さんやあいつみたいな、自分で自分を完全に守ることが出来る人だからこそ、オレは始めて安心して寄り添うことが出来た。それ以外のやつはオレにとって不安要素でしかない。それなら端から何も知らせず、独りで解決した方が手間がかからなくていい。違うか?」
人は独りでは生きていけない。それは自分でも……いや、自分だからこそ、よく分かっていた。
しかしだ。差別、区別を抜きにした話。生けとし生ける者には相応不相応というものがある。
もし、大人が幼稚園や保育園で、幼児と同じような行動をとっていたらどう思われるのか。
幼児と同レベルの視点で、騒いで、泣きじゃくって、喧嘩して、駄々をこねて。端から見たら、ただの精神異常者だ。見つけ次第に病院にでも連行されるに違いない。
逆に幼児が軍隊にでも所属していたとする。
ハードにハードを重ねた厳しい訓練の日々。それは大人である軍人にとっては当たり前だが、幼児が参加するとなれば、第三者視点で見ずとも虐待にしか映らない。
例が極端なものになったが、オレが言いたいのは遠からず似たようなものだ。
人には居場所の選択権はあるが、馴染めないところに居るべきではないということ。馴染めない所に居るくらいならば、そこに居ない方が楽であるということ。そして何より、独りで居れば、間違っていようと間違ってなかろうと気兼ね無く居られるということ。
「それでもよ。彼女たちは少なからず、あなたが側に居続けてくれることを望んでいる。それと同じくらいにあなたの望みも叶えたいと思ってるはずよ。その健気な想いには応えてあげてもいいんじゃないのかしら」
姉さんの言っていることがどれだけ正確なものなのかは知らない。それでもオレは首を縦には振れなかった。
「オレが彼女たちに望むとしたら、それは変わらない日常を送って欲しいってことだけだよ。それ以上のことは何も彼女たちには望んでいない。どうせ、オレの願いは彼女たちは叶えられないことだしな」
「自分でも分かってる? 今のあなた、とても冷たい声してるわよ」
言われなくても知ってるさ、そんなことは。
「例えそうだとしてもこれが本音なんだ。昔のオレならまだしも、今のオレに必要ない。今、必要なのは願いを叶えるための手段と時間だけだよ」
これまた姉さんは聞き分けのない子供を脅すように声音を下げる。
「言っとくけど、この世で一番恐いのは女の子の執念なんだからね? そうやって蔑ろにしてると、後ろからブッスリ刺されちゃうかもしれないわよ」
「……肝には命じとくよ。まぁ、意味なんて無いと思うけどな」
苦笑いとともに、肩をすくめる。
「それなら、いいわ。長くなったし、じゃあ、そろそろ切るわね」
「あぁ、分かった」
「それと、忘れかけてたけど、新たな神域の方は目を付けときなさい。時を見て勧誘出来ればベストよ。それじゃあ、お休みなさい恭弥」
「お休み、姉さん」
そして電話が切れた。
ツーツーという音が耳に入る。
電話越しの会話は名残惜しくも、苦々しいものが残る話だった。




