電話越しの会話
厳正な議論の結果。何故か夕食はカレーチャーハンとなった。
現在は夕食も過ぎ、食べ終えたオレはリビングのソファーに座り、ぼんやりとテレビを眺めていた。
そこではニュース番組が流れており、芸能人の色恋沙汰や政治に関するものが報道されていた。
極めて平和なこの時間。そこで改めて自分を取り巻く環境が変わったことを実感する。
つい先日までは自分の中にある矜持に従い、様々な仕事を行ってきた。
重要機関の警備や要人の警護、犯罪組織の摘発や殲滅、魔法の改良や開発に携わる研究など、一般とは遠くかけ離れた日常が普通だったのだ。
世界最強のMP部隊である、特殊独立部隊三ツ首ノ猟犬・序列第一位のオメテオトル。最強足り得る三人の内の一席という肩書きを背負い、仲間と共に歩んできた。
しかし、それもしばらくは休業となっている。
舞華の護衛役を終えたオレは、次の仕事のためにアメリカに帰国しようと思っていたのだが、その考えはオレのもう一人の姉である東雲朱里によって撤回させられた。あの人が自由に選んでいいと言ってくれ、仲間もその後押しをしてくれたからだ。
そうしてオレは晴れて、ただの高校生である凪城学園一年生の東雲恭弥としての生活を送ることになった。
そこでは仕事のような過激な刺激は無いものの、ここでしか得られない刺激に満ち溢れていた。
学校に通って普通の勉強をし、幼馴染みや実姉と和解して一緒に暮らすことになり、友達とは他愛ない話で笑い合う。あと三年間はこの穏やかな生活が続く。
それ事態は嬉しくて楽しみなため胸弾むのだが、同時に何とも言えぬジレンマに襲われていた。
あっちに居る姉さんや仲間たちとは当分会えないし、身体を壊したりしていないか心配してしまう。特に自分直轄の部下が心配でならない。
だからこそあちらに戻って直接様子を見たいのだが、姉さん達が後押ししてくれたこちらの生活も大切だから手放せない。
でも見に戻りたい、でもここに居たい……。
と、ひたすら抜け出せぬ無限ループに嵌まってしまう。
一人で悶々としていると、二人の少女がリビングに姿を現した。
その二人とは舞華と凛姉。二人は風呂上がりなのか、タオルを首にかけていた。どうやら彼女達は二人で一緒に風呂に入っていたらしい。
二人はそのまま真っ直ぐにこちらに来て、オレを挟むようにしてソファーに腰掛ける。
ほんのりと桜色に上気している頬。鼻腔をくすぐるシャープのいい香り。何よりしっとりと濡れている髪が色っぽさを際立たせていた。
こう、風呂上がりの女子を見ると、ドキドキするのは何故だろうか? 単純に男の習性? 女性特有の魔性?
内心に秘めたアホな疑問を余所に凛姉が訊ねてきた。
「何か飲み物ある?」
「……あるけど、その前にだ」
そう訊ねてきた彼女に言いたいことがあった。
「まずはちゃんと髪を乾かしてからにしてくれ。じゃないと風邪ひくし、何より髪は女の子の命みたいなもんだろ? それでも二人は女の子か?」
呆れを含んだ視線で見ると同時に「うっ」と小さくうめく二人。血は繋がっていないのに同じ反応を示す様子は、本当の姉妹みたいだった。
「まったく……ちょっと待っててくれ」
オレは立ち上がり、洗面所から濡れてないタオルを二枚とドライヤー、それに櫛を取ってきて再びソファーに腰掛ける。
「ほら、後ろ向いてくれ。オレが順番に乾かしてやるから」
「え、あの、恭弥?」
返事をする間もなく、まず先に凛姉に背中を向かせた。
「あんまり動かないでくれよ、やりにくいから」
一言注意を飛ばす。それから水気によってきらめく赤髪を一房とり、タオルで挟むようにして包んで水気を丁寧に取っていった。
彼女の髪は手触りが絹のようで、触っているだけで心地よい。なぜ男と女ではここまで手触りが違うのか不思議だ。
「なんだかすごく手慣れてるような手つきなんだけど……」
「実際に手慣れてるからな」
なぜか不審そうな声音の舞華にそう返し、作業を繰り返して全体的に髪の水分を抜いていく。
よし、大体こんなもんだろう。
あらかた終わった所でドライヤーをコンセントにさし、スイッチを入れる。そして、温度を確かめてから問う。
「凛姉、温度はこれくらいで大丈夫か?」
「ええ、大丈夫」
「ん、了解」
確認をとったところで、髪がほつれないように櫛で丁寧に梳きながら、順繰りと温風を当てていった。
「……んっ」
凛姉のこぼれるくすぐったそうな声をBGMにしながら、それを続けて髪を乾かしていく。
「本当に上手ね。どこかで習ったりしてたの?」
「んー、そんなもんかな。日々の成長ってやつ?」
あえて曖昧な言い方で誤魔化す。別に慣れている理由を話す必要もないだろう。
しばらくして凛姉の髪を乾かし終えた。
「これで完了だ。次は舞華の番だな」
次に舞華の髪を乾かすべく後ろを振り向く。
彼女はオレに言われるよりも先に、自発的に背中を向けていた。
「じゃ、やるぞ」
「う、うん」
どこか緊張したような声音を不思議に思ったものの、口には出さずに作業に入る。
だが、凛姉と同じようにタオルで髪の水分を取っていると、置きっぱなしにしてあった携帯電話が鳴り始めた。
「っと、悪い、凛姉。代わってくれ」
「えぇー」
「悪いな」
舞華の不満げな声に適当に相槌を打ち、携帯電話を手に取った。ディスプレイを見ると姉さんからの着信。この場合の姉さんは凛姉でなく、もう一人の姉である東雲朱里の方だ。
ドライヤーの音が邪魔にならないようにリビングから出て、携帯電話を耳に押し当てた。
「もしもし、姉さん。どうしたんだ?」
「……………………」
無難に応答するも姉さんの反応がなかった。
不思議に思いながらも、再度声を掛ける。
「もしもし、姉さんだろ?」
「………………………………」
同じく反応がなかったものの、しばらくして歯切れの悪い姉さんの声が聞こえた。
「えと、恭弥……怒ってる……?」
意味が分からず、「何の事だ?」と聞き返しそうとしたところで、姉さんが何をさして言っているのかを悟った。
以前に舞華を拐った組織を瓦解させた後、オレたちは電話で話をした。
その時に彼女は、オレが第三者に知られたくない秘密をわざと知らせるかのようにして伝言を残した。しかもその伝言を受け取った相手は舞華。タイミング的に考えて、その場で最も知られてはいけない人物に残したのだ。
オレは魔法を一つだけしか使えない。
それは『創造神』というかなり特殊な固有魔法である。
世界の始まりを創造した神と同じ力。神と同列の力である神域に属する魔法だ。
その性能は、自分の創りたいものを何でも創り出せる規格外かつ異端な魔法。様々な制約が付いているため非常に使い勝手が悪いが、それでも異端なことには変わりはない。
さらに加えるならば、それを使う際には代償が存在する。それは天命が失われてしまうこと。
使う魔法の規模にもよるが、結果的に命が縮まって死期が早まるのは言うまでもない。
天城院雅貴との模擬戦では、二~三分。
生徒会室にて刀を創った時には数秒。
屋上ダイブ後に魔法を使った時にも同じくらいと、失った寿命は微々たるものだった。
流石に積み重なれば大きな影響となるが、使い過ぎなければ誤差の範囲だ。
しかし、舞華を助ける時に使った魔法は二月分と結構なものだった。
それはかなり致命的だ。なにしろたった一日にして、その日の分と合わせてかなりの寿命が失われてしまったことになる。
これが彼女に知られればどうなったことやら。
結果的に天堂家現当主である藤十郎にはバレたので話したが、やはり彼女にバレなくて良かったと思った。
そもそも姉さんのヒントを織り混ぜた伝言がなければ、こんな心配をしなくても済んでいたのだ。
それを分かってるからこそ、姉さんは歯切れが悪くなってしまっているのだろう。
「それは姉さんが一番よく分かってるだろ?」
「……やっぱり怒ってるわよね……」
電話越しに泣きそうに沈んだ声が届いた。
その声はいつもとは違い、弱々しくて頼りないものだった。
オレはそんな姉さんに自分の気持ちを伝える。
「大丈夫だよ、姉さん。オレは怒ってないから。だからそんな泣きそうな声じゃなくて、いつもの元気な声を聞かせてくれ」
「……本当に怒ってない?」
「あぁ、本当だ。姉さんにも姉さんの考えがあったんだろ? だったらオレは怒らないよ」
「……よかったぁ。恭弥に嫌われたかもって、心配で……心配で…………」
今にも泣いてしまいそうな姉さんの声に、オレの心はほっこりと温まる。それだけ自分が大切にされていることが伝わってきたからだ。
大切な人に大切にしてもらえている。それがたまらなく嬉しかった。
「オレが姉さんを嫌うわけないだろ。なにしろ大切な家族なんだからな」
「きょーやぁー、大好きぃー」
なんだか本当に泣いてしまっているようにも聞こえだが、その言葉は心底嬉しいと思える。
「はいはい、オレもだよ。んで用件はそれだったのか?」
「……ぐすっ……ちょっと……待って……」
彼女の言葉通りにしばらく待ち続けた。
すると少しして電話の奥から聞こえる啜り声が止み、いつもの包み込むような優しい声音が届く。
「今日電話したのは、あの子の事なの」
姉さんが『あの子』と称した人物。
その人物は思いの外、すぐさま誰なのか分かった。
「あいつがどうかしたのか?」
「あの子がね、昨日ようやく仕事を終えて、久し振りに家に帰ってきたのよ」
「へぇ、いつぶりだったけ?」
「一月ぶりよ」
オレは日本に帰国するまでは自分と姉さん、そしてあともう一人の計三人で暮らしていた。
だがそいつは長期間の任務で家を空けており、姉さんが言った通り一ヶ月も顔を会わせていなかった。
「それで帰ってきたあの子に恭弥はどこだって聞かれて、当分は帰ってこないって返したら凄く怒ちゃってね……」
「伝えてくれてたんじゃないのか?」
「あの子、任務中は集中するタイプじゃない? だから気を乱さないように連絡してなかったのよ」
「あー、そういうことか」
それは納得できた。あいつは仕事をする際に限って、かなり集中するように努めている。
なんでも自分のミスは許せないらしい。それ故に集中しているのを乱されることをひどく嫌っていた。
もしそれを知ったのなら、仕事が手に付かなくなってしまい、最悪の場合は仕事を放って帰ってきていただろう。
だからこそ、姉さんの判断は正しいものだった。
「で、どうなってるんだ?」
「かなり荒れてるわ。私が話しかけても口も利いてくれないレベルよ……」
姉さんの気疲れしたような声に、その光景が鮮明に浮かんだ。
懸命にコミュニケーションをはかろうとするも、ガン無視されている姉さんの姿。それでも必死に頑張るも、やっぱり取り付く島もなくあしらわれてしまう。
最終的に強行手段として、擽りなどといった接触によるコミュニケーションを取ろうとし、撃沈させられる姉さん。
想像していてなんだかこっちまで切なくなってきた。
だけど同時に信じられないものでもある。
なにしろ姉さんを無視する事は難しいのだ。彼女に対してどれだけ怒っていたとしても、人柄ゆえにそれはすぐに冷めて、気付けば仲直りしてしまっている。
それに関わらず、姉さんを無視できるレベルを保っているとは相当に怒っているということだ。
「それであの子ったら、ずっと不機嫌なままなのよ」
「だから電話してきたってわけか」
「えぇ、そうなの。どうすればいいかしら?」
それを聞いて自分と並び立つ相棒の姿を脳裏に思い浮かべた。
いつも自分の背中を預けていた存在。
ここ最近は顔すら合わせることなく、それぞれの任務の遂行と言う名の生活を送っていた。それがようやく終わって、顔を合わせることが出来ると思ったが、戻った家にはオレは居なかった。
何も告げずに、何も相談せずに姿を消したことになる。信頼している間柄であったにも関わらずだ。
それが相手にはどんな気持ちを与えるのか。考えるまでもない。
オレはしばらく考えてから言った。
「お前の自由なんだから好きにすればいい。オレも久し振りに会いたいし、来てくれるのなら嬉しい。そう伝えといてくれないか?」
「はぁー……恭弥は本当にあの子に甘いわね。最強を抜いたメンバーの中で、一番強いあの子まで居なくなったら、こっちの仕事が増えちゃうじゃない」
そこを指摘されると痛かった。
オレが抜けた分を補ってもらっているのに、更にメンバーが抜ける可能性があるのだ。本当に申し訳なく思う。
「だけど別に確定してるわけじゃないだろ?」
「そっちに行く方に全財産を賭けても良いくらいよ……。まぁ、いいわ。恭弥直轄のメンバー達が頑張ってくれてるから。みんな、恭弥が居なくなってからモチベーションが高くなってるのよ」
「それはオレが居なくて喜んでるのか?」
「まさか。『王様のために頑張るぞー』とか言ってたもの。まぁ、その分、恭弥の執務室は汚され放題だけどね。一度行ったけど、あれは酷かったわ。足の踏み場も無いんだもの」
その言葉に感動したらいいのか、本気で怒ったらいいのか分からなくなってしまう。
普段は直轄のメンバーが散らかす執務室を片付けるのは、散らかした奴の仕事にしている。
オレが居る時は口うるさく注意していたお陰もあってか、気を抜けば汚れてしまうものの、常に清潔に保たれていた。
それがオレが居なくなれば汚され放題とか、ふざけるなって感じだ。帰ってから説教をするしかない。
取り合えずオレは口を開いた。
「いい加減に王様って呼ぶことを止めろって事と、執務室は絶対に綺麗に掃除しとけって事を伝えといてくれ」
とある一件のせいで、オレは一部の部隊のメンバーから王様という恥ずかしい呼ばれ方をされている。
序列第一位だから王様という理由ではない。もっと残念で、自分で穴を掘って頭から埋まりたいくらいの黒歴史なのだ。思い出しただけで、その頃の自分を殴ってやりたくなる。
「ふふっ、了解。まぁ、直らないと思うけどね」
「そこをなんとかするのが『女神様』の手腕だろ?」
『女神様』というのが、部隊メンバー達が姉さんにつけた呼び方である。
それはオレみたいに一部からではなく、全員に浸透してしまっていた。ちなみに、本人はすごく嫌がっている。
誰が最初に言い出したのかまで知っているが、それは言わぬが花だろう。
オレのからかい半分の軽口に姉さんは頭が痛そうな声を出した。
「恭弥までそれを……他のメンバー達にはキツいお灸を据える必要があるわね……」
電話越しに伝わってくる、後半部分のゾクッとするような低い声音に思わず震えてしまう。
どうやら完全に地雷だったようだ。
完全にオレのせいだが、あっちのメンバーにはご愁傷様という他ないみたいだ。
病院送りにならなければいいが……。
まぁ、普段から鍛えられている連中のことだ。自力でなんとかするだろう。
そう見切りをつけ、次なる話題に変えていく。
「あぁ、それと、こっちからも連絡があるんだ。まだ時間いいか?」
「えぇ、問題ないわよ」
姉さんの了承を得たところで、口火をきることにした。
「新しい神域を一人見つけたんだ。どうする? 本人は特に害はなさそうだけど、このまま野放しにしとくか?」
新しい神域。
その言葉が出た途端、電話越しの姉さんが息を飲んだのが分かった。
その後、オレは説明を省くために補足を入れる。
「出会った経緯とかの説明は面倒だから、そっちで勝手に視てくれると助かる。大体、五時間前くらいまでの時間を視ればいいと思う」
自分でも分かるほどに適当な説明。
オレのいい加減な言葉に、姉さんはちょっとだけ不満そうな声を漏らした。
「あのねぇ、私だって神域なんだから、魔法を使えば代償が発生するのよ」
「と言っても、姉さんの魔法の代償はオレみたいに消耗する類いじゃないだけマシだろ? まぁ、確かに数分間は不便だろうけどさ」
「はぁ……わかったわ。少し時間をちょうだい。時架の方を使うわ」
これ以上は不毛な口論になると悟ったのだろう。あっさりと姉さんは引く。
呆れのため息の後、訪れるのは沈黙。
同時にオレはゾクリとするほどに濃密な魔力の気配に襲われた。
おそらく、姉さんが居る場所はアメリカの邸宅。
そして、オレが居るここは日本。
距離にして、千キロ以上も離れている。
にも関わらず、オレの位置を正確特定することを始め、適切な魔法発動による効果を及ぼしていることに脱帽せざるおえない。
やはり姉さんの実力は常識を逸している。そこら辺の魔法師とは段違いだ。
「……視終わったわ」
沈黙を破る姉さんの呟き。
オレはおどけたように返した。
「随分と早いな。もうちょっと掛かると思ってたんだけどな」
「日々成長よ。私だって自分を研鑽することは当然だと思ってるもの。恭弥に見限られないためにもね」
それは天地が反転してもあり得ないことだ。冗談でもそんなことは言わないで欲しい。
「オレが姉さんを見限るわけないだろ。オレにとって姉さんは大切な人なんだから」
本心に対しての返答は、またもや呆れのため息であった。
「よく言うわ。じゃあ、恭弥のお姉さん……あぁ、凛ちゃんの方ね。あなたは彼女を利用するつもりなんでしょ?」
姉さんの放った言葉。
それは何より残酷で、空気を凍てつかすには十分なものだった。




