真実を知って……
恭弥と千鶴が屋上へと向かった頃。
取り残された二人の少女は、未だに保健室に居た。
陽気なリズムで楽しげな鼻歌を保健室に響かせる少女の名前は村雨六花。
彼女はベットに寝かされているもう一人の少女を覗き込んだ。
「ほーんと、美人さんだねぇー」
天月凛。艶のある紅蓮の髪をはじめ、気品を漂わせる整った顔つき、均整のとれたプロポーション。どれをとっても魅力的で、誰もが目を奪われてしまうであろう少女。
少なくとも同性である六花でもそう思えるのだから、異性ならばそれ以上に感じているだろう。
そんな少女が無防備に寝息を立てている。
そのシチュエーションを前に、六花はイタズラ心がくすぐられていた。
「ほーら、起きないとこうしちゃうぞー」
楽しむような口調で、六花は人差し指を凛の頬に指を突き立てた。白雪を散らしたような柔肌は、それを受け入れるように形を変えていく。
つんつん、ぷにぷに。つんつん、ぷにぷに。
「うーん、起きないねー」
頬をつつく、押し込む、摘まむ。凛の頬を使って遊ぶ六花だが、凛は一向に起きる気配を見せない。
と、その瞬間に天啓が降りたかの如く、六花の脳裏にあることが閃いた。
「そうだっ! やっぱりイタズラといったらあれだよねっ!」
凛のもとを離れ、六花はあるものを探す。それは例え保健室と言えど、学園の教室あらば探せばあるはずのもので。
しばらくして六花はそれを見つけ出した。
「さーて、何を書こっかなーっ♪」
今、六花の手に握られているのは、黒の水性ペン。
それを使ってするのはもちろん落書きだ。書く場所は言わずもがな。
「やっぱりここは定番のおでこに肉かなー。でもそれじゃありきたりだしなー」
水性ペン片手に真剣な思案を巡らせる。内容が内容だけに、そのシュールな姿はなんとも言えない。
「よしっ! 決めたっ!」
何を書くか決めた六花は、水性ペンを握った右手を動かした。
そこで保健室に響くのは冷たい声。
「へぇ、黒のペン片手に何を決めたのかしら、六花? 返答によっては燃やすわよ」
よく見れば凛の瞼が開き、六花を冷たく見据えていた。
「もう一度聞くわ。何を決めたのかしら?」
上品な淑女の微笑み。それは驚くほどに綺麗で、何より恐ろしいものだった。
それを正面から向けられた六花は、一筋の冷や汗をたらす。
「あははー、何のことかなっ?」
恐ろしい笑みを前に、本能的に水性ペンを握る手を後ろに回す。そして、そのまま後ろに退いていく。
しかし、それはあまり意味を持たないようだ。
「そう、あくまでしらをきるの」
そう呟くなりパチン、と指を鳴らした。瞬間、ボッ、と音を立てて生まれる炎。
「熱っ、何するのリンちゃん!?」
「決まっているでしょう? 寝ている人の顔に落書きをしようとした馬鹿へのお仕置きよ」
「魔法を人に向けるのは犯罪だよっ!」
「あら、残念。ここは学園の敷地内よ。教育機関での魔法の行使は認められてるわ」
六花の主張を正論でねじ伏せる凛。
ねじ伏せられた側の六花は「むむむ」と唸る。
これまた六花に天恵が舞い降りたようだ。そうして彼女は打開策を見つけた。
「ふっふっふ、私にそんなことをしてもいいのかな?」
「……何を企んでるの?」
「これを刮目するがいいさっ!」
妙なテンションで、制服のポケットから何かを取り出す六花。テンションと頭がおかしいのは最初からなので気にする必要はない。
今重要なのは取り出されたものだ。
「……普通のボイスレコーダーね。それがどうしたっていうのよ?」
そう、六花の手に握られているのは何の変鉄もないただのボイスレコーダー。
思わせ振りな台詞の割りには大した物ではないことに、凛は呆れを含んだ白けた視線を向けた。
「そんなこと言っちゃってもいいのかなー。ここに弟君との会話が録音されてるのになー」
勿体ぶるようなわざとらしい呟きをもらす六花の言葉に、凛は疑問に首を傾げた。
弟君との会話?
六花とは中学生の頃からの付き合いである。だが、彼女に妹がいることは知っているが、弟がいたなんて聞いたこともない。
つまり、弟君が誰を指すかというと……
そこまで思考を巡らせたところで、凛は大切なことを思い出す。
「六花っ、勝負はどうなったのっ!?」
今さっきまでのやり取りは一気に吹き飛んだ。
代わりに頭の中を満たすのは自分の弟の事。自分にとっては大切な弟との絆を賭けた勝負の結果は、何よりも優先されることだった。
さっきまでの表情から一変。焦りの表情へと変える凛を見つめて、六花はあるがままを語った。
「……そう」
結果を知った凛の反応はそれだけだった。
いや、違う。それだけしかできなかったと言うべきか。
彼女の身体は悔しさと悲しみに震え、それ以上の言葉を発せないでいた。
「リンちゃんは弟君を諦めちゃうのかな?」
場には決して相応しくない六花の声音は、凛にとって辛いものにしか感じられない。
六花を言葉にするのなら、誰よりも自由奔放で天真爛漫。マイペースで空気が読めない。けれど底抜けに元気な明るい少女といったところか。
個性的な特徴を持つ親友にも、今くらいは少しは空気を読んでもらいたかった。
「……勝負の結果だもの。約束は守らないといけないでしょ。……それにあの子が拒絶してるのにどうしようもないわ……」
弱々しい声での反論。普段の凛を知っているだけに、六花には今の凛の姿を見てやきもきしていた。
「そう思うんなら聴いてみなよ」
放られてくるのはボイスレコーダー。それ危なげに受け止めると六花は「ほら」と促してくる。
意味の分からないままに凛は再生のボタンを押した。
『うーっ、健気だっ、健気だよ弟君っ!』
ボイスレコーダーから再生されたのは、目の前にいる友人の奇妙な叫びだった。
『弟君はツンデレなんだねっ。ツンツンしてた時からかわいいとは思ってたけど、デレまで加わるなんてもう無敵すぎるよっ。んー、かわゆいかわゆい』
何かを撫でるような微かな音。擦り合わせるような衣擦れの音。
それに続くのは大切な弟の声だった。
『こういうのは止めてもらえませんか? 誰かに見られたらどうするんですか』
『イヤだっ! 弟君は私がお持ち帰りするんだもんっ!』
なにやら聞き流してはいけない不穏な発言が聴こえた気がした。続いて必死に抵抗するような弟の声。
『いいからさっさと放せ!』
それを拒否する友人の声。
『なんとその提案は却下されましたっ!』
そこで限界だった。ミシリと嫌な音を立ててきしむボイスレコーダー。
握り潰そうとしているのは凛の手であった。
「へぇー、随分と仲良くなったものね。……ねぇ、六花。貴女、私に喧嘩を売ってるのかしら? 燃やされたいの?」
その細腕からは考えられもしない剛力を前に、壊されそうになっているボイスレコーダーを庇うように六花はブンブンとかぶりを振った。
「わーわー、違うんだよっ、最初からっ! 最初から聴いてっ!」
凛は納得がいかないも、言う通りに一番始めまで巻き戻す。それから再び再生のボタンを押した。
『リンちゃんって本当に美人さんだよね~。ねね、君もそう思うでしょ?』
それが第一声だった。凛はカチリと停止のボタンを押して「ふぅー」と深い息をつく。
「六花、遺言は?」
投げ掛けられる質問。それが凛の判決だった。
「ちょっ、最後まで! 最後までっ!」
「その必要はないわ。これを壊して、貴女も燃やす」
「『あなたを殺して、私も死ぬ』みたいなノリだねっ♪」
てへっ、と無邪気な笑みを添える。
それ受け止めるのは絶対零度の冷たい視線。この時だけはいつもの天真爛漫さが完全に裏目に出ていた。
「……それが遺言でいいわね」
無詠唱で起きた炎の魔法。それは槍を型どって、矛先を六花へと向かう。
「リンちゃんの目が本気だよ恐いよっ!」
叫びつつもらちが明かないとばかりに、凛の手からボイスレコーダーを奪い取る六花。
それからすぐさま再生のボタンを押す。その続きがボイスレコーダーから流れた。
『オレもそう思いますよ。五年前よりもずっと綺麗になった』
それは覚えのある声での賛辞の言葉。尚もそれは続いた。
『うんうん、その上リンちゃんはしっかりしてて、人気者で、格好良いんだよっ』
『それに気遣いができて、優しくて、今はなんか上品な感じもしますね』
「なっ、えうっ!? うぅっ、うぅ!?」
たったそれだけ。たったそれだけのことで凛は取り乱していた。
それを証明をするように魔法も霧散している。それは彼女が集中を切らしていることが何よりの原因である。
あれだけの悪口雑言を投げ掛けてきた弟の賛辞は、それだけの影響力を持っていた。
『……できれば君の本音を教えてくれないかな?』
「ここからが重要だよ」
ボイスレコーダーから流れる自分の声に重ねて言う友人。だから自分も静かに耳を傾けた。
『知ることに意味は無いですよ。在るものは在るもの。起こったことは起こったこと。敗者は目の前の出来事を受容しなくてはならない。それが世界の理だ』
『君はとんだうそつきさんだねっ。まったくもうっ! そんなつまらないうそをつくのはこの口かなっ!?』
友人の『えいえい』という気の抜ける声だけが流れる。これのどこが重要なんだと声を荒げる前に、「しっ」と先に発言を封じられた。
『君が本音を言うまでやめないからねっ』
『分かった。分かりましたよ。本当のこと言うからやめてもらえませんか』
諦めたような、疲れたような。それを見ずとも実感させる言葉の後に、それは告げられた。
『オレは天月に捨てられたんですよ。当主直々にお前は『欠陥品』だから要らないって、ね』
「なっ――――!?」
それはあり得もしない言葉であった。
自分の弟である恭弥が姿をくらませた理由。それは自分の意思での家出と父親に聞かされていた。
自分は天月を出る。探さないでくれ。それが弟である恭弥が残したと父親から聞いた最後の言葉。
それは確かなものであるはずで……いや、ちょっと待った。父親から聞いた?
それが確かな情報となり得るのだろうか?
いくら自分の肉親であるとはいえ、大事なことに嘘はつかない、という保証はない。むしろそれは信じられる情報源であったのだろうか?
自分の父親でありながら、恭弥の父親でもある天月厳清。あの人は自分のことを娘として扱っていたが、恭弥のことは息子とも思っていなかったではないか。
それに関しては恭弥も同じで。敵同士を彷彿とさせるほどに対立していた二人が、別れ際に言葉を交わすかすら怪しいものだ。
あるとすれば、恭弥が父親の部屋に呼び出されたあの時。思えばその後から恭弥の動向はおかしかった。
不自然な話題の転換。不自然な退室の促し。
次々に繋がっていく真相の欠片。今更ながら在るべき真実へと導かれていく。
それでも当時の自分は、偽りの真実を信じてしまったことには変わりはない。
だから恭弥には「また一緒に暮らそう」と言った。
自分が知っていたことが全部間違っていたということ。
それは―――恭弥を無意味に苦しめていただけではないか……
凛はその事実に背筋が凍った。六花の手の中にあるボイスレコーダーは止まることはない。
『ふむふむ、なるほどなるほど。じゃあ、リンちゃんをイジめた理由は?』
『二人ともにメリットがあるからですよ。オレは今後一切として天月に関わりたくない。そうすることで、この人は変わることのないいつも通りの日々を送れる。互いに不干渉が一番だと思ったんです』
『だけど、万が一にも天月が行動を起こせば、オレは天月を潰すつもりでいます。オレが対象になったとしても、この人が対象になったとしてもね』
『それでも天月がこの人にとっての帰るべき場所です。オレ個人の意思で潰してしまえば、この人は拠り所がなくなっちまう』
淀みなく紡がれる恭弥の言葉はまるで……
『リンちゃんを遠ざけて、今までの生活だけでも守ろうとしたと』
自分が感じたことを言葉にしてくれた六花。
それに対する答えは、
『はい』
と、迷いもなく答えられた。
一度そこで会話は途切れてしまった。
そこからはさっきの馬鹿話だ。保健医の先生が登場し、馬鹿話を加速させる。話は流れに流れ先に進んでいく。
『それより、その嬢ちゃん寝かせに来たんやろ? そこらのベット適当につかい』
恭弥が誤解を解いたあと、保健室の先生がそう言った。
そこで新たなことに気づく。自分をここまで運んでくれたのは恭弥だと。それを知っただけで胸が温かい感情で一杯だった。
『ありがとうございます』
お礼を言った後、わずかにベットがギシッと音を立ててきしむ。その音もとても小さなもので、自分に配慮されていることが感じられた。
ポツリとこぼれる微かな声。
『ごめんな、傷付けちまって』
悔やむような恭弥の謝罪。それが深く胸に響き渡る。
謝ってほしくない。恭弥は何も悪くない。凛は胸の中で何度もそう叫ぶ。
『また一緒に暮らそうって言ってくれて嬉しかったよ。ありがとな、凛姉』
凛姉と呼んでくれた。久し振りに聞く弟からの呼び名。そのことになんとも言えぬ温かみに包まれてゆく。
『でも、オレは天月には戻らないよ。オレは自分の道を進む。そうすれば互いに苦しい思いをせずに済むだろうからな』
まるで祈るように、懇願するように、泣きそうな声で恭弥は言った。
そして、最後の一言。
『ここで本当のお別れにしよう。オレのことは忘れてくれ。その方がオレも楽でいい』
そこでボイスレコーダーは止まった。
「どう? これでも弟君が拒絶してるって思うのかな?」
六花による、にっこりと笑いながらの問いかけ。
ここまで聴いてそんな事を思うわけがない。むしろ自分は大切にされていた。それが理解できた瞬間だった。
今はさっきとは別の意味で限界となっていた。
さっきのは自慢するようにイチャついていることをアピールされたことから起こった、嫉妬と怒りを足して万乗したような感情。
でも今は、そんなものを軽く吹き飛ばしてしまう程に穏やかで温かい感情で、胸が張り裂けそうになっている。
凛は立ち上がった。すべては大切な弟に会うために。
乱れた服装を正すこともなく、揃えて置かれていた上履きに乱暴に足を突っ込み、扉へと向かう。
「弟君は屋上だよっ!」
親友の一声。それは今、最も知りたかった情報。
凛は目線で「ありがとう」と伝え、屋上へと走り出した。




