お仲間
「じゃあ、これでオレは失礼します。村雨先輩に、えーと……」
「月見里千鶴や。よろしゅうな」
「月見里先生。この人をよろしくお願いします」
二人に頭を下げ、退室しようとした。
だが、それは袖を掴まれることにより叶わなかった。
「ちょいと、待ちい。話は終わりやない」
掴んできたのは保健医である月見里先生。その顔には険しい表情が刻まれていた。
「自分、何者や?」
「あぁ、すいません。そういえばこっちは名乗ってませんでしたね。オレの名前は……」
スッと細められる月見里先生の視線。先よりも強くなる月見里先生の語気。そこに先程までの気が抜けるような雰囲気は見られない。
「ウチが聞いとんのはそんな事やない。なんで自分みたいな外れがここにいるんや?」
「えーと、意味が分からないんですけど?」
本気で意味が分からずに問い返す。
不意に縮められる距離。月見里先生は、そっと耳元で囁くように問うてきた。
「なら、分かりやすく言ったる。なんで自分みたいな裏側の人間がここにいるんや?」
唐突にかけられた見過ごせない言葉。
本当に日本側に帰ってきてからは突然の展開のオンパレードだ。
いきなりの驚きのせいか、自然にごくりと喉が鳴った。
「歩き方見れば一発や。重心の置き方や気配。自覚はあらへんやろうけど、隠しきれてへんで?」
その言葉に身体が反射的に反応をしてみせた。気付いたときには、身体は本能的に目の前の人物と距離を取っていた。
この女も裏側の人間なのか?
この女は脅威になりえるのか?
この女が敵対者であるのか?
それらを知るために本能に任せて動く。
虚空を掴むようにして取り出した一振りの刀。刀剣創者での恩恵で生み出された刀は、刀身そのものが鈍色に輝いていた。
「殺気もただの学生が身に付けるもんやない。大きさも密度も結構でかいし、自分、ほんまに何者や?」
質問に答えたりはしない。
「あんたはオレの敵か?」
ただそれだけを問う。それ以外の情報は今は必要ない。
それに対して、相手はぷらぷらと手を振り答える。
「それは自分が判断することやないんか? 少なくとも、ウチの言ったこと信じるほど馬鹿やないやろ?」
「それもそうだな。あんたの言う通りだ」
右手に握る刀に左手を添えた。
視界の端に戸惑っている村雨先輩の姿が映るが、今はどうでもいい。
足下にある床を蹴り、普段と違う空気の受け方をしながら素早く前に飛び出す。
月見里先生はその場から動こうとしない、対応しようとしない。
……なめてんのかこいつ。ギリッと奥歯から嫌な音がした。
肉薄して刀が届く範囲になっても尚、防衛なり反撃の動きを見せてこない。
それならそれでいい。
「このままぶった斬ってやる」
獰猛な唸り声とともに、刀を振り抜いた。
………………………
…………………………………
…………………………………………………
「なんや、斬らへんのか?」
首筋に当てられた刀を見つめて言う。
そう、月見里先生の言葉通り、まだ刀は何も斬っていなかった。首を斬る寸前でピタリと止まっている。
「あんたはオレの敵じゃないみたいだ」
それだけ答えて刀を消した。
この女は向けられた死という生物の本能的脅威を前に、抵抗の素振りを見せなかった。避けることも、防ぐことも、魔法を使うこともなかった。
これだけで判断には十分だ。
そもそも敵対するつもりなら、有無を言わず攻撃したはずだ。それをしなかった時点で少なくとも敵対する意思はなかったのだろう。
「ほんまにおっかないなぁ自分。どんだけ浸っとんねん」
「黙秘権を行使します」
「なんやぁ、ウチを脅しといてそれはないやろ。ほら、言うてみい」
「黙秘権を行使します」
「今なら好きなだけ揉ませたるで?」
月見里先生は自身の胸を強調するように、腕を組んで持ち上げてアピール。その動作で生まれる渓谷は、男にとってなんとも言えない絶景を誇っていた。
成熟した女性の醸し出す色香に理性が揺れてしまいそうになる。
「……………………黙秘権を行使します」
「最後だけえらい長かったなぁ。なんなら条件なしに触ってみるか?」
「…………………………………………………遠慮します」
「あっはっはっ、案外素直やないか。その調子で教えてくれればええのに」
そう言いながら月見里先生は抱きついてくる。押し付けられる豊満な肢体。同年代の異性からは感じられない妖艶さ。
息がかかるほど間近でそれを感じ、思わず声が裏返ってしまう。
「ちょっ、何してんですか!?」
「悪いけど、見せてもらうで」
タイミングのそぐわない謝罪。意味の分からない宣言。そして、魔力の流れと魔法の発現の予兆。
「なん……っ!?」
一度の判断を経て油断していた。
やはり彼女は敵なのだろうか?
このゼロ距離では魔法を使って離脱することは危険だ。そう判断したオレは身体に魔力を纏わせ、力ずくで抱擁から抜け出した。
「くそっ」
再びオレはバックステップで距離を取った。それから何がきてもいいように身構える。
しかし、それが意味を成す機会は訪れることはなかった。
「あっ……ああぁ……嘘やろ、これ……」
顔を蒼白に染めて呟き出した月見里先生。
額に滲む程度ではない。
滝のように流れ落ちる冷や汗。ガチガチと打ち鳴らされる歯。先ほどまでの余裕という余裕が、欠片ほども見当たらないまでに取り乱していた。
一体何が彼女をそうさせたのだろうか?
「なんで……こないな……なんでや……」
その後もぶつぶつ一人で呟き続けていた。
何か見てしまってはいけないモノを見てしまったように、何度も何度もうわ言を繰り返し呟く。
先に言っておくが、オレは何もしていない。
魔法で精神的に追い詰めて壊すこともできないこともないが、流石にそこまでえげつない事はしない。
不意に交錯する二つの視線。恐々と開かれる月見里先生の口。
「……なんで自分は平然としとるんや。こないな『記憶』を経験しといて……なんで……」
彼女の瞳からは涙さえこぼれ落ちていた。
向けられた言葉にこちらも顔を蒼白に染めることになる。
「まさか、オレの……見たんですか?」
「……すまん……ほんまにすまん……」
大人としてプライドはないのか、と問いたくなる程に涙をこぼして何度も謝り続ける月見里先生。
その姿に怒ることもできなくなっていた。
「場所、変えませんか?」
「……屋上なら、誰も居らへん、はずや」
表情も声も身体も。寒さとは別のもので震えながら、彼女は動き出しす。時折、ふらふらと危ない足取りで扉へと向かっていく。
その背中を見送っていると、もう一つの視線があることに気付いた。
「ねぇ、先生、大丈夫なの? さっき何が起こったの?」
不安気な表情で訊ねてくる村雨先輩に、オレはこう言うしかなかった。
「なんでもないです。それより、あの人のこと頼みましたよ。起きるまで側にいてあげてください」
その一言を残して、月見里先生の背中を追いかけた。
辿り着くのは、初日以来訪れることのなかった屋上。
五月とは思えないほどに強い日差しを受け、わずかに目を細めてしまう。
今の時点でこの気候なら、夏場はもっと日差しも気温もすごいだろうな。
そんな感想を抱きながら、オレは焦点をもう一人へと動かしていく。
「さっきは取り乱して済まんかったなぁ」
オレが言葉を発するよりも先に口を開く。
そう切り出したのは、落下防止柵に背をあずけた月見里先生。今の彼女はわずかに落ち着きを取り戻し、どこか遠い目をしていた。
「もちろん説明してくれますよね?」
「あぁ、もちろんや」
オレの言葉に一つ頷き、「そうやな……」と話の取っ掛かりを探す姿に何故か既視感を覚えた。
「まず最初に言っとく。ウチは自分のお仲間や」
「それは月見里先生も裏の人間って事ですか?」
彼女は静かに首を横に振った。
「そうやない。ウチは世界に拒絶されたこの運命を憎んだんや。嘆いた。呪った。諦めた。拒絶した。だから枠を超えた力を得てしもうた化物や。そう言えば分かるやろ?」
いつか自分も似たような事を言った。
あれは天堂の屋敷での出来事。その時は藤十郎にオレが似たような発言をしていた。
ならばこの後に続くべき言葉は――――
「ウチも自分と同じ神域の人間や」




