緩やかな日常
どうも身体が気だるい今日この頃。目が覚めると、時刻はすでに放課後に突入していた。
「どんだけ寝てるんだよ……」
今日は学校に来てから、まともに授業を受けた覚えが一切ない。
一限は辛うじて起きていたが、ぼんやりとしていたせいで授業の内容をほとんど聞いていなかった。
二限は途中から寝落ちしてしまい、そのまま昼休み開始までずっと爆睡。
それから一度起きて悪夢のランチタイムをした後、五限開始前に再び寝落ち。
そして、今に至るというわけだ。
つまり、本日の学校生活の大半を寝て過ごしていることになる。自分の事ながら呆れてものも言えない。
「……帰るか」
もう過ぎたことはしょうがない。
気を取り直して、荷物をまとめてから教室を見回していく。
教室に残っているのは数える程の人数しか居なかった。おそらくすでに帰ったか、部活動に行ったのだろう。
教室内を見回していて気が付いた。
そういえば舞華の姿が見当たらない。もうすでに先に帰ってしまったのだろうか。はたまた部活動に所属しているのか。
どちらにせよ今日は一人で帰る他無いようだ。
長い睡眠の末に軽くなった身体で立ち上がり、教室の出口へと向かおうとする。
そのタイミングで舞華が教室に顔を覗かせた。舞華は誰かを探すように視線をやり、きょろきょろと教室を見渡す。
その視線はオレのところで止まった。どうやら探していたのはオレらしい。
「よかった。まだ教室にいたんだ」
そう言って近付いてくる舞華は、いつもとどこか様子が違った。
嬉しいことと、そうでないこと。それが同時に訪れたかのような、とても奇怪な表情をしていた。
「何かあったのか?」
気になって訊ねると、舞華は曖昧な笑みを浮かべて、
「帰りながらでいい?」
と控えめに提案してくる。
「了解。冷蔵庫の中が減ってきてるから、スーパーに寄るけどいいだろ?」
あれから一週間。充実していた冷蔵庫の中も、さすがに中身は少なくなってきていた。
そろそろ補充しなければ、明日の食事に困ってしまう。
「うん、いいよ」
頷いてから、鞄を取りに行く舞華。
自分の席から鞄を取ってきた彼女が小走りで近付いてくる姿は、仔犬みたいでたいへん微笑ましい。
後ろでポニーテイルに束ねられている黒髪が揺れる様は、仔犬が尻尾を振る仕草を連想させている。
舞華がすぐ側に来た途端、思わず右手が彼女の頭へと伸びてしまった。
「恭弥?」
オレの行動に不思議そうに首を傾げる舞華が可愛くて、よしよしと撫で続ける。それは動物を手懐けることが得意な某人物を彷彿とさせる勢いだった。
オレが和みながら舞華を撫でていると、舞華の表情もほわー、と蕩けていく。
不意に背中から声をかけられた。
「東雲君と天堂さんは付き合ってるの?」
振り向くと後ろにはクラスメイトの女子が立っていた。
その子は目を爛々と輝かせている。
が、失礼なことにぱっと名前が出てこない。はっきり言って、なんやかんやと事件があったせいで、まだクラスの一割も覚えられていないのだ。
なので佐藤さん(仮)と呼ぶことにした。
秋人といい、佐藤さん(仮)といい、ちょっと仲が良いだけで、なぜすぐに色恋沙汰に繋げようとするのだろうか。オレはそれが不思議でならない。
「別にオレ達は付き合ったりはしてないよ」
「そんなに仲が良いのに付き合ってないの!?」
オレの返答に佐藤さん(仮)は意外そうな声を上げた。その反応に呆れてしまう。どうやったらそう見えるのだろうか。
オレと舞華は幼馴染みだから仲が良いだけであって、別段付き合っているわけではない。
一つ屋根の下で暮らしているという少し特殊な仲だが、それだけは断言できる。
「当たり前だろ。オレなんかだと舞華には到底釣り合わないしな」
その子は「えぇー」と大きな声を上げる。そこまでおかしな事を言っただろうか。
「東雲君はかなり優良物件だと思うんだけどなぁ。君で釣り合わないんなら、ほとんどの男子は釣り合わないよ?」
本心からの言葉のようで、彼女は自分の言葉に頻りにうんうんと頷いている。その勢いに思わずたじたじになってしまう。
「お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」
曖昧に笑ってから佐藤さん(仮)に別れの挨拶を告げ、舞華と一緒に教室を後にした。
オレたちはそのまま下駄箱で下足に履き替え、肩を並べて最寄りのスーパーへと向かう。今日からはこうやって夕食の材料を買って帰るのが日課になりそうだ。
さて、今日の夕食は何にしようか。
確か家に残っているのは玉ねぎ、ジャガイモ、鶏肉、牛肉、卵、牛乳……etc.
そこから導き出される最適解は、
「舞華。カレーとシチューならどっちが食べたい?」
おそらくこの二択だろう。
一切迷うことなく舞華は答えた。
「カレー!」
カレーライス。それはお手軽で、美味しくて、保存もできる定番メニュー。それに舞華の好きな食べ物でもある。
名家のお嬢様の好物が庶民派のカレーライス。すこし可笑しい組み合わせだ。
それでも彼女曰く、「美味しいんだから仕方ない」とのことだ。
「舞華の好きなものは昔と変わってないんだな。やっぱり今でもハンバーグも好きなのか?」
「うん、好きだよ。それがどうかしたの?」
やはり変わってないらしい。
あと庶民派と言ったが訂正する。ちょっとだけ子どもっぽい好みである。
「どうせなら、舞華の好みに合わせてハンバーグカレーにしてみるのもアリかなって思ってな」
「本当!?」
突如、舞華の瞳が輝き出した。
否、瞳だけではない。それはもう全体的に輝いていた。
これはどういった現象なのだろう?
かなり気になる所である。
「あぁ、腕によりをかけて作るから楽しみにしといてくれ」
そう言っている間に目的地へ到着。オレは冷蔵庫にない材料を思い出しながら、買わなければならない材料を次々に買い物カゴへと入れていく。
「それでさっきは何があったんだ?」
「恭弥が起きるまでね、凛さんと話をしてたの」
「……っ、凛姉の話題か。二人でどんな話をしてたんだ?」
昼にあった学食でのやり取りを思いだして、思わず呻いてしまった。
まさか凛姉がすぐに会いに来るとは思ってもみなかった。しかもそれが待ち伏せだったのだから、笑おうにも笑えない。
自分と学年の違う相手に、待ち伏せをしてまで会いに来る。そのバイタリティーの高さには舌を巻いた。
「生徒会に入らないかって誘われたの」
「生徒会にか……。それで舞華はどうするんだ?」
「入るか入らないか迷ってるの。恭弥のことがあるし、凛さんと話してるとボロが出ちゃいそうだから」
舞華は憂いを帯びた様子で呟いた。
やはり本当の事を知っていながら、それを知りたい人物と話しているのは相当に後ろめたいのだろう。しかもそれが親しい間柄なのだから尚更だ。
「はぁー。原因はオレなわけか。やっぱりどうにかした方がいいよな……」
それが今後の憂いを断つ一番の方法なのだが、いかんせんそれが難しい。わざわざ自分から正体をバラすのは馬鹿らしいし、バレるまで嘘を続けるのも大変だ。
どちらにせよ早期解決が望ましいのは確かである。
「まぁ、バレたらバレただ。舞華も生徒会に入りたいんなら入ってもいいんだぞ」
そう言いながら、野菜コーナーにてニンジンを選び始める。そして良い物が見つかったところでカゴに入れた。
そのニンジンを見た舞華は、
「うぅ……」
と苦い顔で呟いて、ニンジンを相手にしてにらめっこしていた。
数秒後、舞華は顔を逸らし、「はぁ」と一つため息をつく。どうやらその勝負はニンジンの勝ちで終わったらしい。
「好き嫌いしてると大きくならないぞ」
苦笑い混じりに舞華の頭に手を置いて、ポンポンと撫でる。同年代の平均から見ると舞華は若干低い方なのか、手を伸ばせば必然的に頭がちょうどいい場所にきて撫でやすい。
しかし、舞華は言葉の意味を取り違えたようだ。
「む、胸のことは関係ないでしょっ!」
両腕で胸を隠して猛犬のようにぐるぐると喉を鳴らす。
どうやら彼女は胸が残念なくらいに小さいことを気にしているらしい。オレたちの話の食い違いにさらに苦笑が濃いものになる。
「オレが言ってるのは身長の話だぞ。確かに舞華のはまな板みたいだと思うけど、本人に向かってそんな失礼なこと言うと思うか?」
瞬間、空気が凍りついた。
無表情になった彼女の全身からは凄まじい殺気が溢れ出ていた。『本人に向かって言うと思うか?』とか言いながら、ちゃっかり本人に向かって言ってしまっている奴がここに居るではないか。
自らの失言を悟ったオレは、死体のように硬直してしまい動けれない。
「誰がまな板だって?」
ゆらりと体を揺らしながら近付いてくる舞華は、拳を握りしめながら訊いてくる。だらだらと流れる冷や汗を感じながら、オレはどうにか声を絞り出した。
「すまん、間違えた、平野の間違いだ。ほら、なだらかな魅力に溢れた大平野」
「平野=地平線=ペッタンコ=まな板」
妙な等式が紡がれる。それほどに触れてはならないタブーだったみたいだ。
「そ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないか? 世の中にはそっちの方が好みっていうマニアックな男もいるわけだから、その残念さでも需要は無きにしもあらずなわけであって―――」
早口でフォローを入れるも、全て言い終わる前に硬く握られた拳がオレの顔を捉える。その拳はプロボクサーとなんら遜色のない威力を誇っていた。
当然オレは悶絶する羽目になる。
舞華はそれを拗ねたように頬を膨らませながら見つめていた。
そんなオレたちを見て、
『あらあら、同棲中なのかしら?』
『ほら、あそこ、痴話喧嘩中よ』
『まぁ、最近の若い子達は……』
などという小さなざわめきが起こり始めた。
居た堪れなくなったオレたちは、早々に買い物を済ませて脱兎のごとくスーパーを後にしたのだった。
◇
夕食は予定通りにハンバーグカレーを二人で食べていた。一般にありふれた料理だが、舞華には随分と好評のようだ。
さっきも美味しいと誉めちぎられて妙に気恥ずかしかったのは記憶に新しい。
その言葉に嘘はないようで、舞華は今も目を輝かせてパクパクとスプーンを口に運んでいる。
その仕草がやたらと可愛らしく映り、スプーンを運んでいたオレの手は止まり、自然と頬が緩んでいた。
舞華はカレーを口に運びながら片目をちらっと向けてくる。
「恭弥は食べないの?」
「あぁ、いや、食うぞ。それより、結局舞華は生徒会の方はどうするんだ?」
舞華の生徒会入り。この話を耳にした時から、ずっと気になって仕方ない。
舞華はスプーンを運ぶ手を止め、難しそうな顔をしながら訊いてくる。
「うーん……まだ迷ってるんだよね。恭弥はどうしたらいいと思う?」
オレに訊いてきた場合の答えはすでに決まっていた。
「オレは入った方がいいと思うぞ。将来的に考えると舞華は家を継がないといけないんだ。だから今の内から人の上に立つことも覚えた方がいい」
それがオレの考えだ。
将来を鑑みればそれが妥当だろう。舞華は天堂家の一人娘だ。それ故に人の上に立つことを覚えておかなければ、将来に人の上に立った時に困ることだろう。
頭が三人居るとはいえ、オレも三ツ首ノ猟犬のトップに立っているだけに、人の上に立つことがどれだけ大変か知っている。
誰もが認める人望や実力がなければ、人を率いることは出来ない。
それに引き替え、認められれば自然と周りの人は信じて着いてきてくれる。
それは過去に痛いほど経験してきた。舞華も早い内に慣れておかなければ、将来的に困ってしまうだろう。
だからオレ的には舞華の生徒会入りは賛成だったりする。
「確かにそうだけど、人の上に立つって難しそうで……。それに恭弥はいいの? 凛さんにバレちゃうかもしれないんだよ?」
「あぁ、オレのことはもう別にどうでもいいんだ。後のことは考えているから」
もうすでにバレた時はどう身を振るか考えている。その筋書きが迎える結果は最善であり、互いに望まないものになるだろう。それでもそれは決定事項だ。
「……うん、分かった。私は生徒会に入るよ」
「いい選択だと思うぞ」
「それで恭弥は生徒会に入ったりしないの?」
「は?」
舞華のその問いに、思わずスプーンを落としかけてしまった。
いやいや、流石にその質問はないだろう。何故にオレが生徒会に入る必要があるんだ。
確かにオレは三ツ首ノ猟犬で人の上に立つことに慣れているし、事務系の仕事も出来る方だと思う。
だけどそれはあくまで世界最強の部隊である『三ツ首ノ猟犬の序列第一位・オメテオトル』としてだ。
今はその肩書きは一休みさせている。
当分の間は一介の平凡な男子高校生。凪城学園の一年生である東雲恭弥として、短い学生ライフを楽しもうと決めている。
こっちの生活でまで、堅苦しい書きを背負いたいとは思わない。だからこそもっともな理由をつけて遠慮した。
「オレは入らないよ。凛姉の事もあるし、何よりパッと出のオレじゃ誰にも認められないだろうからな」
言い訳だがそれが妥当だろう。転入してきたばかりの奴が学園の実権を握る生徒会に入ったら、少なからず顰蹙を買うこと間違いなしだ。
生徒会長に呼び出しをされただけで、あんなにも好奇の視線や陰口を叩かれたんだ。それが生徒会なんて入ろうとしたら、絶対に面倒なことになると断言できる。
余計な面倒事は嫌いだ。
「そんなことないと思うんだけどなぁ。今の恭弥には凄い魔法があるんだし」
凄い魔法、か。本当にそう思っているらしい舞華に、苦笑いがこぼれてしまう。
「あの魔法はよっぽどの事がないと使わないって決めてるんだ。あれは本来なら、使っちゃダメな魔法だからな」
「神喰らいと白の世界だっけ? 見てただけじゃ分からなかったけど、一体どんな魔法なの?」
「どっちも起源に干渉する魔法だ」
「それだけだとよく分からないんだけど……」
不満気にしている舞華には悪いが、不用意に説明していいものではないのだ。
神喰らいは、本来は森羅万象の全てが一つだった事を前提として創った魔法である。
オレの中にある記憶の断片から見るに、全ての存在は、オレに宿っている『創造神』が起源にあたる。だから無数に枝分かれしたものの起源を辿っていけば、自ずと『創造神』にたどり着く。
故にその存在の特性や性質が分かれば、元々あるのが正しい『創造神』の一部として還元することが出来るのではないか。そう定義して創った魔法だが、それは正しかったらしく、神喰らいは魔法として成り立った。
因みによく勘違いされるのだが神喰らいという名前は、神を喰らうという意味合いではなく、対象を喰らって『創造神』の一部として返還させるという『神が喰らう』という意味合いを込めている。
しかし、そこで返還させたものは、自分の力としては使えないのが残念なところだ。相手の魔法などを返還しても=自分の魔力や魔法が増えるなんてことにはならない。
これはなぜかというと、元々の総量が決まってるからに他ならない。簡単に言えばパズルと表すのが無難だろう。
例えば、枠が付いていて、全部で百ピースある長方形の形をしたパズルがあったとする。その内、半分のピースが行方不明になった。
その場合にオレがするのは、ピースを探して、パズルを完成させていくことだ。そうすることで本来の形を取り戻せる。
だけど、よく考えてみてほしい。元々から枠が在るということは、ピースが足りなくても、完成した長方形自体の形は保っていられるということだ。長方形を保とうとだけ考えれば、そこに他のピースは必要ない。
つまり、何が言いたいのかというと、返還させればそれだけ『創造神』か完全に近付くが、返還させたところで完全に近付くだけであって、枠組みであるそのものの性能やオレのスペックが向上するわけではないということだ。
次に白の世界について。
これは世界の始まりを模して創った魔法だ。
世界の起源を辿っていけば何もない世界。生物も、物も、景色も、色も、魔力すらない。全てが存在しないどこまでもまっさらな世界。
それが『創造神』の魔法にて創られる前の世界の始まりの姿だと考えた。
この魔法を発動した時点で、そこに在るがそこには無い世界へと飛ばされる。矛盾しているようだが、これは事実としか言いようがない。
簡単に言えば、何も存在していない同時列平行世界にでも飛ばされると思ってもらえばいい。
そこでは起源から遠い存在は力を無くしてしまうため、それらの存在は意味をなさない。そう定義して創った魔法だ。
この神喰らいと白の世界は効果は絶大だが、軽々しく使える魔法じゃない。なにしろ現存する魔法の中でも最強最悪の性能を持つ魔法だ。
そのため、規模にもよるが、一度使うだけでおおよそ一月分の天命が削られてしまう。
この前の姉さんからの電話で言っていた二月分は、神喰らいと白の世界を各一回ずつと、その他の魔法を合わせて二月分という勘定だ。
これに比べると、天城院との模擬戦で使った魔法の代償としては微々なものだが、それでも日頃から無駄に魔法を使いたいとは思わない。
「とにかくオレはよっぽどの事がない限り、今後は魔法を使うつもりがないんだ。だから生徒会入りは無理だな」
舞華が諦めてくれるように、オレはそうキッパリと言い放った。すると舞華はしゅんと肩を落としてしまう。
「そっか……恭弥と一緒に居られる時間が減っちゃうのは残念だな……」
「――――っ!?」
ヤバい。今の一言は破壊力がすごかった。
柄にもなく飛び付き、舞華をぎゅっと抱き締め、頭を撫で回したいという衝動に駆られた。
しかし、そうするわけにもいかず、結局はテーブル越しに頭を撫でるだけに留める。
「そう言って貰えるとここに残って良かったと思えるよ。それにオレたちは同じ家で暮らしてるんだ。一緒に居る時間なら沢山あるだろ?」
「うん、そうだね」
舞華はオレの言葉に笑みを浮かべて頷いた。
それを見たオレは、心の底から思ってしまう。
出来ることならば、毎日が今日のような日々であればいいと。
「よし、じゃあ、早速一緒に風呂にでも入るか!」
「え、えぇ!? いきなり何言ってるの!?」
声を大にして冗談を飛ばせば、同じように声を大にして驚く舞華。
「いや、流石に冗談なんだから、そこまで驚かないでくれよ」
「――――っっ!? もうっ! 恭弥のばかっ!」
再び大きな声をあげ、憤然と抗議を申し立てる舞華を宥めながら、本日の夜は更けていった。




