お誘い
「――――であるからして、魔法では『存在』『干渉』『改変』の主に三つの要素が重要視されている。これは研究者の長年の成果によって科学的に解明されたものであり、まず『存在』と言われるものは――――」
現在は二限目の魔法理論の授業中。
オレは机に乗せた両腕に顔を埋めながら、授業担当の教師の言葉を右から左へと完全に聞き流していた。
今、授業で習っている内容は大まかに説明するとこんなところだ。
第一に存在。その存在がどんな性質を有しているのか、どんな形状をしているのか、どのくらいの質量を持っているのかを定義するもの。
第二に干渉。この世界に存在している質量や強度が、どれだけ世界に関わっているのかを定義するもの。
第三に改変。今そこに存在しているもの、存在していないものを、どのくらいの規模で新たなものとして顕現させる事が出来るのかを定義するもの。
魔法の三要素については以上。
これらから分かるように、『存在』『干渉』『改変』が魔法を発動する際に重要視されている。
魔力を媒体としてその存在がどんなものなのかを把握し、それが世界にどう干渉しているのかを明確に理解し、そのものを自分の意思により顕現させる。
それが一般的に社会の中で教授される魔法のメカニズム。
これを今の授業でやっているが、この程度の基礎知識なら既に取得していた。世界最強の一角の座を任せられている以上、これくらいは知っていているのが当たり前である。
……それにしても今日はどうも駄目だ。既知の知識をただ聞いているだけというのも理由の一つだが、魔力の暴走という出来事のせいで脱力感と押し寄せる眠気が凄まじい。
何度目かも分からない欠伸を噛み殺しつつ授業を受けていたのだが、次第に瞼が重くなり始めていた。
やはり今日は何かしらの理由をつけて休むべきだったかもしれない。あまり本調子と言えないこの肉体は、休息や睡眠を求めている。
その身体を酷使するのは、負担に他ならなかった。
これが少し前までなら相棒と呼べるだけの人物が暴走を止める役目と、この気だるさを取り去る役目をやってくれていただけに今の状況が億劫だ。
今すぐ責任者を呼んでこい。オレが直々に文句を言ってやる。なんて思うが、ツッコミ役が居なくてはボケにもならない。
そんなことを考えている間にも、授業の内容を話している教師の声が遠ざかっていく。
ゆっくりとゆっくりと瞼が降り始める。
そうして遂には意識を手放してしまった。
◇
どれくらいの時間が経っていたのだろうか。
「恭……きて……う……み……」
誰かの声が遠くから聞こえてくる。
一体誰の声だろう。かなり最近になって聞きなれた声。最近になって自分の近くに居る人の声。
駄目だ、分からない。声の主を特定しようとするものの、いかんせん身体の機能が働かない。随分と負担がかさばっているようだ。
「恭弥……て…………休み……」
さっきよりも近く感じるその声。
うつらうつらとしていると、その誰かは身体を揺すり始めた。次第に霞がかった意識もはっきりとしてくる。
「恭弥起きて。もう昼休みだよ」
もう昼休みなのか……。
うっすらと瞼を開けた。そこには呆れたように嘆息している舞華、秋人、武の三人の姿があった。
「やっと起きたね」
秋人が三人の気持ちを代表するように呟く。
「悪いな、舞華と秋人、ついでにポチ。余計な手間かけさせちまって」
欠伸を一つ噛み殺してから三人に謝った。
武の「ポチって俺のことじゃないよな!?」とハイテンションなツッコミをもらったが、「ハイハイ」と適当に流す。
ハイテンションなだけにハイハイと肯定――阿呆か。
どうやら本当に頭が働かないみたいだ。くだらないことしか思い付かない。
……いつも下らないだろ、とかツッコミはいらないからな。自覚はしているつもりだ。
まぁ、それはそこら辺に置いといて。
今が昼休みということは、二限目の魔法理論から四限の終わりまで丸々眠りこけていたことになる。その甲斐あって多少の疲れは取れたものの、身体に蔓延る怠さは未だに消えていなかった。
「本当に手間かけて悪かった」
「いいって、気にすんな。それより早く学食に行こうぜ」
相変わらずの高いテンションでニカッと笑いながら許してくれる武。他の二人もそれを肯定するように小さく頷いてくれていた。オレは本当にいい友人を持ったらしい。
「そうだな」
そう返事をしてから席を立ち上がる。
と、その瞬間。急に足元がふらついて、身体ごと倒れそうになってしまう。
それを慌てて机に手をついて身体を支えることで、どうにか倒れずに済んだ。
やはり身体は正直らしい。どんなに平気な風に装おうが、肝心な身体がついてきていない。
「恭弥、顔色悪いけど大丈夫?」
そう心配してくれたのは舞華。その顔には心配そうな面持ちが浮かんでいた。
「大丈夫だ。寝起きだからそう見えるんじゃないか?」
舞華の心配を払拭するために笑みを浮かべてそう言った。
すると舞華は、ほっとしたような表情で「よかった」と呟きを漏らす。
そして、それを冷やかすようにニヤニヤして見ている秋人と武の二人が眼前に居る。
なにやら嫌な予感がした。
「なんか恭弥と天堂さんって急に仲良くなったよね。いつの間にかお互いを名前で呼びあってるし。もしかして付き合ったりしてるのかい?」
案の定、爆弾を投下した秋人。それは軽く原子爆弾並の危険さをはらんでいると想定される。
投下主である秋人の顔からは、面白そうと思っているのがありありと伝わってきていた。人を弄って楽しもうなんて、見た目によらず腹黒いやつだ。
「つ、つつ、つつき、つつきあって!?」
見事に被弾した被害者の少女が一人。真っ赤になり面白いように狼狽し始めた舞華は、いまにも爆発してしまいそう担っている。
だが、それを見て安心した。オレが見た限り、秋人も冗談を飛ばすくらいには馴染んでいるようだ。
もともと舞華はいいやつである。本来なら大勢の友達に囲まれていてもおかしくはない人柄。
それにも関わらず友達が少ないのは、家柄のせいとしか言いようがない。
日本屈指の魔法の名家。その肩書きが近寄りがたさを与えていた。
しかし、蓋を開けてみれば簡単な話だ。秋人達の人柄も手伝って、舞華は二人とも打ち解けることが出来たらしい。
秋人に至っては今のようにからかうほど。それくらいにはお互いに馴染んでいると考えてもいいはずだ。これなら友達が少ないという問題も、時間が解決してくれることだろう。
祖父母が孫を見守っている心情はこんな感しかもしれないな。
そう思って頬を緩めていると、秋人の矛先は舞華だけでは飽き足らず、オレの方にまで及んできた。
「ほら、天堂さんも満更そうじゃないよ。恭弥は告白したりしないのかい?」
オレの返答を興味津々といった様子で返事を待っている秋人と武。どこか期待したような様子で視線を向けてくる舞華。
オレは三人に向かって冷めた口調でキッパリと言い放った。
「それはないな。オレは誰かに告白するつもりは無いし、されたいとも思わない」
今のオレにはそういったイベントなんて微塵も必要無い。
いや、その表現は違うか。もうする必要がない、と言った方が適切なのだと思う。
オレの言葉を聞いていた舞華は、なぜか捨てられた仔犬のような表情になって「そ、そんな」と呟いている。
それを見かねたように秋人達は、ぽんぽんと慰めるように優しく肩を叩く。
「どうしたんだ、舞華? そんなに落ち込んで」
舞華の突然の変化が気になり訊ねたところ、
「恭弥ってすごく鈍感なんだね……」
と秋人に呆れられてしまった。
「そんなことないぞ」
秋人の失礼な物言いにムッとしてしまう。
これでも仕事柄の手伝いもあって、かなり敏感な方と自負している。悪意や敵意を向けられれば、すぐに気付けるという自信があるほどだ。よって鈍感なんて言葉をかけられる理由は一寸たりとも見当たらない。
「はぁ……これは大変そうだ。天堂さんも頑張ってね」
なぜか舞華を励ましている秋人。顔を真っ赤にしながら頷いている舞華。オレに生暖かい目を向けてくる武。
三人は今のやり取りで通じているらしい。だがオレには状況がさっぱり理解できない。
完全にアウェーで孤立した状況。なんだか逃げたくなる空気になってきた。
このよく分からない空気から離脱するために本来の目的を促す。
「それよりも早く学食に行かないか?」
「そうだね」
「ああ」
「うん」
それに三者三様に肯定した舞華たち。
それを確認してから四人で学食へ向かうために歩き出した。
◇
こうして見てみると、オレが転入してから一週間にして早くも行動を共にするメンバーが固まりつつあった。
幼馴染みの舞華を筆頭として、転入初日に声をかけてくれた秋人と武。そこに自分を足した四人で最近は行動している時間が多い。
男女の比率が3:1と随分と偏っているが、少数側の舞華も気にした様子が無いので、特に重要な問題では無いだろう。
オレにとってもこのメンバーをアタリかハズレで例えるならば、断然アタリに分類されるのだと思う。
舞華は幼馴染みなこともあって気兼ねなく接することが出来るし、秋人や武も遠慮せずに言い合えるやつらだ。
自分がどんな性格をしているか自覚しているだけに、高校生活で初めての友達がこの三人で良かったと心から思える。
出来れば友好関係を広げていきたいとも思うが、少なくともこの三人と居れば学園生活を楽しく過ごせるとそう思っていた。
だけどこのふざけた現実は、オレに安寧な生活を許してくれないつもりらしい。
「恭弥……」
隣に居る舞華はオレの制服を指先で小さく掴み、不安と困惑の入り交じった眼差しでこちらの顔を見ている。
かくいうオレも予想外の出来事に、焦りや困惑などの感情が渦巻いていた。
「どうしてこうなった……」
誰に問うのでもなく、そう呟いてしまう。
その呟きに反応した人物がいた。
「どうかしたのかしら?」
そう聞き返してきた人物は、舞華でもなければ、秋人でも武でもなかった。
現在オレ達は学食の席に座っている。そこに座っている人数は三人だ。
更に言うならこの場に秋人と武は居ない。あの二人は今現在この場から席を外していた。いや、むしろ逃げたと言った方が正しいか。
学食に着いた瞬間に、
「自分達は邪魔になるだろうから」
などと言い残して一目散に逃げて行ったのだ。
あの二人が居ないならばオレと舞華の二人になるはずだ。それにも関わらず三人なのは、ある人物が同席しているからであった。
オレはその人物に向かって愛想笑いを携えながら応対した。
「なんでもないですよ」
「そう」
短くそう返し、紅茶を啜るその姿は、本人の纏う雰囲気と相まって華やかさを感じさせる。
興味を引く要素はそれだけでは飽き足りない。
きらびやかに伸ばされた髪は、燃え盛る紅蓮を体現するような鮮やかな赤。髪と同色に染まった双眸は、まるでルビーを彷彿とさせる輝きを放っている。
そこに非常に端整な顔立ちやメリハリの効いたスタイルなどという美を構成する要素が加わり、周りの視線はその人物にくぎ付けになっていた。
オレはその人物に向かって訊ねる。
「それで天月先輩。今日はどういった御用向きですか?」
そう、今オレと舞華と同席しているのは、かつての身内であり実の姉であった人。凛姉こと天月凛だ。
彼女はオレ達が学食に来るのを見越してか待ち伏せしていた。
そして同席を求められた瞬間、秋人と武はオレらを見捨て、声をかける間もなく二人で逃走。言葉に出さず、アイコンタクトで「頑張れ」と述べ、グッと親指を立ててサムズアップを向けられた。
この時初めて二人を恨みたくなった。そのせいでオレと舞華は凛姉と同席するはめになり、オレはとても苦い気分になっている。
内に秘めたる心情を隠しながら、オレは終始笑みを張り付け続けていた。
彼女は紅茶の入ったカップを置き、澄み渡るように涼やかで、聞くものを魅了するような声を発した。
「前回会った時に、また今度お茶でも飲みながらゆっくりとお話ししましょうって言ったじゃない。だからそのお誘いに来たの。今日の放課後あたりにどうかと思ってね」
その言葉に頬が痙攣したように引きつった。
まさか凛姉がこんなに早く誘いに来るとは思っていなかったからだ。
先週に出会って、その別れ際に告げられたのは覚えている。
しかし、その相手は別の学年。それにも関わらず、待ち伏せまでして誘いに来るとかバイタリティー高過ぎだろ。
あの時に機会があれば是非誘ってください、なんて言うんじゃなかったな……。
自分の発言に後悔していると、その心を知らざる凛姉は続けた。
「それと拒否権はないと思うわよ。私だけでなく、生徒会長が貴方に会いたいらしいから」
その言葉に周囲の空気がピリッとしたように張り詰めていく。
寄せられるのは好奇心。
そこでようやく気が付いた。いつの間にか複数の野次馬が、オレ達の居るテーブルを囲って聞き耳をたてていた。
……こいつら常識ってものが無いのか。他人のしている会話を盗み聞こうだなんて良い趣味してやがる。
野次馬に内心で苛立ちながらも、爽やかな笑みを浮かべて毒を吐く。
「拒否権が無いなんて随分と横暴ですね。ここの生徒会長がどれだけ偉いのかは知りませんが凄く不愉快だ。それとも先輩方の中ではそれが普通なんですか?」
オレの言葉に周囲の野次馬がざわめく。
心の中で黙ってろよ、と吐き捨てた。
今の状況には本当にうんざりしている。凛姉と同席しているだけでも冷や汗ものなのに、拒否権無しの呼び出し、周囲の野次馬の好奇の視線やこそこそとした会話。
それらの要因が苛立ちを募りに募らせた結果、若干キレかかっている。
大体ここの生徒会長は、人の都合も考えずに拒否権無しの呼び出しをするとか何様だって感じだ。
せめて「都合がよかったら来てくれ」的なニュアンスの呼び出しだったなら話は別だった。
だけど「会いたいから来い」という身勝手な呼び出しならば、オレは従うつもりは毛頭ない。
「今日は体調が芳しくないので遠慮させて貰います。オレの都合のいい時にしてくれるのなら行ってもいいですよ」
あくまでそっちの意思には従うつもりが無いことを遠回しに伝えた。凛姉は引きつった笑みを浮かべながらも訊ねてくる。
「いつ頃なら都合がいいのかしら?」
「そうですね。最低でも一週間は空けてから来て欲しいですね」
それだけ告げて席を立った。
あともう少しで昼休みも終わりを迎える。そろそろ教室に帰らなければ授業に遅刻してしまうのだ。
「それでは失礼します、天月先輩」
軽く会釈をしてから、舞華を連れて学食をあとにした。
そのまま早足で教室へと戻るべく歩く。やはり学食だろうが廊下だろうが自分を取り巻く環境は変わらないらしい。
周囲から向けられる好奇の視線やこそこそ話す声が耳につく。その内容は主にあげると三つだ。
曰く、転入初日に天族の人間を相手に喧嘩を売った挙げ句、ボロ雑巾にした悪口鬼畜野郎。
……なんで最後が罵倒なんだ?
曰く、舞華や凛姉みたいな名家の人間に対し、微塵も敬意を払わない怖いもの知らずな転入生。
……普通に接しただけでか?
曰く、転入して来てから、たったの一週間で名家のお嬢様を籠絡した銀髪プレイボーイ。
……その噂を広めたやつは見つけ次第に全力で殴ってやる。
とまぁ、そんな感じだ。本当に迷惑かつ遺憾極まりない。
「ったく、どうしたもんだか……」
教室の最後列かつ窓際の席という最高のポジションに辿り着いてから、ぐったりと机に突っ伏して弱々しく呻いた。
ここは他の場所よりも視線などが少なくてありがたい。
むしろちらほらと心配してくれるような奴が居てくれるほどだ。ここだけがオレにとって、学園内での安息地らしい。余計な疲弊をせずに済む。
「恭弥、大丈夫?」
心配気にかけられる舞華の声に、のろのろと顔を上げて視線を通わす。
「人の噂も七十五日って言うから、まぁ、なるようになるだろ。舞華もあんまり気にするなよ」
「うん」
舞華が一つ頷き、自分の席に戻った事を確認してから、再び突っ伏して腕に顔を埋める。
凛姉との邂逅とその後の未来。
そこで生まれる分岐点。何が正解で何が間違いなのか。それを知る由はない。
「まぁ、なるようになるだろ………」
もう一度自分に言い聞かせるように呟いた後、淡い眠りに落ちた。




