朝の風景
ここから二章スタートです
カーテン越しの眩しい朝の光で目が覚めた。
枕元の携帯を手繰り寄せ、ディスプレイを見ると時刻は午前8時前と表示される。
この時、オレはこう思った。
まだ起きたくはない。まだ寝ていたい、と。
それは精神的な欲求ではなくて、あくまでも肉体的な欲求。先日の魔力の暴走のせいであまり本調子と言えないこの身体は、未だに睡眠を求めていた。
そんなオレの取る次の行動といえば。
「……ねむい」
早々に二度寝することに決め、再び枕に頬を預け、もぞもぞと目深に布団をかぶる。
ほんわかした布団と枕の心地よい弾力に身を委ね再度ウトウトと微睡み始める。やはり睡眠こそが人類の至高であると言えるだろう。
沈んでいく意識の中。控えめのノックが聞こえた。
「恭弥、起きてる?」
ぼんやりした意識の中で届く声は、ひどく懐かしいものでとても心地が良い。それにより更にぼんやりとした意識は遠退いていく。返事はもちろんしない。
すると、「入るからね」と断ってから、ガチャリと扉の開く音がして誰かが部屋に入って来た。
迷いの無い足音。
その誰かは部屋に入ってからカーテンを開いて、眩しい朝日を部屋に呼び込み、「よし」と短く呟いた。
それからオレの体をゆさゆさと揺さぶりながら、柔らかい声で起きるように促し始める。
「もう朝だよ、起きて」
その柔らかな声と揺さぶりはとても心地が良く、更に深い微睡みを誘う。
「あと5分……」
半ば寝ぼけながらそう返すと、
「だめだよ」
「早く起きて」
「学校に遅れちゃう」
などと、声の主は揺さぶりながら柔らかい声でしばらく続けるが、睡眠を求めているオレの身体はまったく起きる気にならない。
ふと揺さぶりと声が止んだ。
しばらくして、「まったく」と焦れたような声が聞こえた気がした。
やっと静かに眠れる。そう思った次の瞬間のことだ。
ボスンッ!
腹部の辺りに淡い重みがかかり、少し息が詰まった。
突然の出来事に眠気が吹き飛び、意識が一気に覚醒していく。
がばっと布団からと顔を出して、何が起こったのか確かめると、オレの腹部に馬乗りで座っている少女と目が合った。
わずかに蒼みがさし、それ自体が一つの宝石のように綺麗なぱっちりとした瞳。すっと通った形のいい鼻筋。桜色をたたえた柔らかそうな唇。
何より印象的なのは後ろで束ねられた黒髪で、それは朝日を受けて黒曜石のようなキラキラとした輝きを放っていた。
この少女の名前は天堂舞華。私立凪城学園に通う一年生であり、何故か一つ屋根の下で同棲することになったオレの幼馴染みでもある。
「目が覚めた?」
「……あぁ。おはよう、舞華」
「おはよ、恭弥っ」
オレが欠伸を噛み殺しながら答えると、舞華はとびっきりの笑顔で返してきた。射し込む朝日にも負けないくらい眩しい笑顔を向けられ、思わず目を逸らしてしまう。
「ん? どうしたの恭弥?」
「なんでもない」
不思議そうに訊いてくる舞華に短く返してから、気だるい身体を起こそうと身を捩った。
そこで舞華が上に乗っているせいで、身体を起こそうにも起こせれないことに気が付く。
退いてくれるのを待っていても、舞華は一向に退いてくれない。
少し苦しくなってきたので、取り合えず退いてもらおうと思って口を開いた。
「なぁ、そろそろ重いから退いてくれないか?」
「お、おも、重……っ!?」
オレの発言に愕然とする舞華。
なぜか急にムッとしたような表情になった彼女は、グイグイと身体を揺すって更に体重をかけ始めた。
何がしたいんだ、こいつは。
呆れ半分に成すがままになっていると、先程よりも感じる息苦しさと同時に腹部にぷにぷにした柔らかい感触を覚える。
それが何かなんて少し考えればわかった。
……これは間違いなく舞華のお尻だろう。
舞華が身を揺する度に、腹部に当たる弾力のある柔らかな感触が当たり、オレの身体を刺激する。
「だ、誰が、重いって……!?」
どうやら舞華はそうとうお冠らしく、次第に揺さぶりが激しくなっていく。
振りに合わせて、ギシッギシッ、とリズミカルな音を奏でるベット。激しく動いていることもあって、なめらかな頬は桃色に上気してきていた。
その姿は、本人にそんな気は無いだろうが、オレの上で腰を振っているようにも見えてとても……アレな感じに映る。
舞華が身に付けている服装が学園の制服というのもあって、それを更に感じさせていた。一種のイケないプレイみたいだ。
なおも続く舞華の猛攻。
軋むベットの音、上下に動く度に当たる柔らかい感触、上気した頬と荒い息づかい。
それらを間近で感じているオレとしては次第に気恥ずかしさ覚え始め、遂に耐えきれなくなってしまう。
目をそっと逸らしたオレは、冗談混じりに退いてくれるように頼み込んだ。
「頼むからそこから退いてくれ。舞華と違って、オレには朝から大人の運動会を開く元気はないんだ。どうしてもしたいなら夜まで待ってくれ」
「何を言っ―――っ!?」
舞華は今の状況から、オレの言わんとすることを察したのだろう。瞬く間に真っ赤になり、オレの上から弾かれるように飛び退いてくれた。
よし、これで身体が自由になった。次にするアクションなど当に決まっている。
舞華が上から退いた事を目で確認したオレは再び布団をかぶった。
しかし、その動作は真っ赤な顔をしている舞華に布団を引っ張られ、温もりを失う形で失敗に終わってしまう。
「なにするんだよ……」
「なんでまた寝ようとしてるのっ!」
強い語気と共に、オレを覆っていた布団は完全に引き剥がされてしまっていた。心地よい温もりが離れていくことに一抹の残念さを感じる。
「オレは寝たいんだ。寝かしてくれ。むしろ勝手に寝る」
「だめだよ。今寝たら学校に遅刻するじゃない」
オレの心からの抗議に対し、ごもっともな意見を返してくる舞華が恨めしい。
「じゃあ、あれだ。今日は腹が頭痛で動けそうにない。だから休む」
「どうやったら、お腹が頭痛になるの! どう考えても仮病じゃないっ!」
しょうもないボケにもノータイムで的確にツッコミを入れてくる舞華。そんな彼女に感服してしまう。
「流石は舞華、ツッコミが板に付いてるな。将来はその道に進んでみたらどうだ? 間違いなく売れるぞ」
「嫌に決まってるでしょ! なんで私がそんなことしないといけないのよっ!」
「それはお前がツッコミの星という逃れられない運命のもとに生まれたからだ。そして、ゆくゆくはツッコミの伝道師と呼ばれ―――」
「ませんからっ! 大体ツッコミの星って何!? そんな星、見たことも聞いたこともないわよっ! それとツッコミの伝道師とか、明かに私のこと馬鹿にしてるよね!?」
全て一息で言いきり、ぜぇぜぇと肩を上下させる舞華。
それを見て、オレは思ったことを言った。
「朝からテンションが高いんだな」
「誰のせいだと思ってるの!?」
再び直ぐ様に切り返してくる。実に良いリアクションをとってくれるものだ。ボケる側としても冥利に尽きる。
その反応に十分満足したオレは、面倒くさいながらも仕方なく起きることにした。
「よっこらせっと」
気だるい身体を起こしてベットから降りて、二本の脚で立ち上がる。
一つ大きな欠伸をしてから、壁にハンガーでかけてある制服を手に取り、机の上に置いた。
それから身に付けている寝巻き用の上着を脱ごうとし、そこでふと気が付く。
舞華がまだ部屋の中に居たのだった。振り向くと舞華はオレの方を見つめているようだ。
そこでいいことを思いつく。
オレは上着を少しだけ捲り上げた。
「そんなにジッと見てるけど、もしかして着替えが見たいのか? 起こしてくれたお礼に少しくらいならサービスするぞ?」
と、からかう様に声をかける。
すると効果は覿面。舞華は再び真っ赤な顔になり、ひどく慌てた様子で部屋を飛び出していく。何もない所で転けそうになるほどの慌て様だ。
その慌てぶりに小さく笑ってしまった。相変わらずからかい甲斐のある奴だ。
朝から幼馴染みに起こされる。昨日までとはまったく違う朝の風景。こんな新鮮な目覚めも悪くない。
口元を綻ばせながら手早く着替えを済ませ、自分の部屋を出た。そのまま階段を下り、一階の洗面所にて顔を洗い、ついでに跳ねている寝癖を直す。
オレがこちらに帰って来てから一週間。請け負っていた仕事のせいで、毎日が気疲れする事ばかりだった。
だがそれは先日までの話だ。誘拐騒動をしていた組織を完全に潰したことにより、請け負っていた仕事は満期終了。
今日からは仕事も何も関係無い。普通の学生が送っているような生活を謳歌することが出来るのだ。
せめて今日からはいい日になればいいな。そう期待に胸弾ませるオレだった。
◇
現在は学園に向かう通学路。オレの抱いた淡い期待は、早くも雲行きが怪しくなっていた。
隣を歩く舞華はご機嫌斜めの様子。顔をこちらから、つんっ、と逸らし、怒ってますと言外に表していた。
どうやら時間的な問題で、家で朝食を摂る暇がなくなったのが原因らしい。
そこに重ねて、
「それならオレを起こす前に自分で作っとけばよかったんじゃないか?」
と、何気なく口にしたのがダメだった。
オレはある事を失念していたのだ。そのある事とは、実は舞華は料理が出来ないということ。
それにも関わらず、本人に向かって直接そんな事を言ってしまったのだから、さぁ大変。涙目になって暴れる舞華を宥めることに時間を使い、少ない時間を更に削ってしまった。
それにより今日の朝食は道中で見つけたコンビニで買ったオニギリになってしまい、今に至る。
てくてくと歩きながら、小さな口でコンビニのオニギリをパクパクと頬張っている名家のお嬢様。それは中々にシュールな光景である。
「オレが悪かったって。そろそろ機嫌直してくれよ、な?」
オレは何度目かも分からない謝罪をした。
だが相変わらず舞華は、ムスっとした表情でそっぽを向いてしまう。
同じ家で暮らしている以上、このままだと家の空気も悪くなってしまう。だからどうにか改善をはかりたい。そう思ったオレは手を合わせて頼み込む。
「オレに出来る事ならなんでもするからさ」
「……なんでも?」
その言葉に初めて反応を示した舞華。ようやく反応らしい反応を得られたことに、オレはこれ見よがしに頷いた。
「あぁ、なんでもだ」
「うそじゃないよね?」
「もちろんだ。こんなことで嘘はつかないって」
「うーん、それじゃ……」
舞華は人差し指をちょこんと口許にあてて考え始める。その姿を見て、無理なお願いにならないといいな、などと考えてしまうのは仕方ないだろう。
むこう三年間のパシリをしろ、往来の場で全裸で土下座しろ、鋭い刃物で切腹をしろ。どれも人として大きなダメージを被る。
無理難題な条件が出てこないか怯えていると、不意に舞華が近付いきた。
オレは頭の上に『?』を浮かべて静観。
すぐ近くまできた舞華は、僅かに躊躇する仕草を見せていたが、その躊躇を振り払い、オレの腕をとった。
「それじゃあ、これで許してあげる」
ふわりと漂うミルクみたいな甘い香り。オレの腕に絡む細い腕。ゼロになる二人の距離。
どれをとっても異性であることを意識させられる。
そして同時に、だ。
「お、おい」
二の腕に当たる温かくて柔らかい感触に思わず狼狽してしまう。
歩く度に感じる、小さいながらもふにふにとした柔らかな感触が実に悩ましい。
「一度こうしてみたかったんだよね」
えへへ、と無邪気な笑みを浮かべる舞華は先程までと違い、えらくご機嫌の様子であった。なんとも切り替えの早いやつだ。
自然にオレは頬を緩め、気が付いた時には舞華に手を伸ばしてそっと撫でていた。それが気持ち良かったのか、舞華は嬉しげに目を細めていく。
後ろでまとめているポニーテイルが揺れる様は、さながら仔犬が尻尾を振っているような愛嬌を感じさせていた。
ようやく舞華の機嫌の直ったところで、学校に着くまでにしておきたかった話を切り出すことにした。
「なぁ、舞華。一つ頼み事があるんだけど聞いてくれないか?」
「頼み事? 私に出来る事なら別にいいよ」
「オレがさ、この前まで天月恭弥じゃないって嘘ついてただろ。その理由を覚えてるか?」
「うん。確か天月家に関わりたくないからだったよね?」
「あぁ、そうだ。んで頼みってのは凛姉の事なんだ」
凛姉の名前を聞いて、はっとしたような表情を浮かべる舞華。おそらく今からオレが言わんとすることを察したのだろう。
せっかく機嫌を戻したばかりなのに、再び悪くなってしまわせるかもしれない。それでもしたい大事な話だからこそ続けた。
「オレは限界まで嘘を突き通すつもりでいる。だから舞華も凛姉には黙っといて欲しいんだ」
オレの頼みを聞いた舞華は、複雑そうな顔をしていた。
それも当たり前だろう。舞華にとっても凛姉は実の姉も同然の人。そのような人に対して、本当の事を知っていながらも黙っているのはいい気がしないはずだ。
「……どうしても隠さなきゃダメなの?」
「オレだって凛姉に嘘を吐き続けるのは嫌ださ。でも、これはオレ自身の我儘だけど、それが凛姉のためにもなるんだ」
「凛さんのため?」
オレの我が儘が、凛姉のためになると言われてもすぐには理解出来ないことだろう。だから理由を理解出来るように、順番立てて説明することにした。
「凛姉はオレが天月から居なくなった本当の理由を知らないだろ?」
天月はオレが自分から出ていったと、舞華や天堂家当主の藤十郎に言っていたらしい。凛姉は学校で偶然にも会った時、オレの正体を探るような発言をしていた。
だが真実を知っていたならその必要はない。
それにも関わらず探ろうとしていたということは、おそらく舞華達と同じように真実を知らないのだろう。
舞華もそれを肯定するように頷いていた。
「もしオレの正体が凛姉にバレたとする。そしたら凛姉はどうすると思う?」
「恭弥を連れ戻そうとする、かな」
自信なさげに答える舞華。
しかし、それで正解だろう。凛姉は差別されていたオレにすら優しかった。その凛姉がオレの正体を知れば、絶対に天月に連れ戻して居場所を作ろうとするに決まっている。
勘違いしないで欲しいのだが、これは自惚れとかじゃない。凛姉はそういう人なのだ。
「天月家にとって凛姉のその行動はどう感じると思う?」
「……いい風には感じないだろうね」
「だろ。オレと凛姉が接触すると真実が明るみに出るわけだ。天月にとっては厄介な事この上ない。じゃあ、真実を知った凛姉はどうなる?」
凛姉が真実を知った場合の天月の対応。そこが一番の問題なのだ。
舞華は悩んだ末に一つの答えを出した。
「……やっぱり差別されるとか?」
「それで済めば良いだろうな。最悪の場合、監禁か破門になる可能性がある」
表向きには天月は、『品性が漂い、温情に溢れている』という評価をされている世間体の良い名家。
そこにその評価を崩すかもしれない要素が出てきた場合、天月の事だ。情報が漏れないように監禁、または信憑性を削ぐ為に破門するくらいは平気でやってのけるだろう。
それが実の娘であってもだ。実際、力が無いことを理由に破門された人間がここに居る。万一にも、凛姉がそうなるのは絶対に御免だ。
「だから頼むよ」
しっかりと舞華の瞳を見て懇願した。
彼女は真面目な顔でもっともな指摘する。
「もしバレちゃった時はどうするつもりなの?」
それに対してオレは苦々しい表情で答えるしかない。
「凛姉を突き放すのが一番手っ取り早いだろうな」
最悪の場合はそうするしか無い。オレが突き放せば、凛姉もオレに関わろうとしなくなるはずだ。
そうすれば少なくとも今までと変わらない生活を送ることが出来る。
「それって……」
言葉の意味がきちんと伝わったのだろう。舞華と組んでいる腕に掛かっている力が僅かに強くなる。その顔には沈痛な面持ちが浮かんでいた。
それもそうだろう。自分が知っている真実を隠しているだけでも辛いのに、最悪の場合は大切な人が傷付く姿を見なければならない可能性があるわけだ。そう考えると精神的にかなりキツい。
「まぁ、無理だったら無理でもいい。オレが一人でやるから」
「ううん、大丈夫。でも、できるだけ凛さんを傷付けないであげて」
「あぁ、善処はするつもりだ」
そうは言ったが多分無理だと思う。丸く納められるのなら、はじめから突き放すという方法はとらない。
それでも、そうせざるおえないのは一概に天月との繋がりをオレが望まないからだ。
あちら側がこちらに干渉してこないのなら何も問題はないが、干渉してくるのなら話は変わってくる。
そうした場合、オレはあの家を潰すつもりでいるのだ。凛姉が暮らすべきあの家を。お互いの都合を考えれば、不干渉が最善だろう。
「辛そうな顔しないでよ」
舞華は組んでいる腕をほどき、そのまま背伸びしてオレの頭を撫でてきた。舞華のその動作に、オレは内心穏やかでは無くなってしまう。
顔に出していたつもりは無かったんだが、舞華の言葉通りなら酷い顔してるらしい。
オレは自分の胸元に付けてあるものに服越しに触れた。そこにあるのは、捨てられたあの日に凛姉から貰った大切な贈り物。いつも肌身離さずに持ち歩いている御守り代わりのロケットが付けてある。
それになんだか励まされた気がした。自分を近くで励ましてくれる幼馴染みもいることだ。いつまでも陰鬱とした気分ではいられない。
「もう大丈夫だから心配しないでくれ」
あと少しで学校に着いてしまう。学校に着くまでに気持ちを切り替えないとな。
そう思い、朝の新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。




