『距離』と『大切なもの』
現在は仮住まいへの帰路。オレは舞華と肩を並べて歩いている。
そこではとある現象が起こっていた。
擦れ違う人が振り返る。また振り返る。またまた振り返る。オレ達が通る度に擦れ違う人達が、面白いくらいに次々と振り返るのだ。
しかも振り返る奴等の殆どは野郎である。中には女性の人も居るが、多分これも舞華への視線だろう。
長くて艶のある束ねられた黒髪。ぱっちりと開いた蒼みがかった綺麗な瞳。幼さを残していながらも端整な顔立ち。
制服に包まれたある部分は悪く言えば残念、良く言えば慎ましやかなものの、それを感じさせないバランスの良い体つきと、そこから伸びるほっそりとした二本の脚。
そのような美が付く少女が満面の笑みを浮かべながら道を歩けば、多くの人の視線を惹き付けるのも無理はない。
ただそれは仕方ないとしても、それと同時にオレに向かって発せられる、野郎の棘々した嫉妬混じりの視線が非常に鬱陶しくて堪らなかった。
なぜこんな状態に陥っているのかというと、帰り際に舞華に家の方向を聞かれたので、素直に答えたらあっという間に今の事態の出来上がり。
護衛の仕事の利便性の為とはいえ、一緒に帰ればこうなるって事を天堂家当主にも少しは考えて欲しいものだ。
だいたい名家のお嬢様といえば、家が雇ったSPの人や執事の人に高級な車で送り迎えしてもらうものであるはず。なのになぜ何の予防策も無しに徒歩で学校を行き来させてるのか理解に苦しむところだ。
これでは自分からどうぞご自由に拐って下さいって大声で言ってるようなものじゃないか。そうでなくとも舞華は人目を惹く容姿をしているのだから、不祥の輩も絡んでくるだろう。
これからは登下校時も気を使わなければならないようだ。
自分の抜け出せない宿命を悟り、現在進行形で下がっているテンションがマイナスに突入するかの如き勢いで急降下していく。
ここはどうにかして気分を変えたいものだ。
「あ、そうだ。今からどっか寄り道してみないか?」
「……寄り道?」
何気なく頭に浮かんだことを口にすれば、舞華はコテンと首を横に倒す。その仕草そのもの大変可愛らしいのだが、周囲で身悶えしている、あるいはのたうち回っている見知らぬ男どもが鬱陶しい。
舞華には所作の一つ一つに気を付けなさいと、親心から注意したい気分だ。要らぬ面倒事だけは運んでこないでもらいたい。
「ああ。オレってさ、なんだかんだ言って友達が少ないから、友達と一緒に出掛けたり遊んだりするってことがなかったんだ。だからちょっと興味があってな」
「……と、友達」
そのワードにいたく反応を示し、話の内容事態は頭の中に入ってないご様子。
心なしか、身体がぷるぷると震えている。
「ま、嫌だったら別にいいんだ。明日にでも秋――――」
「い、嫌じゃない! 嫌じゃないよ! 私も行きたい! 東雲君と遊びに行きたい!」
言いかけた言葉を途中で遮り、叫ぶように捲し立てる舞華。ありったけの勇気を振り絞ったかのようなその姿には、嘘偽りがないことを言外に語っている。
「そっか、ありがとな、天堂」
「ううん、お礼を言いたいのは私の方だよ。東雲君と会うまで、私のことを友達なんて呼んでくれる人が一人も居なかったのに、君が来てからは変わったもん。クラスメイトの人と喋ったり、友達って呼んでくれる人と一緒に帰ったりするのってなんだか楽しいね」
舞華は笑った。嬉しそうに、楽しそうに。久しく見ていない一番の笑顔を見せる。
「そこまで喜んでもらえるとこっちとしても誘った甲斐があるってもんだ。一緒に楽しもうぜ、お嬢様?」
「むぅ、そうやっていじわるするんだね、東雲君は。私がお嬢様扱いされたくないって知ってるくせに。せっかくの気分が台無しだよ」
今度は唇を尖らせ、ちょっとだけ不満そうな顔になる。
「悪い悪い、拗ねんなって。お嬢様らしくないぞ」
「またお嬢様って言った! 東雲君のいじわる! ふん、いいんです、私は別にお嬢様らしくなくていいんです!」
本格的に拗ね始め、プインと子供みたく顔をそむける舞華。
「あはははっ、ホント、天堂ってからかい甲斐があるよな。クラスでも、そんな感じだったら、もっと友達が出来てたんじゃないか?」
「もうっ、もうっ、東雲君のばか!」
ぽかぽかぽか、と肩口を叩く舞華はそれでも怒気までは滲ませていない。言葉にしているほど怒ってはいないみたいだ。
「ほらほら、怒んなって。遊ぶ時間が無くなっちまうぞ」
「ふんだ、東雲君なんて、一人で遊んでればいいんだ」
「じゃあ、一人で遊びに行こっかなー」
「……え、本当に一人で行っちゃうの?」
途端に表情が曇る。その顔は今にも泣きそうになっていた。
思わず口をついて出たいつもの冗談なのだが、この手の冗談は失言だった。オレはすぐさま言葉を撤回する。
「行かねぇよ。一人で行ったって楽しくないじゃないか。楽しむなら、二人でだ」
オレは舞華の頭の上に手を乗せる。それから昔していたように、ゆっくりゆっくりと撫でた。
「……う、うえぇぇ……恭弥ぁ……」
予想外の展開に陥った。
舞華はあろうことに突然ぽろぽろと涙を流し始めたのだ。
急なリアクションに頭が麻痺しそうになる。
「えっ、ちょっ、舞――天堂!?」
焦りすぎて思わず名前で呼び掛けてしまったが、寸でどうにか苗字へと切り替える。それでも舞華は気づいた様子もなく、今も泣いている。
周りの突き刺すような視線が非常に痛い。
「て、天堂、ほら、行こう」
舞華の手を引き、その場から移動した。移動先は視界に映った最寄りのハンバーガーショップ。
入店後にすぐさま席を取り、泣いてる舞華を座らせた。
「注文してくるから、ちょっとだけここで待っててくれよ」
そう言ってオレはカウンターへと駆け出した。
◇
「だ、だって、東雲君が悪いんだよ!? 東雲君がいじわるしたり、頭を撫でたりするから悪いんだよ!? それに私、泣いてなんかないし!」
顔を真っ赤にしてブンブンと胸元で固めた両拳を振っている舞華。
オレは彼女のそんな姿に苦笑いしか出来ない。なんだか微笑ましいシチュエーションである。
こうなったのは、きちんとした理由があった。
あのあと無事に注文した商品を受け取ったオレは、席に戻り、時間が経って落ち着いたらしい舞華に問うたのだ。
「なんで急に泣き出したのか」と。
そしたら顔を真っ赤にして「あわあわ」と言い始め、遂にはこれだ。泣かしたという罪悪感よりも、微笑ましさが勝ってしまう。
「な、なんで笑うの! 全部東雲君が悪いんだよ!? わかってるの!?」
「でも、頭を撫でるのって悪いことなのか?」
「悪いに決まってるじゃない! 急に頭をさわられたら誰だって驚くでしょ!?」
「でも、急に泣き出して『……う、うえぇぇ……恭弥ぁ……』って」
「わ、わー! わー! わぁー!」
……どうやら、アレは無かったことにしたいらしい。
それよりも、大声を出したことで周囲の視線を独占してることを気がついて欲しいものだ。
「だ、だって仕方ないじゃない! 不安になって、自分の言ったことに後悔してたのに、あんなに優しく頭を撫でるんだもん! 恭弥と間違えちゃうじゃない!」
「オレも恭弥なんだけど?」
「恭弥は恭弥で、恭弥は東雲君じゃない恭弥なの! 東雲君が恭弥みたいな表情で恭弥が昔してたみたいに恭弥っぽく東雲君が恭弥で東雲君を撫でるから―――って、あれ?」
舞華の中に居る天月恭弥と東雲恭弥がごっちゃになって、恭弥がありふれている。つまりは、相当に混乱しているらしい。
結果として、
「とにかく、東雲君が恭弥なのが悪いの! なんで東雲君は恭弥なの!?」
などと言い出す始末。まだ混乱が治まっていないようだ。
それと哲学じみた問いかけはやめてほしい。考えるのも億劫になってくる。
「ほら、とりあえず落ち着けって。これなんて美味いと思うぞ」
オレは購入した商品の一つであるポテトを摘まみ、舞華の口に押し込んだ。
「むぐむぐっ……あ、これ美味しい」
「ほれ」
再びポテトを摘まんで差し出せば、パクリと奪われてしまう。もぐもぐと幸せそうに咀嚼している。
「まだいるか?」
「うん――じゃなくて! 東雲君は反省してるの!?」
「ん? もちろんしてるよ。恭弥が恭弥と間違えられてごめんなさい」
オレはペコリと一つ頭を下げた。
「反省してないじゃないっ」
舞華の叫びがまたもや観衆の目を集める。
「う、うぅ……」
その視線の多さに気がついたのか、舞華は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「……東雲君のばか」
それでもまだ矛先はこちらに向かっているようだ。どうやら調子に乗りすぎたらしい。
「ごめんな、天堂。こうやって友達と一緒に何かするのって久しぶりだからさ、つい調子に乗っちまったんだ。許してくれないか?」
今度は冗談などではなく、きちんと頭を下げた。
いくらなんでもやり過ぎたのかもしれない。泣かせたり、怒らせたり。オレがしたいのはそういった感情を引き出すことじゃない。
あくまで一緒に笑いたいだけ。ここまで意地の悪いことをする必要はなかったに違いない。
頭を下げるオレを尻目に、舞華は小さな声をあげた。
「……じゃあ……ちょう……」
あまりにも小さくてこちらまで声が届かない。
「悪い、なんか言ったか?」
「じゃあ、それ一個ちょうだい。そしたら許してあげる」
思わず聞き返せば、舞華はトレイに乗るハンバーガーを指差して言った。
「あぁ、分かったよ」
オレはトレイに乗るハンバーガーを一つ手渡した。
ちなみにトレイに乗っているのはどちらも同じものだ。好みによる好き嫌いが出ないように、スタンダードなタイプのものをチョイスした。
「あと、こっちは飲み物な。オレンジジュースでよかったか?」
「うん、ありがとう。じゃあ、これで許してあげるね」
舞華はそう言って笑う。涙も、怒りも消えた純粋な笑顔。
それを見ていて、胸の最奥が締め付けられるように苦しくなる。
彼女が見せてくれているのはありのままの本心。
オレが彼女に見せているのは偽った上での本心。
それがよくわかった瞬間だった。
「東雲君どうかしたの?」
「なんでもない。気にしないでくれ」
オレも舞華に習って笑う。彼女とは比較的対象に位置する、作られた偽物の笑み。
一緒に心から笑い合いたいはずなのに、オレは心の底から笑えていない。これはきっと後ろめたさからくる感情なのだろう。
オレは溢れてしまいそうになる感情に鍵をかけ、認識できなくなるほど深くに沈めた。
「それより、天堂はハンバーガー食べないのか? さっきからずっと眺めてるみたいだけど」
オレは心中の空気を入れ替えるために質問を飛ばす。
今、視界に映るのは、テーブルに置いたハンバーガーとにらめっこしている舞華の姿。いったい何をしているのだろうか。まさか食べ方がわからないとは言うまい。
案の定、舞華は口を開いた。
「えっと、お箸やナイフとかフォークってどこにあるの?」
「……天堂、これはこのまま食べるもんなんだ」
「こ、このままって、この包んである紙ごと!?」
驚愕を露にする彼女に、抱えていた暗い感情が吹き飛ばされていくのが感じられた。ただ話しているだけなのに、こうも容易く暗い感情が消えていく。本当にオレの幼馴染みはすごいやつだ。
「くっ、ははっ、さすがに紙は食えないだろ。これはこうやって食べるんだよ」
オレは包装紙から半分ほどハンバーガーをむき出しにし、ガブリと一口かじった。
舞華は途端に顔を朱に染める。
「は、初めて食べるんだから、仕方ないじゃないっ。そんなに笑わないでよっ」
「そうだよな、天堂はらしくないけど、お嬢様なんだしな」
これが本当の笑みなのかはわからないが、少なくともオレは笑っている。今はそれだけ理解できれば十分だった。
「ま、またお嬢様って言った!」
「ほら、そんなことで怒んなって。それより、ハンバーガーは早く食べないと爆発するんだぞ?」
効果は抜群だったようだ。
舞華は一心不乱にハンバーガーにかぶりつく。瞬く間に小さな口の中へ消えていくハンバーガーのなんと儚きことか。
おそろしい早さで手元のハンバーガーはなくなっていた。
「し、東雲君のも早く食べないと爆発しちゃうよ!?」
「……うん、もちろんただの冗談だからな? まさか本当に信じるとは思ってなかったよ」
「………………」
恨みがましい舞華の視線。なんだかクセになりそうだから是非ともやめてほしい。
「ほら、これやるから、不機嫌そうな顔するなよ。ちなみにこいつも早く食べないと―――」
「爆発はしないんだよね? 二度目は引っ掛からないもん」
ポテトを献上しようとすれば、先回りして言われてしまう。舞華の言葉通り、二度目はないらしい。
「ふふん、私だって東雲君にからかわれてばかりじゃないんだから」
なぜか妙なしたり顔。模擬戦時に続き、ここでも要らぬ負けず嫌いを発動させたらしい。
勝ち誇った顔をする舞華はポテトを摘まみ、口の中へ運んでいく。
この敗北感、どう晴らすべきか。
「なぁ、知ってるか? 白米を中くらいの茶碗によそったとき、大体、140グラムくらいになるんだってさ。んで、そのカロリーは235kcalくらいなんだ」
その話になった途端、舞華の手は止まった。舞華はこれでも女の子というわけだ。聞き逃すことは出来ないらしい。
「それでだ、今お前の食べてるLサイズのポテトは571kcalある。ちなみにさっきのハンバーガーは419kcal、Mサイズのオレンジジュースで159kcal だな。計1149kcal 、つまりは中茶碗での白米の約五杯分に相当するわけだ。ここまで言えば、何が言いたいかわかるだろ?」
一拍おいてオレは笑顔で言った。
「ちゃんと運動しないと太るぞ?」
摘まんでいたポテトが指からこぼれ落ちる。同時に舞華がゴッという音をたてて、テーブルに突っ伏した。
そんな彼女に「ふふん、まだまだ甘いな」と言ってやりたい気分だ。
「どうしたんだ? もう食べないのか?」
「……食欲が、急に……」
わざとらしく素っ惚けるオレに舞華は弱々しく返してくる、
今回の勝負(?)も無事にオレの勝ちで終わった。
◇
時間という概念は、如何なる時代でも永久不変であり、必ず過ぎて行くものだ。喋りながらだったせいか、食べ終わる頃には結構な時間が経っていた。
茜色の道を歩み、オレと舞華は本来の帰路を辿る。
一日の終わりであるせいか、二人とも口数が減っていた。
数歩先を先行して歩く舞華の背中は一つの感情を語る。
それがもどかしく感じたオレは舞華に問いかけた。
「今日は楽しかったか?」
舞華は振り向かずに答える。
「今日はすっごく楽しかったよ。……でも今は少しだけ寂しいや」
「楽しかったけど寂しい、か」
「うん、今日は本当に色々楽しかったよ。学園で初めて友達と一緒にご飯食べて、たくさん喋って、こうして遊んだ。それが終わっちゃうのか少しだけ寂しいなって」
夕暮れの光が舞華の憂いを照らし出す。今の彼女を占める寂しいという感情にはオレも覚えがある。
「オレにも分かるよ、その気持ち。オレもそう感じたことがあるから」
オレは空を見上げた。沈み行く太陽。それはどれだけ手を伸ばせど、どれだけ追いかけようと決してこの手で掴むことは叶わない。そのせいか、見ているだけでセンチメンタルになってくる。
「昔、初めて出来た友達が居てさ、一緒にいると楽しくて、その日にそいつと別れるのが寂しかった。でも、そいつはオレにこう言ったんだ」
オレは初めて友達が出来た、あの日のことを一生忘れない。
「今日という日があるのなら、当然、明日という日もある。出来た繋がりはたった一日では切れたりはしない。だから、きっと明日も今日と同じくらい楽しい日になるに違いない――ってな」
「……明日も今日と同じくらい」
「あぁ、だから明日もきっと今日と同じで楽しい日になる。明後日も、明明後日も、ずっとずっとその先も。今日みたいな日が天堂が望む日々なら、きっと毎日が楽しくなる」
けん、けん、とリズムを刻み、舞華は振り返った。
「そうだね。ありがとう、東雲君」
街を染める夕暮れの明かりにも負けぬ、一番の笑顔で舞華は笑った。
それからすぐにクルリと後ろを向き、こちらに背を見せる。
そして、声を大にして言った。
「あーあ、東雲君があの恭弥だったらいいのにって心の中で思っちゃうのは仕方ないのかな。一緒にいて楽しいし、一緒にいると自然に笑えて安心ができる。違うってわかってるのに、本当に不思議だよね」
その言葉に再び胸の最奥が締め付けられた。
オレは舞華の求めている『恭弥』でありながら、彼女の求める『天月恭弥』ではない。
今のオレは『東雲恭弥』だ。舞華が求めている『恭弥』じゃない。
もう『天月恭弥』はこの世界に存在しないのだ。
思考に耽るオレを余所に舞華は続ける。
「なんてね。そんな風に思っちゃったら、恭弥に悪いし、東雲君にも失礼だもんね」
目の前にいる自分の幼馴染みの背中がやたら遠く感じた。
もしも、オレが今の『東雲恭弥』でなく、昔のままの『天月恭弥』であったのなら、彼女の背中は近く感じていたのだろうか。
そうは思うが、それを知る術はない。
だけど、彼女の今の言葉を聞いて、これだけははっきりと言えた。
なんとしてもオレは舞華を守り抜きたい、と。
もともと護衛任務の依頼から始まった予期せぬ邂逅。
それでも、どちらの『恭弥』にとっても舞華の存在は大切なものだったようだ。
「そんなことないさ。オレもそう言ってもらえたら嬉しいしな」
だから守ろう。何があったとしても必ずオレが守ろう。
どんな困難に陥ろうと、どんな理不尽が降りかかろうと、オレが全部払い除ける。
夕暮れの茜色をした陽射しの中でオレはそう決心した。
幼馴染みの舞華に対し、決心する恭弥の話でした
ここから徐々にエピローグへと向かいます
感想、ご意見ありましたら嬉しいです(*^^*)




