八話 使者に偽装して潜入だ!
那岐たちは、八岐大蛇から奪い取った港に船を移動させると、筑紫から運んできた食糧や酒を降ろし始めた。
船には長旅に備えた食糧だけでなく、交易や貢物に使うための品々も大量に積まれていた。荷を降ろすだけでも相当な人手が必要だった。
「櫛名、降ろした食糧の半分と酒は全部運びたいんだ。村の人たちに手伝ってもらえないかな?」
那岐が尋ねると、櫛名は嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんですわ! 実はもう村の人たちに声をかけてありますの。皆さん、お二人のお役に立ちたいと集まってくださっています」
櫛名の言葉どおり、港には村から駆けつけた人々が次々と集まっていた。
八岐大蛇の支配に苦しめられてきた村人たちにとって、港を奪い返した須佐之男たちは希望そのものだった。
自分たちにもできることがあるならと、喜んで荷運びを引き受けてくれたのである。
「それは助かるよ。ありがとう、櫛名」
那岐は集まった村人たちに礼を述べると、運ぶ荷物と港に残す荷物を分けるよう指示を出した。
「食糧は半分を港に残しておこう。船の人たちにも必要だからね。残りの食糧と酒は全部運ぶよ」
「おう、任せろ!」
須佐之男は大きな酒甕を軽々と抱え上げた。
普通の男なら二人がかりでも苦労する重さだったが、須佐之男にとっては大したこともないらしい。
その姿に村人たちから感嘆の声が上がった。
「さすが須佐之男様ですわ!」
「はっはっは! この程度、軽いもんよ!」
得意げに笑う須佐之男を見て、那岐も小さく笑った。
やがて荷物の準備が整い、一行は港を出発することになった。
「さて、一部は港に残したし、そろそろ出発しようか」
「おう! それで父上、次はどこだ?」
須佐之男が金棒を担ぎ直しながら尋ねた。
「鉄の鍛冶場の近くにある砦だよ」
「山の砦じゃねえのか?」
「うん。山の砦は守りには向いているけれど、暮らすには不便だろう? 八岐大蛇の頭目たちだって、普段からそんな住みにくい場所にいるとは思えないんだ。だから、平地にある鍛冶場近くの砦にいるんじゃないかな」
「なるほどな。確かにそうだ」
須佐之男は納得したように頷いた。
その隣で話を聞いていた櫛名が、不思議そうに首を傾げた。
「でも那岐様、どうしてこんなに食糧を運ぶ必要があるのですか? それに、お酒まで全部持っていくなんて……」
「貢物だよ」
那岐は何でもないことのように答えた。
「…………は?」
須佐之男が間の抜けた声を上げた。
「……貢物、ですか?」
櫛名も目を丸くする。
二人は顔を見合わせ、それから揃って那岐を見つめた。
「父上、俺たちは八岐大蛇を退治しに行くんだよな?」
「そうだよ」
「だったら、なんで敵に貢物なんぞ持っていくんだ?」
「そうですわ! せっかく筑紫から運んできた大切な食糧とお酒ですのに!」
二人が口々に疑問をぶつけると、那岐は困ったように微笑んだ。
「まあまあ、道中でちゃんと説明するから。今は荷物を運ぶことにしよう」
「父上がそう言うなら構わねえが……」
「それと須佐之男」
「ん?」
「今度はお前に使者になってもらうからね」
「……使者?」
須佐之男はますます訳が分からなくなった。
櫛名も不思議そうに那岐を見つめている。
そんな二人を見て、那岐は楽しそうに微笑んだ。
「うん。筑紫から来た使者として、八岐大蛇に会ってもらうんだよ」
「敵のところに使者として行くのか?」
「そういうこと」
須佐之男はしばらく考え込んだものの、結局、父が何を企んでいるのか見当もつかなかった。
「……よくわからねえが、わかった!」
「ふふ、それでいいよ」
那岐は満足そうに頷いた。
こうして一行は、大量の食糧と酒を携えて、鉄の鍛冶場近くにある八岐大蛇の砦へと向かうのだった。
那岐の予想は見事に的中していた。
八岐大蛇の八人の頭目たちは、鉄の鍛冶場に隣接する砦を拠点としていたのである。
砦の周囲には武装した兵が配置され、出入りする者たちを厳しく監視していた。鍛冶場からは絶えず槌を打つ音が響き、炉から立ち上る煙が空へと伸びている。
須佐之男は砦の門番に近づくと、筑紫の大倭壱国からの使者であると名乗り、八岐大蛇の頭目たちへの面会を求めた。
門番は突然の来訪者を不審そうに眺めたものの、背後に積まれた大量の食糧と酒を見ると、奥へと取り次ぎに向かった。
しばらくして、須佐之男は砦の広間へと通された。
そこには八人の頭目たちが居並んでいた。
「お前たちが筑紫からの使者か」
頭目の一人が問いかけた。
須佐之男は普段の豪快な態度を封じ、丁寧に頭を下げた。
「はっ。大倭壱国の須佐之男と申します」
「それで、儂らに何用か?」
「出雲を真に支配されておられる八岐大蛇様方に、我らとの交流と交易を求めて参りました」
その言葉に、頭目たちは互いに顔を見合わせた。
「ほう……」
一人が満足そうに顎を撫でる。
「確かに我らこそ出雲を事実上支配しておる。だが、大倭壱国は我らを認めると申すのか?」
「はい。我らは八岐大蛇様方との友好を願っております」
須佐之男は平然と答えた。
「その証として、貢物も用意してございます。これに」
須佐之男が後ろを振り返り、片手を差し出すようにして示した。
そこには大量の食糧と酒が積み上げられていた。
「おお……!」
頭目たちの目の色が変わった。
「ほう、なかなかわかっておるではないか!」
「見ろ! 酒がこんなにあるぞ!」
「これは随分と気前がよいな!」
先ほどまで警戒していた頭目たちの態度は、貢物を目にした途端、すっかり上機嫌なものへと変わっていた。
須佐之男は内心で呆れながらも、表情には出さず、恭しく頭を下げた。
「山門より運んで参りました酒にございます。どうぞ存分にお楽しみください」
「はっはっは! 気に入ったぞ!」
「今夜は宴だ!」
「おお、それがよい!」
頭目たちは次々と賛同し、広間には笑い声が響き渡った。
そして、最初に声をかけてきた頭目が須佐之男に向き直った。
「よいよい! 使者とやら、今宵は盛大に宴を開こうではないか。貴殿らも参加されよ!」
須佐之男は深々と頭を下げた。
「承知いたしました」
その顔には、普段の傲慢な武人の姿など微塵も感じられなかった。
もっとも、頭を下げた須佐之男の口元には、誰にも気づかれぬほど小さな笑みが浮かんでいた。
――まったく、父上の言った通りじゃねえか。
須佐之男は心の中で笑いながら、八人の頭目たちを静かに見渡した。
砦を出た須佐之男は、少し離れた場所で待っていた那岐と櫛名のもとへ戻ってきた。
その顔には、隠しきれない得意げな笑みが浮かんでいる。
「どうでしたか?」
那岐が尋ねると、須佐之男は大きく胸を張った。
「上手くいったぜ! 奴ら、貢物に飛びついてな。今夜は宴を開くらしい」
「まあ! 成功ですわね!」
櫛名も嬉しそうに手を合わせた。
「しかも、その宴に俺も呼ばれたぞ」
「それはよかった。心配していた港からの情報漏洩もなかったようだね。これなら怪しまれずに潜入できるよ」
那岐は安堵したように微笑んだ。
港を襲撃したことが八岐大蛇の頭目たちに伝わっていれば、使者を装ったところで簡単には信用されなかっただろう。
だが、頭目たちは貢物に目を奪われ、疑う素振りすら見せなかったという。
ここまでは順調だった。
「あとは宴で奴らが油断したところを、俺の金棒でまとめて退治すればいいんだな!」
「うんうん。八人を一度に倒せれば、その後の戦いもずっと楽になるからね」
「任せておけ! 俺の金棒なら一振りで何人でも吹き飛ばせるぜ!」
須佐之男は自信満々に拳を握った。
その様子を見ていた櫛名が、ふと思いついたように口を開いた。
「それなんですがぁ……」
「ん?」
「頭目たちをもっと油断させるために、もう一つ工夫しませんか?」
「工夫とは?」
那岐が首を傾げる。
櫛名はにっこりと微笑んだ。
その瞳が、きらーん、と輝いたように見えた。
「実はですねぇ……ここに巫女服がございまして!」
そう言って櫛名は、用意していた包みを広げてみせた。
中から現れたのは、美しい巫女装束だった。
「……巫女服?」
那岐は不思議そうに眺めた。
「はい! 宴の席で巫女舞を披露すれば、頭目たちもきっと喜ぶと思いますの!」
「なるほどね。舞で場を盛り上げて、お酒も進ませようということか。それは悪くない考えだね」
那岐は感心したように頷いた。
「そうでしょう! それに、巫女舞ならお得意な方がいらっしゃいますし!」
「……え?」
その瞬間、那岐は何か嫌な予感がした。
「そうか! なるほどな!」
須佐之男も何かに気づいたらしい。
「父上の巫女舞なら間違いねぇ! 昔から見ているが、あれは見事なもんだ!」
「えっ、ちょっと待って……」
「しかも父上なら、巫女の格好をしても誰も男だなんて思わねぇぞ!」
「そうですわ! 那岐様の巫女姿なら、きっと頭目たちも夢中になります!」
櫛名は満面の笑みで巫女装束を抱えた。
「いやいや、私はもう随分と舞っていないし……」
「大丈夫だろ、父上!」
「大丈夫ですわ、那岐様!」
二人の声が見事に重なった。
「いや、あのね……私じゃなくても……」
那岐は別の人に頼もうと口を開きかけたが、櫛名がすかさず距離を詰めてきた。
「那岐様ぁ……」
「な、なんだい?」
「私、那岐様の巫女姿を一度でいいから拝見したかったんです!」
「いや、今回はそういう話じゃ……」
「それに、八岐大蛇を倒すためですもの!」
「うっ……」
それを言われると弱い。
しかも櫛名の言い分には、一応の道理がある。
那岐が巫女舞を披露すれば、頭目たちの注意を引きつけられるだろう。須佐之男が動く隙を作るには、確かに悪くない。
しかし、それとこれとは話が別である。
「父上、頼むぜ!」
「那岐様、お願いいたします!」
二人が期待に満ちた目で、じーっと那岐を見つめてくる。
右から須佐之男。
左から櫛名。
逃げ場がない。
「…………」
那岐は二人の顔を交互に見た。
そして、櫛名の手にある巫女装束へと視線を落とす。
「……えぇぇー……」
思わず情けない声が漏れた。
(どうして私が巫女舞をすることになっているんだろう……)
那岐は深いため息をついた。
結局、息子と未来の嫁になるかもしれない娘の圧力に負け、巫女装束に袖を通すことを承諾するのだった。




