七話 奴隷船から救出してやる!
櫛名の家に泊めてもらった翌朝、那岐は須佐之男と櫛名を呼び、今後の方針について話し合うことにした。
八岐大蛇を討伐すると決めたものの、相手は出雲の大半を支配するほどの勢力である。いくら須佐之男が強いとはいえ、闇雲に攻め込めばよいというものではない。
那岐は二人が席に着いたのを確かめると、静かに口を開いた。
「天之冬衣殿から聞いた八岐大蛇の拠点は、全部で三か所あるんだ」
「三か所か。どこだ?」
「一つ目は港。海賊船の拠点になっている場所だね。二つ目は鉄の鍛冶場の近くに築かれた砦。そして三つ目が山の中にある砦だよ」
那岐は指を一本ずつ折りながら説明した。
「どこから攻めるんだ、父上?」
「まずは港を押さえようと思っているよ」
「港ですか?」
櫛名が不思議そうに首をかしげた。
「山の砦からではないのですか? 八岐大蛇の頭目たちを討伐するのでしたら、そちらを攻めた方がよいのでは?」
「うん。そう考えるのも当然だね。でも、私は先に港を押さえておきたいんだ」
「どうしてだ?」
「八岐大蛇の連中を海に逃がしたくないからだよ」
那岐は穏やかな口調のまま続けた。
「もし頭目たちを取り逃がして、船で海へ逃げられてしまったら厄介だからね。海の上を自由に動き回られたら、こちらから捕まえに行くのも難しくなる。だから先に逃げ道を塞いでおきたいんだ」
「ああ、なるほどな!」
須佐之男は納得したように大きく頷いた。
「確かにあいつらの船は速かったぜ。こっちの船じゃ追いつけなかったからな」
「そういうこと。だから港を押さえて、海に逃げられないようにしておこうと思うんだ」
「なるほど……」
櫛名も感心した様子で頷いた。
「それに港を押さえたら、私たちの船を移して、積んできた物資を降ろせるからね」
「物資ですか? そういえば、那岐様たちは船でいらしたのでしたね。何を積んでこられたのですか?」
「食糧と酒だ!」
須佐之男が得意げに答えた。
「それも相当な量だぞ。父上が山ほど積み込ませたからな!」
「まあ、お酒まで?」
「そうだ。俺は飲ませてもらえなかったけどな!」
「当たり前だよ。あれは貢物として用意したものなんだから」
那岐が苦笑する。
「食糧もお酒も、これからの交渉に使えるかもしれないからね。せっかく持ってきたんだし、役立てたいところだよ」
「交渉?」
須佐之男が眉を寄せた。
「八岐大蛇と交渉でもするつもりなのか?」
「ふふ、それはまだ内緒だよ。まずは港を押さえないとね」
「なんだよ、もったいぶりやがって」
「順番が大切なんだよ。何事もね」
那岐は微笑んだ。
櫛名は二人のやり取りを聞きながら、胸の奥に期待が膨らんでいくのを感じていた。
長い間、出雲の人々を苦しめてきた八岐大蛇。
誰も逆らえず、誰も倒せなかった相手に、この二人は本気で立ち向かおうとしている。
それも、ただ力任せに攻めるのではなく、勝つための手順まで考えているのだ。
「いよいよ八岐大蛇討伐の第一歩ですね!」
櫛名は嬉しそうに声を弾ませた。
「おう! よしきた!」
須佐之男は勢いよく立ち上がった。
「さっさと港を片付けてやろうぜ!」
「はいはい。張り切るのはいいけど、私の話もちゃんと聞いてね」
「わかってるって!」
その返事を聞いた那岐は、少しだけ不安そうに笑った。
こうして三人は支度を整え、櫛名の家を出た。
ところが、家の前に出た途端、思いがけない光景が目に飛び込んできた。
村の若者たちが集まっていたのである。
それぞれ手には槍や弓、農具を改めた武器を持ち、何やら覚悟を決めたような顔で立っている。
「……なんだ、お前ら?」
須佐之男が怪訝そうに尋ねた。
すると若者の一人が、一歩前に出た。
「須佐之男様! 俺たちも連れていってくれ!」
「はあ?」
「八岐大蛇を退治するんだろう? 俺たちにも協力させてくれ!」
「俺らも力になりたいんだ!」
若者たちは口々に申し出た。
突然のことに須佐之男が目を丸くしていると、櫛名が嬉しそうに説明した。
「実は昨夜、須佐之男様たちが八岐大蛇を退治されると、村の人たちにお話ししたんです」
「お前が?」
「はい! そうしたら、皆さんが自分たちも協力したいと申し出てくださって」
櫛名は若者たちを振り返った。
「皆さん、ずっと八岐大蛇に苦しめられてきましたから。今度こそ自分たちの手で村を守りたいんです」
若者たちは真剣な表情で頷いた。
「俺たちだって、いつまでもやられっぱなしじゃいられねえ!」
「家族を守りたいんだ!」
「頼む! 俺たちも戦わせてくれ!」
那岐は若者たちの顔を一人ずつ見渡した。
誰もが緊張していた。武器を持つ手がわずかに震えている者もいる。
それでも逃げずに立っている。
恐ろしくないわけではないのだろう。
それ以上に、自分たちの暮らす土地を取り戻したいという思いが強いのだ。
「そうか……」
那岐は優しく微笑んだ。
「ありがとう。協力してくれるなら、とても助かるよ」
その言葉に若者たちの顔が明るくなった。
しかし、須佐之男は少々困ったように頭をかいた。
「おいおい、いいのかよ。相手は鉄の剣まで持ってる連中だぞ?」
「わかってる!」
「俺たちだって覚悟してる!」
「いや、そうじゃなくてな……」
須佐之男は若者たちの持つ武器を眺めた。
使い慣れた戦士の集まりというわけではない。普段は田畑を耕し、漁をして暮らしている者たちなのだろう。
「悪いが、お前らが来ても大して役に立つとも思えねえぞ?」
あまりにも率直な言葉に、若者たちの表情が固まった。
「ちょっと、須佐之男様!」
櫛名が慌てて声を上げる。
「皆さん、せっかく協力してくださるというのに!」
「いや、だからよ。無理して死なれても困るだろうが」
須佐之男としては、決して悪意があって言ったわけではなかった。
自分が前に出れば敵を倒せる。わざわざ戦い慣れていない村人たちを危険にさらす必要があるのか、という考えだった。
そんな息子の様子を見て、那岐は小さく笑った。
「いや、須佐之男。かなり助かることがあるんだよ」
「……ん?」
「え?」
須佐之男と櫛名は、揃って那岐の顔を見つめた。
那岐は二人の視線を受けながら、穏やかに微笑んでいた。
港を見下ろせる小高い場所に到着した那岐たちは、眼下に広がる海賊の拠点を観察していた。
港にはいくつもの船が係留され、武器を携えた賊たちが周囲を行き来している。
那岐は港の地形と船の位置を確かめると、同行してきた村の若者たちに向き直った。
「では、村の方々は港を包囲しながら、ゆっくり近づいてきてください。逃げてくる者がいたら、絶対に取り逃がさないようにお願いします」
「わかった!」
「捕まえればいいんだな?」
「うん。無理に戦う必要はありません。逃げ道を塞いでくれるだけでも十分助かるよ」
村の若者たちは頷くと、それぞれ武器を手に散開していった。
那岐は彼らが配置につくのを見届けてから、隣に立つ大男を見上げた。
「須佐之男」
「おう!」
「船を壊しても構わないから、絶対に海へ逃がさないでね」
「任せろ! 一隻たりとも逃がさねえぜ!」
須佐之男は肩に担いでいた巨大な鉄の金棒を握り直した。
七尺もの長さがある金棒は、普通の男なら数人がかりでも持ち上げるのが難しい代物である。それを須佐之男は、まるで木の棒でも扱うかのように軽々と振り回す。
櫛名はその姿を頼もしそうに見つめていたが、周囲に散っていく村の若者たちに気づくと声をかけた。
「皆さま、どうかお気をつけて!」
若者たちは手を振って応じた。
那岐は港に視線を戻した。
「さて、いくよ」
「おう!」
二人は一気に斜面を駆け下りた。
「わ、私も参ります!」
櫛名も勇気を振り絞り、二人の後を追いかけた。
港にいた賊たちは、突然現れた大男と中性的な容姿の人物を見て、一瞬何が起きたのかわからなかった。
「なんだ、お前らは!?」
「どこから来やがった!」
賊の一人が剣を抜いた。
しかし、その剣を振るうよりも早く、須佐之男の金棒が唸りを上げた。
「おらぁぁぁーーー!!」
凄まじい衝撃音とともに、賊の身体が吹き飛んだ。
「なっ!?」
「敵襲だ! 敵襲ぅぅ!!」
慌てて武器を構えた賊たちだったが、須佐之男は構わず突き進んでいく。
「邪魔だぁーー!」
金棒が振るわれるたびに、賊たちは次々と地面に叩きつけられた。
鉄の剣を構えた男が三人がかりで襲いかかったものの、須佐之男の金棒を受け止めることすらできない。
「ぐわぁっ!」
「ば、化物だぁ!」
「誰か止めろぉ!!」
「止められるもんなら止めてみろ!」
須佐之男は豪快に笑いながら、港の奥へと突き進んだ。
その間にも那岐は周囲を見渡し、港の状況を確認していた。
係留されている船は全部で四隻。
いずれも海へ出られる状態にあり、このままでは賊たちに逃げられる可能性があった。
「須佐之男、船も忘れないでね!」
「わかってるぜ!」
須佐之男は港に係留されていた一隻に近づくと、巨大な金棒を振り上げた。
「そりゃぁぁーー!」
轟音が響き、船の側面が大きく砕け散った。
「お、俺たちの船がぁぁ!」
「何をしてやがる! やめろぉ!」
止めようと駆け寄ってきた賊も、須佐之男の金棒によってあっさりと吹き飛ばされた。
「はっはっは! これでもう逃げられねえだろ!」
須佐之男は次の船へと向かおうとした。
その時である。
「お待ちください!」
後方から櫛名の声が響いた。
「須佐之男様! あちらの船をご覧ください!」
櫛名が指さしたのは、ほかの船よりも横幅が広く、大きな船だった。
「ん? なんだ?」
「あれは輸送船ですわ! 荷物だけでなく、人を運ぶのにも使われる船です!」
櫛名の表情が険しくなる。
「もしかしたら、攫われた人たちが乗せられているかもしれません!」
その言葉を聞いた那岐は、すぐに意図を理解した。
「須佐之男! あの横に広い大型の船は沈めないで! 攫われた人がいるかもしれない!」
「おう、わかった!」
須佐之男は進む方向を変え、残る海賊船へと向かった。
「こいつらを壊せばいいんだな!」
そのまま金棒を振るい、係留されていた船を次々と破壊していく。
港には木材が砕ける音と賊たちの悲鳴が響き渡った。
その騒ぎに紛れ、那岐は大型の輸送船へと向かった。
軽く地を蹴ると、その身体がふわりと浮き上がる。
そして、船縁を越えて甲板へと降り立った。
船の奥を覗き込むと、そこには縄で縛られた女性たちが身を寄せ合っていた。
皆、怯えきった表情で那岐を見つめている。
「……やっぱり」
那岐の表情が曇った。
その時、背後から怒声が響いた。
「なんだ、こいつ!」
「いつの間に乗り込んできやがった!」
船内を見張っていた二人の賊が、剣を手に襲いかかってきた。
那岐はゆっくりと振り返った。
その瞳から、冷たい妖気が漂い始める。
「……あなたたちが、この人たちを攫ったの?」
「はぁ? だったらどうした!」
「邪魔するなら、てめえも売り飛ばしてやる!」
その言葉を聞いた瞬間、那岐の目が細められた。
「……そう」
静かな声だった。
次の瞬間、那岐の腕が横に振られた。
閃光が走る。
二人の賊が何かをする間もなく、放たれた光の刃がその身体を真っ二つに切り裂いた。
二人は声を上げることもできず、その場に崩れ落ちた。
「…………」
那岐は倒れた二人を見下ろした。
胸の奥に、冷たい怒りが残っていた。
縄で縛られ、怯えながら身を寄せ合っていた女性たちの姿が、脳裏から離れない。
「……いけないね」
那岐は小さく呟いた。
「また、怒りに任せてしまった」
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
自分を落ち着かせるように、もう一度呼吸を整えた。
それから船の外に視線を向けた。
港では、須佐之男がすでに輸送船以外の三隻を破壊し終えていた。
賊たちもほとんどが討ち取られ、戦いは終わりに近づいている。
しかし、那岐はまだ安心しなかった。
「……逃げた人はいないかな?」
港の周囲を注意深く見渡す。
すると、建物の陰を抜け、港の外へ向かって走っている二人の賊が目に入った。
村の若者たちが包囲している方向ではない。
どうやら地形を熟知しているらしく、岩場の間を抜けて逃げようとしていた。
「……ああ、あそこか」
那岐は小さく息をついた。
「逃がすわけにはいかないね」
船縁に足をかけると、そのまま一気に飛び立った。
妖気を纏った身体が宙を駆け、港を越えていく。
二人の賊は必死に走っていた。
「くそっ! なんなんだ、あの化物は!」
「知るか! とにかく逃げるぞ!」
「頭目たちに知らせねえと!」
その時だった。
ふわり。
二人の目の前に、一人の人物が降り立った。
「!?」
「な、なんで!?」
つい先ほどまで港にいたはずの人物が、いつの間にか自分たちの前に立っている。
しかも息一つ乱していない。
那岐は二人に向き直り、静かに告げた。
「もう諦めなさい。降伏するなら命までは取りません」
「ふ、ふざけるな!」
「こんなところで捕まってたまるか!」
二人は剣を抜き、同時に那岐へ襲いかかった。
「……そう。残念だよ」
那岐はその場から動かなかった。
ただ、ゆっくりと片腕を横に振るった。
再び光が放たれる。
一瞬の閃光。
二人の賊の身体は、振るわれた光の刃によって真っ二つに切り裂かれた。
そのまま二人は地面に崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
「終わったようだな!」
須佐之男は金棒を肩に担ぎ、周囲を見渡した。
港にいた賊はすでに一掃され、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
「須佐之男様! こちらに攫われた女性がいますー!」
輸送船の中を覗き込んでいた櫛名が、大きな声で呼びかけた。
須佐之男が駆けつけると、船の奥には縄で縛られた女性たちが身を寄せ合っていた。突然現れた大男に怯え、身体を震わせている。
「おいおい、俺は助けに来たんだぞ」
「須佐之男、その大きな金棒を持ったままでは怖がられるよ」
後からやってきた那岐が苦笑した。
「おっと、そうだったな」
須佐之男は金棒を床に置いた。
「もう大丈夫だ。賊は全員倒したからな!」
「縄を解いて解放してあげましょう」
「わかった!」
須佐之男は女性たちの傍に膝をつき、慎重に縄を斬っていった。
縄を解かれた女性たちは、ようやく助かったのだと理解したのか、次々と涙を流し始めた。
「ありがとうございます……本当に……」
「もう家には帰れないと思っていました……」
櫛名は泣き崩れる女性の手を取り、優しく声をかけた。
「もう大丈夫ですわ。皆さん、故郷に帰れますからね」
那岐は船内に積まれていた荷物にも目を向けた。
食糧や布、様々な品物が積み込まれている。
恐らく、攫った女性たちと共に大陸へ運び、売り払うつもりだったのだろう。
「……まったく、酷いことをするものだね」
那岐は小さく呟いた。
その後、三人は女性たちを船から降ろし、港の安全を確認した。
「どうやら一人もこの場から逃がさなかったようでよかった」
那岐が周囲を見渡しながら言った。
「どうしてですか?」
櫛名が不思議そうに首を傾げた。
「まだ私たちの情報を漏らしたくないんだよ」
「情報、ですか?」
「うん。八岐大蛇の連中に、筑紫から来た私たちが港を襲ったと知られたら、警戒されてしまうだろう?」
「なるほど……次の戦いのためですのね」
「そういうことだよ」
須佐之男は二人の話を聞きながら、金棒を担ぎ直した。
「次の策ってやつか? よくわからねえが、全員倒してしまえば関係ねえだろ」
「もう、須佐之男ったら……」
那岐は困ったように微笑んだ。
「それが簡単にできるなら苦労しないんだけどね」
「俺ならできるぜ!」
「はいはい。頼りにしているよ」
那岐は軽く受け流すと、沖の方へ目を向けた。
「とりあえず、こちらに私たちの船を呼んで係留させよう。積み荷を降ろさなきゃね」
「承知した!」
須佐之男は船員たちに合図を送るため、浜辺へと向かった。
続いて那岐は櫛名に顔を向けた。
「櫛名、お願いがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「村の人たちに、港へ何人か来てもらえるよう頼んでくれないかな?」
「村の者たちを、ですか?」
「うん。助けた女性たちを保護してあげたいんだ。それに、あの輸送船には食糧も積まれているようだから、荷物の確認もお願いしたい」
那岐は輸送船を指さした。
「大勢でなくてもいいよ。私たちがここを離れた後も、港を見張ってくれる人がいると助かるんだ」
「わかりましたわ! すぐに村の皆さんにお願いしてきます!」
櫛名は元気よく返事をした。
「ありがとう。助かるよ」
「こちらこそ、ありがとうございます。須佐之男様と那岐様のおかげで、こんなに大勢の方々を助けることができました」
櫛名は嬉しそうに微笑んだ。
これまで八岐大蛇に苦しめられるばかりだった故郷で、ようやく人々を救うことができたのだ。
そして、須佐之男も戻ってきた。
「おう、父上! 船を呼んできたぜ!」
「ありがとう。それじゃあ、積み荷を降ろす準備をしようか」
「おう!」
那岐は二人の顔を交互に見て、穏やかに微笑んだ。
「さて、次にいこうか」
「はい!」
櫛名は期待に胸を膨らませた。
「なんだか、わくわくしてきました」
これまで誰も逆らえなかった八岐大蛇。
だが今は、その支配を本当に終わらせられるかもしれない。
そんな希望が、櫛名の胸に芽生えていた。
須佐之男も豪快に笑った。
「だな!」




