四話 櫛名田比売が可愛すぎるぞ!
那岐は出雲の現状を詳しく知るため、まずは人の住む村を探すことにした。
海でも陸でも賊に襲われたばかりである。いったいこの地で何が起きているのか、現地の者から話を聞く必要があった。
「須佐之男、南に向かってみようか。村があれば、何かわかるかもしれないね」
「おう、そうだな。これ以上、賊ばかり出てこなけりゃいいんだが」
二人は山裾に沿って南へと歩き始めた。
しばらく進むと、木々の向こうに人家が見えてきた。
ようやく村を見つけたと思った、その時だった。
「やめて! 放してください!」
「うるせえ! おとなしくしろ!」
女の悲鳴と男たちの怒声が聞こえてきた。
二人が足を速めて村に近づくと、そこには異様な光景が広がっていた。
武器を持った男たちが村を荒らし回り、若い娘を見つけては無理やり連れ去ろうとしていたのである。
村人たちは必死に抵抗していたが、鉄の剣を持った賊に敵うはずもなく、地面に倒されていた。
「またかよ……」
須佐之男は呆れたように呟いた。
「どうなっているの、出雲は……」
那岐も思わずため息をついた。
海では海賊、陸では野盗。そして今度は村を襲って娘を攫う者たちである。
「どうする、父上?」
「とりあえず助けよう。話はその後だよ」
「おう!」
返事をするなり、須佐之男は肩に担いでいた巨大な金棒を握り直した。
七尺もの長さがある鉄の金棒である。普通の男なら数人がかりでようやく持ち上げられる代物を、須佐之男は軽々と振り回していた。
「おらぁ! お前ら、何やってやがる!」
須佐之男の怒声が村中に響き渡った。
突然現れた巨漢に、賊たちは一斉に振り向いた。
「なんだ、お前は!」
「でけえ……なんだ、こいつ……」
須佐之男は答える代わりに、金棒を大きく振り上げた。
「いくぞ、おらぁぁぁ!」
轟音とともに金棒が振り下ろされた。
正面にいた賊は、構えていた鉄の剣ごと叩き潰された。
「なっ……!」
「こ、この野郎!」
別の賊が背後から斬りかかった。
だが、須佐之男は振り返りもしなかった。
刃が背中に当たった瞬間、硬い音を立てて弾かれたのである。
「な、なんだと!?」
「そんなもんが俺に効くかよ!」
須佐之男が振り向きざまに金棒を薙ぎ払う。
「ぐわぁぁっ!」
賊は吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。
「ば、化け物だ!」
「逃げろ! 勝てるわけがねえ!」
賊たちは慌てて逃げ出そうとした。
「逃がすかよ!」
須佐之男は地面を蹴り、逃げる賊たちに追いつくと、次々に金棒を振るった。
その圧倒的な怪力の前では、鉄の剣も防具も何の役にも立たなかった。
そんな中、一人の賊が若い娘を抱えたまま村の外へ逃げ出そうとしていた。
「いやっ! 放して!」
「黙ってろ! お前は連れていくんだよ!」
娘は必死にもがいていたが、賊は構わず走り続けた。
その姿を須佐之男が見逃すはずもなかった。
「おい! そこの野郎!」
賊が振り返った。
「ひっ!」
「逃がすかよ!」
須佐之男は一気に距離を詰めた。
娘を抱えている賊が、その巨体から逃げ切れるはずもない。
「ま、待て! こいつがどうなってもいいのか!」
賊は娘を盾にしようとした。
だが、須佐之男は金棒を振り下ろさず、空いている手を伸ばした。
娘を抱える賊の腕を掴み、力任せに引き離す。
「ぐあっ!」
悲鳴を上げた賊から娘を奪い取ると、須佐之男はその身を片腕で抱き寄せた。
そして、もう片方の手に握った金棒を振るう。
「おらぁ!」
賊は一撃で倒れ、そのまま動かなくなった。
「ふん、手間かけさせやがって」
須佐之男は辺りを見渡した。
もはや立っている賊は一人もいなかった。
村人たちは呆然としていた。
つい先ほどまで村を襲っていた賊たちが、突然現れた大男によって、瞬く間に倒されてしまったのだ。
「よっしゃー、終わったぜ!」
須佐之男は娘を抱えたまま、那岐のもとへ戻ってきた。
那岐は周囲を見渡し、ようやく安堵したように息をついた。
「どうやら片付いたようだね」
「おう。もう残ってねえようだ」
須佐之男は得意げに笑った。
「あの……もう降ろしていただいて大丈夫です。助けていただいて、ありがとうございます」
腕の中から遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あ、そうか。悪いな!」
須佐之男は抱きかかえていた娘を、そっと地面に降ろした。
娘は乱れた衣服を整えると、二人に向かって深々と頭を下げた。
「怪我はありませんでしたか?」
那岐が心配そうに尋ねる。
「はい、大丈夫です。本当にありがとうございました。私は櫛名と申します。あなた様方は?」
「俺は須佐之男だ!」
「私は伊邪那岐。二人とも筑紫の山門から来たんだよ」
「まあ、筑紫からなのですね!」
櫛名は驚いたように目を丸くした。
その仕草を見た瞬間、須佐之男の動きが止まった。
「…………」
大きな瞳に、整った顔立ち。さらりと揺れる黒髪、愛らしい娘だった。
須佐之男は思わず見惚れてしまった。
頬がじわじわと赤くなっていく。
「私たちはね、筑紫の海に出没している海賊を調べに来たんだよ。出雲の海賊ではないかという噂があってね」
那岐が事情を説明すると、櫛名の表情が曇った。
「その噂は……きっと本当だと思います」
「やはり、そうなのかい?」
「はい。今の出雲は、とても平穏とは言えませんから……」
「それは困ったねぇ……」
那岐は小さくため息をついた。
その隣で、須佐之男は相変わらず櫛名を見つめている。
「…………」
「須佐之男?」
「…………」
「須佐之男、どうしたんだい? さっきから黙り込んで」
父に声をかけられ、須佐之男はようやく我に返った。
そして、櫛名を真正面から見つめると、大きく息を吸い込んだ。
「可愛い……」
「はい?」
「惚れた! 結婚してくれ!」
「え? ええええええ―――っ!?」
「は、はいぃぃぃ!? 何をいきなり言っているの!?」
櫛名と那岐の悲鳴が重なった。
つい先ほどまで賊を相手に金棒を振り回していた大男が、今度は突然、求婚を始めたのである。
しかも、知り合ってからまだほんのわずかしか経っていない。
「俺は本気だぞ!」
須佐之男は胸を張って言い切った。
「本気だとしても、初対面で求婚って……お前……」
那岐は呆れ果てて額に手を当てた。
一方、櫛名は改めて須佐之男を見上げた。
七尺もある堂々とした体格。たくましい腕に、厚い胸板。力強い顔立ちも、決して嫌いではない。
むしろ、正直に言えば好みだった。
先ほど自分を助けてくれた時の姿も、頼もしく感じていた。
しかし――。
『いくら何でも、いきなり結婚だなんて……!』
櫛名は困惑した。
相手のことを何も知らない。名前を聞いたばかりで、どのような人物なのかさえ分からないのだ。
それなのに、本人は本気で結婚するつもりらしい。
『どうしましょう……』
そこで、櫛名はふと思い出した。
先ほど、この大男が賊を一瞬で倒してしまった光景を。
大勢の男たちが束になっても敵わないような賊を、須佐之男はまるで子供を相手にするかのように蹴散らしていた。
あれほどの力があれば――。
『もしかしたら……この人なら、出雲を救ってくれるかもしれない』
櫛名は生まれ育った出雲を愛していた。
村の人々も、この土地も、大切なものばかりだ。
それなのに今は、賊が好き勝手に振る舞い、娘たちが攫われ、民は怯えて暮らしている。
どうにかしたい。
ずっと、そう思っていた。
櫛名は須佐之男を見上げ、にっこりと微笑んだ。
「……いいですよ。結婚をお受けしても」
「本当か!? やったぜ!」
「え? ええええええ―――っ!?」
今度は那岐が驚愕した。
まさか本当に承諾するとは思っていなかったのである。
『え? 何? どうなっているの、これ!?』
那岐が目を白黒させていると、櫛名は人差し指を立てて言った。
「ただし! 一つだけ条件があります!」
「条件? 何だ? 言ってみろ!」
「出雲を荒らしている八岐大蛇を退治して、この出雲を平穏な地にしていただけたら、です!」
「八岐大蛇?」
那岐は聞き慣れない名前に首を傾げた。
「それは何だい?」
「今の出雲を荒らしている賊たちの総称です。とても恐ろしい者たちなんです」
「ふうん……」
須佐之男は腕を組んだ。
「よく分からねえが、その、やまたのー……何とかを退治すればいいんだな?」
「八岐大蛇だよ、須佐之男」
那岐が横から訂正する。
「そう、それだ! そいつを倒せば櫛名は俺の嫁になってくれるんだな!」
「え、ええ……そういうことになりますけれど……」
櫛名は少し戸惑いながら頷いた。
正直なところ、無理難題を突きつけたつもりだった。
八岐大蛇は出雲中で恐れられている存在である。
いくら須佐之男が強いとはいえ、簡単に退治できる相手ではない。
普通なら諦めるだろう。
そう思っていたのだが――。
「よっしゃ! 任せとけ!」
「え?」
「そんな連中、軽く退治してやるぜ!」
須佐之男は豪快に笑った。
まったく迷いがない。
あまりにも自信満々な態度に、櫛名は思わず目を瞬かせた。
『……本気ですの?』
どうやら、この大男は本当に八岐大蛇を退治するつもりらしい。
「えっと……本当によろしいのですね?」
「おう! 約束だからな!」
「わ、分かりましたわ。期待しております……」
櫛名は引きつった笑顔を浮かべた。
その様子を見ていた那岐は、深々とため息をつく。
「はあ……まったく、お前はもう……」
息子の行動力には昔から振り回されてきたが、まさか出雲に着いて早々、結婚話が持ち上がるとは思ってもいなかった。
しかも相手は、出会ったばかりの娘である。
『姫に何て説明したらいいんだろう……』
帰国した時のことを考えると、少し頭が痛くなった。
とはいえ、櫛名の言葉は気になる。
那岐は気を取り直して尋ねた。
「ところで櫛名、さっきの賊も、海で船を襲っている海賊も、その八岐大蛇という連中なのかい?」
「はい。おそらくは間違いありません」
「やっぱり関係がありそうだね……」
那岐は考え込んだ。
海賊の調査が目的で出雲まで来たのだ。
その正体が八岐大蛇であるなら、詳しく調べる必要がある。
すると須佐之男が、待ちきれないとばかりに口を開いた。
「で、その八岐大蛇って連中はどこにいるんだ?」
「え?」
「拠点だよ、拠点! 居場所が分からなきゃ退治できねえだろ!」
「そ、それは……」
櫛名は困ってしまった。
八岐大蛇の名は知っていても、頭目たちがどこにいるのかまでは分からない。
しばらく考えてから、ふと思いついたように顔を上げた。
「あっ! 大名持様なら、ご存じかもしれません!」
「大名持?」
須佐之男が首を傾げる。
「誰だ、そいつ?」
「出雲の大名持、天之冬衣様です」
櫛名は二人を見つめ、そう答えた。




