三話 出雲は修羅の国なのか!
筑紫を発ってから数日が過ぎ、須佐之男たちを乗せた船は、ようやく出雲の沿岸へと近づきつつあった。
海は穏やかで、帆にはほどよい風が吹きつけている。甲板に立った須佐之男は、退屈そうに海を眺めていたが、やがて遠くの海面に小さな影が動いていることに気づいた。
「父上、あれなんだ?」
須佐之男が指さした先を、那岐も目を細めて見つめた。
「船だね。こちらに向かってきてないかい?」
「そうだな……寄ってきている」
その船は明らかに進路を変え、こちらへ近づいてきていた。しかも、かなりの速さである。那岐はしばらく様子をうかがっていたが、相手がまっすぐ船首を向けてくるのを見て、表情を引き締めた。
「戦闘準備! みんな、敵襲に備えて!」
那岐の声に船員たちが慌ただしく動き始める。武器を手に取る者、帆を調整する者、それぞれが持ち場についた。
「おっ、海賊のお出ましかい!」
須佐之男は待ってましたとばかりに立ち上がり、甲板に置いてあった愛用の金棒へ手を伸ばした。
「須佐之男、金棒は使わないでね」
「え? なんでだよ」
「そんなものを振り回されたら、私たちの船まで壊れちゃうよ」
那岐が心配するのも無理はなかった。
須佐之男は生まれつき並外れた怪力の持ち主であり、通常の剣や槍では力に耐えきれず、すぐに壊れてしまう。
そのため、見かねた那岐が特別に作らせたのが、鉄だけでできた巨大な金棒だった。
全長は七尺。大の男が数人がかりでようやく抱えられるほどの重量があり、普通の人間には持ち上げることさえ難しい代物である。
ところが須佐之男は、その金棒を片手で軽々と振り回す。まともに打ち込まれれば、木の盾どころか人間の身体すらひとたまりもない。
まして船上で振り回されれば、敵より先に自分たちの船が壊れかねなかった。
「ちぇっ、仕方ねぇな。拳で相手してやらぁ!」
須佐之男は金棒から手を離し、拳を握りしめた。
やがて接近してきた海賊船は、こちらの船腹へ強引に接舷してきた。船縁に鉤を掛け、縄を引いて船同士を寄せると、武器を手にした男たちが次々と乗り込んでくる。
「積み荷を奪え! 逆らう奴は斬り捨てろ!」
威勢よく叫んだ海賊たちだったが、甲板に仁王立ちする須佐之男の姿を見て、一瞬足を止めた。
七尺もの巨体に、隆々と盛り上がった筋肉。その男が不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと拳を構えている。
「おらぁーーー!」
須佐之男が拳を振るった。
最初に飛び込んできた海賊は、何が起きたのか理解する間もなく宙を舞い、そのまま海へと叩き落とされた。
「うりゃぁーー! どりゃぁーー!」
二人目、三人目と、海賊たちが次々に吹き飛ばされていく。剣を振り上げた者も、槍を突き出した者も、須佐之男の拳が届くと同時に海へ放り出された。
その勢いは凄まじく、乗り込んできた十人の海賊は、わずか十発の拳ですべて海の中へ消えてしまった。
「はっはっは! どうした、もう終わりか!」
須佐之男が豪快に笑う一方、海賊船に残っていた男たちは顔を引きつらせていた。
「ば……化物だ……」
「なんだ、こいつ……人間じゃねぇ……」
もはや略奪どころではない。恐怖に駆られた海賊たちは慌てて鉤を外し、船を離そうとし始めた。
「おい、逃げる気か! 逃がすな、追え!」
須佐之男が船員たちに叫んだが、那岐は海賊船の様子を眺めながら首を横に振った。
「無理だよ……」
「なんでだよ!」
「向こうは強襲用の速い船だし、こちらは食糧や酒を満載した輸送船なんだから。追いつけるわけがないよ」
「くそっ!」
須佐之男が悔しそうに船縁から身を乗り出したときには、海賊船はすでに大きく距離を取っていた。軽い船体を生かして風を受け、見る見るうちに遠ざかっていく。
「もうあんなに離れちまった……」
須佐之男は拳を握りしめたまま、逃げていく船を睨みつけた。
結局、海賊船を追うことはできず、一行は再び出雲へ向けて航行を続けることになった。
那岐は遠ざかる船影を見送りながら、静かに口を開いた。
「でも、これで出雲の海に海賊がいることは、ほぼ確かめられたね」
須佐之男は鼻を鳴らし、まだ見ぬ出雲の地へ視線を向けた。
それからしばらくして、船はようやく出雲の海岸にたどり着いた。
海岸近くの入り江に船を寄せると、那岐は上陸の準備を進める船員たちに声をかけた。
「船はそのままでいいよ。荷も降ろさずに積んでおいて。何かあったらすぐに出航できるようにしておいてね」
先ほど海賊に襲われたばかりである。現地の情勢がわからない以上、安易に船を離れるわけにはいかなかった。那岐は船員たちに留守を任せると、傍らにいた息子へ顔を向けた。
「須佐之男、私たちは上陸して様子を見に行こう。まずは人里を探さないとね」
「おう! やっと陸に上がれるぜ!」
須佐之男は待ちかねたように巨大な金棒を肩に担ぎ、軽々と船から飛び降りた。七尺もの長さがある鉄の塊を、まるで木の棒でも扱うかのように振り回す息子を見て、那岐は苦笑する。
二人は人里を探して南へ向かった。海岸から離れるにつれて木々が増え、緩やかな起伏のある土地が広がっていく。しばらく歩いたところで、須佐之男が前方に数人の人影を見つけた。
「おっ、父上! 人がいるぞ!」
須佐之男は大きく手を振った。
「おーーーい!」
「ちょっと待って、須佐之男。何だか様子がおかしいよ。あれは……」
那岐が目を凝らすと、男たちは一斉にこちらを振り向いた。いずれも粗末な身なりで、腰には剣を帯びている。しかも二人を見つけるなり、互いに何やら声を交わして武器を抜き始めた。
「剣を持っている。野盗だ!」
「また賊かよ! 海から上がったばかりだってのに!」
男たちは抜き身の剣を構え、二人めがけて駆け出してきた。
「須佐之男、今度は金棒を使っていいよ」
「待ってました!」
須佐之男は嬉々として肩の金棒を握り直した。
「でも、できれば誰かを……」
那岐が言い終えるより早く、須佐之男は地面を蹴って飛び出していた。
「おらぁぁぁーーー!」
凄まじい勢いで振り抜かれた金棒が、先頭を走っていた男をまともに捉えた。
鈍い衝撃音とともに男の身体が砕かれ、勢いよく吹き飛んでいく。あまりの出来事に、後続の男たちは思わず足を止めた。
「なっ……何だ、こいつは!」
「化け物め! くたばれ!」
一人の男が剣を構え、須佐之男の脇腹めがけて突き立てた。
ところが、刃は肉を貫くどころか、硬い岩にでも突き当たったかのように弾かれてしまった。
「な、何だと!?」
「悪いな。妖気を身体に纏うと、大抵の攻撃は通用しなくなるんだ」
須佐之男は平然と笑い、驚愕する男を見下ろした。
「ふ、ふざけるな!」
「悪いな。ふんっ!」
再び金棒が振るわれた。
逃げようとした男も、背後から斬りかかろうとした男も、須佐之男の圧倒的な怪力の前には何の抵抗もできなかった。金棒が唸りを上げるたびに男たちは吹き飛び、次々と地面に倒れていく。
「おらぁ! どりゃぁ!」
それは戦いというより、もはや一方的な蹂躙であった。
「須佐之男ー! 誰か一人生きて捕らえてほしいんだけど!」
那岐が慌てて声を張り上げたときには、すでに最後の男が金棒の一撃を受けて倒れたところだった。
「ふう、片付いたぜ!」
「……須佐之男?」
「ん? どうした、父上」
「だから、誰か一人生きて捕まえてほしかったんだけど……」
「あっ」
須佐之男は金棒を肩に担ぎ直し、倒れている男たちを見回した。
「わりー……たぶん遅かった」
那岐は深いため息をついて、一人ずつ様子を確かめていった。しかし、金棒の直撃を受けた男たちは、いずれもすでに息絶えていた。
「……あーあ。せっかく現地の話を聞けると思ったのに」
「仕方ねぇだろ。向こうから襲ってきたんだぜ?」
「それはそうだけどね。できれば海賊のことも聞いておきたかったんだよ」
那岐は困ったように眉を下げた。海上では海賊に襲われ、ようやく上陸したと思えば今度は野盗である。しかも、いずれも武器を手にして襲いかかってきたのだから、穏やかではない。
「それにしても、海でも陸でも襲われるなんて……」
那岐が周囲を見渡していると、須佐之男もさすがに妙だと思い始めたらしい。金棒を担いだまま、真顔になって父へ尋ねた。
「父上……出雲は修羅の国か?」
那岐はしばらく黙って息子を見つめ、それから小さく肩をすくめた。
「……荒れているのだけは間違いないようだね」




