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空は、高く澄んでいた。
飛空艇の甲板から見える景色は、どこまでも広がっている。
雲の上。
飛空艇のモーター音が響き、風を切る音がする。
その中で――
(……帰るのね)
サラは、ゆっくりと息を吐いた。
最初に来た時は、すべてが新鮮だった。
“サラ”として過ごした時間。
自由で、軽やかで――
(楽しかった)
はっきりと、そう思う。
偽りの名前。
偽りの身分。
けれど、その中で過ごした日々は、嘘ではなかった。
人と笑って。
働いて。
学んで。
そして――
(恋をした)
その事実だけは、何をどうしても消えない。
「……サラ」
背後から声がする。
ミレナだ。
振り返る。
いつも通りの無表情。
けれど、わずかに柔らかい。
「もうすぐ到着です」
「そう」
短く答える。
飛空艇が降下を始める。
見慣れた景色が、徐々に近づいてくる。
ルーナ神聖国。
生まれ育った場所。
(……戻ってきた)
同時に、今回感じた事もある、
ドラグレシア竜大国は強く豊な国だ、
しかし、弱者の住める所はない。
ルーナ神聖国は弱者に優しい、
税、物価も低く、病める者、夫を失った者、
様々な事情を抱える者を受け入れ、立ち直る機会を与えている。
様々な国の人を無条件に受け入れ、
慈悲を与える、神を冠する国としての誇り。
自分の生まれ育った国の当たり前に思っていた事が、
決してそうでない事が分かり、
自分の幅が広がったように思える。
飛空艇を降りると、出迎えの者達が待っていた。
整った礼。
完璧な所作。
すべてが、かつての自分の世界。
「お帰りなさいませ、ロザリー様」
久しぶりに聞く、本来の名前。
(……ああ)
胸の奥で、何かが切り替わる。
“サラ”が、静かに消えていく。
「屋敷に戻ります、準備を」
自然に、その言葉が出た。
背筋が伸びる。
迷いはない。
ここからは――
(ロザリーとして生きる)
馬車を走らせ屋敷へと向かう。
そして――
「ロザリー」
父の声。
顔を上げる。
そこには、変わらぬ姿があった。
厳格で、威厳があってそして――
(……優しい人)
誰よりも、自分を大切にしてくれる人。
「お帰り」
「ただいま戻りました、お父様」
深く礼をする。
完璧な所作。
それを見て、父は満足そうに頷いた。
「……元気そうで何よりだ」
「はい」
短いやり取り。
だが、それで十分だった。
報告はミレナから行っている、何があったか、何をしていたかは、
全て把握済みだろう。
「とにかく今日は休みなさい」
「はい」
食事は途中でしている。
軽くお風呂に入って疲れを落とし、その晩はぐっすりと眠った。
次の日、朝食後、父の書斎に呼ばれる。
「早速だが」
父の声が、少しだけ硬くなる。
「お前の結婚についてだ」
その言葉に、ロザリーは静かに頷いた。
予想していた言葉だ。
「はい」
迷いはない。
覚悟も、できている。
「相手は、すでに決まっている」
父はそう言って、姿絵と書類を数枚差し出した。
紋章が刻まれている。
(……この刻印……ドラグレシア竜大国の王族の物?)
(……え?)
書類を見て、思考が止まった。
「ドラグレシア竜大国の……王太子?」
思わず、声が漏れる。
理解が追いつかない。
なぜ、その名前がここにあるのか。
なぜ――
「そうだ」
父は、静かに頷いた。
「先方から正式な申し入れがあった」
淡々とした説明。
だが、その内容はあまりにも重い。
「……私に?」
「他に誰がいる」
当然のように言われる。
だが――
(どうして)
疑問が止まらない。
ドラグレシア竜大国の王太子。
会ったこともないはずの人物。
それなのに――
「つがい、だそうだ」
父の言葉が、落ちる。
空気が止まる。
(……つがい?)
フェルシーナの詩が蘇る。
ドラグレシア竜大国で何度も聞いた、特別な存在。
唯一の相手。
(……それが、私?)
現実感が、ない。
あまりにも突然で。
「竜王、かの国の公爵令嬢、そして侍女からも書簡が届いている」
父は続ける。
「非常に誠実な内容だった、
国を挙げて、ロザリーを歓迎するということだ」
用意されていた手紙を全て読む。
なぜ自分がここまで歓迎されているか分からなかった。
「ロザリー」
「はい、王太子殿下との婚約をお受けします」
例え針のむしろだったとしても、
これ以外の返事はない所だ、
歓迎されているとなれば、なおさらだろう。
父は静かに頷いた。
自室に戻る。
まさか自分がドラグレシア竜大国の王太子と結婚する事になるとは、
思ってもいなかった。
しかし、これも運命なのかもしれない、
ドラグレシア竜大国で平民として暮らした日々が、
この結婚へと繋がっている、そう思った。
静かに、目を閉じる。
思い浮かぶのは、一人の男。
クリス。
ドラグレシア竜大国へ戻るとなると、
男爵である彼とはまた会うのかもしれない。
彼との時間。
笑ったこと。
食べた物。
歩いた道。
そして――
(好きだった)
はっきりと、認める。
恋だった。
確かに。
でも。
ゆっくりと、目を開ける。
そこにあるのは、現実。
公爵令嬢としての自分。
背負うべきもの。
守るべきもの。
胸は痛むかもしれない、でも、大丈夫。
クリスは恋。
しかし、王太子に捧げるのは愛。
ドラグレシア竜大国も、王太子も、
後ろ盾になってくれる公爵令嬢も、
私に心から尽くすと約束してくれた侍女も。
全てを愛そう。
(……さようなら、クリス)
心の中で、そっと呟く。
これで終わり、そう心に決めた。




