31(ルティーナ視点)
夜は更けていた。
王宮の一室――客人として用意された部屋は、静寂に包まれている。
重厚な扉の内側、
外の喧騒は、完全に遮断されていた。
「……納得がいきません」
沈黙を破ったのは、侍女のエリシアだった。
控えめではあるが、明確な不満を含んだ声音。
ルティーナは、窓辺に立ったまま振り返らない。
「何がかしら」
淡々とした問い。
だが、それは“聞いている”という意思表示でもあった。
「本日の件でございます」
エリシアは一歩前に出る。
「あのような……」
一瞬、言葉を選び――
「大したことのない装いの女性が持つ、小さな赤い石一つで許すなど」
はっきりと言い切る。
抑えた言い方だが、本音は隠れていない。
「到底、釣り合うとは思えません」
沈黙。
数秒。
ルティーナはゆっくりと振り向いた。
その表情には、怒りはない。
ただ――
わずかな呆れ。
「……見えていないのね」
「え?」
エリシアが目を瞬かせる。
理解できない、という顔。
ルティーナは静かに歩み寄り、テーブルの上に置かれた小箱を手に取った。
中には、あの赤い石のネックレス。
石は小さく、装飾も簡素、
知らない者からすれば、特別な価値は感じられない。
だが――
「これの価値が、分からない?」
静かな問い。
エリシアは少し戸惑いながらも答える。
「……申し訳ありません。美しいとは思いますが、それ以上は……」
「そう」
ルティーナは小さく頷いた。
「それが普通よ」
その言葉に、エリシアはさらに困惑する。
「普通、でございますか?」
「ええ」
ルティーナは石を指でつまみ、光にかざした。
深い赤。
ただの赤ではない。
内側からわずかに光を孕んでいるような、独特の色。
「これは、“市場に出ない”石なの」
「……市場に、出ない?」
「ええ」
ルティーナは静かに説明する。
「正確には――出せない」
エリシアの眉がわずかに動く。
「希少、という意味ではございませんか?」
「それだけじゃないわ」
ルティーナは首を横に振る。
「希少な宝石なら、いくらでもある。でも、それらは“値段がつく”」
そして――
「これは違う」
はっきりと言い切る。
「取引されないのよ」
その言葉に、エリシアは息を呑む。
「……では、どうやって」
「限られた経路でしか動かない」
ルティーナの声は静かだが、確信に満ちている。
「ルーナ神聖国の王族、もしくはそれに準ずる家系」
一瞬、言葉を切る。
「よほど特別な繋がりを持つ者」
エリシアの目が見開かれる。
「そのようなものを……あの女性が?」
「ええ」
即答。
迷いは一切ない。
「ルーナ教のなかで、神の心臓が変化したと言われる特別な赤い石があるの、
この大陸でもっとも神聖な石、だからめったな事では流出しない」
エリシアはごくりと唾を飲んだ。
「しかも、躊躇なく差し出した」
そこが重要だった。
価値を理解していなければ、出せない。
理解していても、普通は出せない。
だが――
(サラは、迷わなかった)
それがすべてを物語っている。
「……では」
エリシアは慎重に言葉を選ぶ。
「あの方は、ルーナ神聖国の高位の貴族か何か……」
「特別な身分である事は確かね」
それに・・・と続ける。
「それだけではないわ」
ゆっくりと、石を戻す。
そして、エリシアを見る。
「あなた、気づかなかった?」
「何に、でございますか」
「空気よ」
短い言葉。
だが、その意味は重い。
「あの場で、誰が主導権を握っていたか」
エリシアは思い返す。
王女であるルティーナ。
怒り、場を支配していた存在。
だが――
(……あの瞬間)
サラが現れた時、空気が変わった。
明確に。
「……あの女性が」
小さく呟く。
「そう」
ルティーナは満足げに頷いた。
「私の怒りを、“否定せずに”収めた」
そこが重要だった。
否定すれば対立になる。
迎合すれば価値が落ちる。
だが、サラは違った。
「正面から受け止めて、別の道を提示した」
それは簡単なことではない。
王族相手に、それをやるのはなおさらだ。
「しかも、言葉も完璧」
イグナリアの言語。
発音、抑揚、どれも自然だった。
「……ただの平民では、ありませんね」
単なる知識ではない。
経験。
判断力。
そして――「器」
その一言に集約される。
ルティーナは、ゆっくりと息を吐いた。
「……サラ」
小さく呟く。
「間違いないわね」
「何が、でございますか」
エリシアが問う。
ルティーナは、はっきりと答えた。
「次期竜王のつがい」
一瞬、時間が止まる。
エリシアの目が大きく見開かれる。
「……まさか」
「まさか、ではないわ」
淡々とした否定。
「むしろ、それ以外に説明がつかない」
断言。
迷いは一切ない。
「……しかし」
エリシアは戸惑う。
「あのような……身なりの方が」
「関係ないわ」
ルティーナは即座に切り捨てる。
「おそらく平民の振りをして、
この国の貴族の交流を観察していたのでしょう」
エリシア愕然とした。
「……楽しみね」
小さく呟く。
「次期竜妃、何としても味方につけたい存在ね」
エリシアは何も言えなかった。
ただ、その言葉の重さを受け止めるだけだった。
静かな夜の中で。
一人の王女は、この国が更に発展していく事を確信していた。




