28
王宮の夜は、光で満ちていた。
外から見た時も十分に美しかったが、中に入るとそれは別格になる。
高く広がる天井。
無数に吊るされたシャンデリア。
磨き上げられた床は光を反射し、まるで水面のように揺らめいている。
壁には精緻な装飾と絵画。
どれもが過剰にならない絶妙な配置で、空間に品位を与えていた。
(……これ程とわね)
ルーナ神聖国の王宮には何度も出入りしていた。
なので、どうしても比べてしまう。
まず規模が違う。
調度品一つ一つが、明らかに、一つも二つも格上だ。
これが発展をし続けた国の余裕。
ルーナ神聖国では、質の悪さを誤魔化すかのように、
赤色を使ったり、ごてごてと飾り立てていたが、
ドラグレシア竜大国はむしろシンプルだ、
そのシンプルさが質の高さを、存分に示していた。
サラは広間の端に立っていた。
壁際。
人の流れから少し外れた場所。
いわゆる――“壁の花”
ルーナ神聖国では決していなかった場所。
だが、それは意図的な選択だった。
「本当にここにいるのか?」
クリスが気を使って聞いてくれるのを、頷いて肯定する。
中央に出る必要はない。
むしろ、端にいる方がよく見える。
誰がどこに立ち、誰と話し、どんな視線を交わしているか、
すべてが俯瞰できる。
手元にはグラスを持っているが、中身にはほとんど口をつけていない。
静かに視線を会場を巡らせる。
(……一致してきたわね)
頭の中にあるのは、図書館で読み込んだ貴族名鑑。
肖像画と名前、家系、役職。
それらをひとつひとつ照合していく。
――あれが財務を担う伯爵。
――あちらが軍務の重鎮。
――あの夫人は外交に強い。
実際の仕草や空気を見れば、紙の上の情報よりもはるかに理解が深まる。
(思ったより分かりやすい)
権力を持つ者ほど、隠しきれないものがある。
視線の動き。
他者との距離。
話しかけられ方。
それらすべてが、その人間の“位置”を語っている。
サラはわずかに口元を緩めた。
(やっぱり、来て正解ね)
その時だった。
「お困りのことはありませんか」
不意に、声がかけられる。
低く、落ち着いた声。
振り向く。
そこに立っていたのは――
(冢宰)
バルディス・グランツ。
王宮の中枢にいる男。
表にはあまり出ないが、ほぼすべてを把握している存在。
サラは一瞬だけ目を細め、それから自然に微笑んだ。
「そうね」
わざと、少し考える素振りを見せる。
「一つだけあるわ」
バルディスは少し眉を動かした。
「なんでしょうか」
その声音は丁寧だが、注意深い。
サラは、ほんのわずかに間を置いた。
そして――
「困っていることが、一つもないの」
静かに言った。
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「……それは、何よりです」
バルディスが笑った。
心からの笑み、それは作られたものではない。
その瞬間――
周囲の空気が変わった。
(……あら)
ざわめきが広がる。
小さく、だが確実に。
視線が集まる。
(そういう反応になるのね)
サラは内心で納得する。
冢宰が笑う、それは珍しいことなのだろう。
「何かおかしなことを言ったかしら」
「いえ」
バルディスは静かに首を振る。
「むしろ、安心しました」
「そう」
「ええ」
短いやり取り。
だが、その裏には多くの情報が含まれている。
その視線を、サラは正面から受け止める。
逃げない。
隠さない。
ただし、見せすぎない。
数秒の沈黙。
やがて、バルディスは軽く一礼した。
「今夜は、良き時間をお過ごしください」
「ありがとうございます」
それだけ言って、彼は去っていく。
残された空気が、まだざわついている。
(……少し目立ったかしら)
だが、問題はないだろう。
横にいたクリスが、目をまん丸にしていた。
「バルディス……殿と知り合いなのか?」
「ええ。図書館で時々お話をしているの、とても博識で素敵な方よ」
クリスは去っていった、バルディスの方を見つめる。
「どうしたの?」
「いや、珍しい事もあるものだと……いや、何でもない」
そう言って、いつもの笑顔を向けてくれる。
しばらくして、音楽が流れ始める。
ダンスの時間、
中央のスペースに、人が集まっていく。
サラは動かない。
壁際のまま。
だが――
「サラ」
クリスが手を差し伸べていた。
今日は正装。
黒髪に眼鏡、
だが、その立ち姿は隠しきれない。
(……こう見ると、かっこいいわね)
胸がどきっとしたのを感じる。
「一曲、どうだろうか」
サラは一瞬だけ考え――
「いいわ」
その手を取った。
中央ではなく端に近い場所、それでも十分だった。
音楽に合わせて、一歩踏み出す。
体が、自然に動く。
リズムを刻み、回転する。
(……久しぶりね)
だが、忘れてはいない。
体に染みついている。
クリスのリードも、正確で安定している。
(上手い)
クリスのダンスの腕は、明らかに上級者のものだった。
気づけば、周囲の視線が集まっていた。
中央ではない。
端の方。
それでも――
(思っていた以上に注目を集めてしまったわね)
ただ、ここでダンスを無理に止めれば、余計に注目される。
音楽に身を任せることにする。
回転。
一瞬、視線が交わる。
クリスの目が、わずかに揺れている。
(……本当に幸せそうね)
その表情に、少しだけ笑みが浮かぶ。
曲が終わる。
自然に、動きが止まる。
拍手が沸き起こる。
サラは軽く一礼し、すぐに壁際へ戻った。
(……これ以上は目立たないようにしないと)
そうして、飲食スペースに移動した。
やがて、会場の照明がわずかに落とされる。
人々のざわめきが、自然と収まっていく。
(……始まるのね)
中央に、一人の男性が現れる。
フェルシーナ。
派手ではない装い。
だが、その佇まいには確かな自信がある。
静かに、言葉が紡がれる。
一つ一つの言葉が、空間に落ちていく。
飾りすぎない表現。
だが、確実に心に届く構成。
そして――
(つがい……)
テーマは明確だった。
竜王と、そのつがい。
唯一無二の存在。
選ばれることの意味。
結ばれることの必然。
それを、美しく、洗練された言葉で描いている。
(……なるほど)
サラは静かに聞きながら思う。
この国において、“つがい”は特別だ。
制度ではない。
血でもない。
直感と、本能。
それが、最上位の価値として認められている。
(面白いわね)
詩が終わる。
静寂。
そして、大きな拍手。
会場全体が、その価値を理解している。
それが分かる。
(……やっぱり)
サラは小さく息を吐いた。
「この国で、つがいは特別」
誰に言うでもなく、心の中で呟く。
その時。
ふと、ある人物の顔が浮かんだ。
(……クリス)
あの真っ直ぐな視線。
迷いのない言葉。
そして――
最初に会った時の、あの行動。
(……何を考えているのかしら)
少しだけ、興味が湧く。
これまでは、単なる友人。
だが今は――
(少し、気になる)
ほんのわずかに、だが確かに意識が向いている。
しかし、今はクリス以上に意識が向く存在がある、
目の前に広がる、魅惑の料理達だ、
サラはお皿にいろんな料理を載せて、次々と食べ進める。
(そんな事より、今は食事よ!)
そんなサラをクリスは幸せそうに眺めていた。




