27
テーブルの上には、先ほどまで二人で食べていたレモーネのケーキの皿と、
まだ温かさの残る紅茶。
その余韻の中で、ジェニファーはふとカップを持つ手を止めた。
何かを考えている顔、
ほんのわずかに視線が落ち、言葉を選んでいるような沈黙。
サラはその様子を、静かに観察していた。
(……何かあるわね)
ただの雑談では終わらない気配を感じ、
サラはカップをソーサーに戻し、口を開いた。
「どうかしたの?」
穏やかに問いかけると、ジェニファーはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、迷いと――決意が混じっている。
「……一つ、サラに提案があるの」
少しだけ、声が低い。
軽い話題ではない、と直感する。
「なに?」
短く返す。
促すでもなく、急かすでもなく。
ただ、受け止める姿勢だけを見せる。
ジェニファーは一度息を整え、それから口を開いた。
「近いうちに、王宮でパーティが開かれるわ」
その言葉に、サラの指先がわずかに止まる。
だが、表情には出さない。
「パーティ?」
「ええ」
ジェニファーは頷く。
「今回の主題は、詩よ」
「詩……」
その響きに、サラは少しだけ興味を引かれる。
この国は文化水準が高い、
教育も、技術も、制度も整っているが、それだけではない、
芸術への理解と支援が、他国とは比べものにならないほど深い。
「フェルシーナという詩人がいるの」
ジェニファーの声に、わずかな熱が宿る。
「新進気鋭。けれど、もう“新進”という言葉では収まらないほど評価されているわ」
「そんなに?」
「ええ」
「感情の描き方がとても繊細で、しかも構造が美しいの。
言葉の選び方も独特で……読んでいるだけで、情景が浮かぶ」
その語り方は、明らかに“好き”な者のそれだった。
サラは少しだけ口元を緩める。
「ずいぶんと気に入っているのね」
「ええ、とても」
迷いのない肯定。
「そのフェルシーナが、新作を王宮で発表するの」
「なるほど」
サラは頷く。
王宮で発表となれば、フェルシーナという詩人が、
どれだけ評価されているか、自然と分かるという物だ。
「それは確かに、大きな催しね」
「ええ。だから、沢山の貴族たちが顔を出すわ」
ジェニファーはそう言って、わずかに言葉を切った。
その“間”に、サラは気づく。
(……本題はここからね)
案の定。
「あなたも来ない?」
静かに、そう言われた。
一瞬、時間が止まる、
サラは瞬きを一つしてから、ゆっくりとジェニファーを見返した。
「私が?」
「ええ」
迷いのない視線。
試すでも誘導するでもない、
単なる“当然の選択肢”としての提案だった。
「……無理じゃないかしら」
サラは率直に言った。
「私は平民よ?」
その言葉に、ジェニファーはわずかに首を振る。
「一人で行くなら、そうね。でも――」
そこで、少しだけ口元を緩める。
「同行者としてなら話は別よ」
「同行者?」
「ええ」
ジェニファーは視線をまっすぐに向けたまま言う。
「クリスに誘ってもらえばいいのよ」
その名前に、サラの胸が小さく揺れる。
ほんのわずかに。
「……クリスに?」
「ええ」
「彼、男爵なのでしょう?」
「そうね」
「なら問題ないわ。男爵の随伴者であれば、細かな身分の確認まではされない」
理屈としては正しい。
社交界は厳格でありながら、完全ではない。
特に“付き添い”の立場は、ある程度の曖昧さを許される。
「それに」
ジェニファーは続けた。
「あなた、王宮の料理に興味はない?」
「……あるわね」
素直に認める。
休日食べ歩きをするぐらい食には興味がある。
だが、その頂点――王宮は、まだ知らない。
「この国の最高峰よ」
ジェニファーは静かに言う。
「食べておくべきだと思うわ」
サラは視線を落とした。
王宮。
社交界。
貴族たちの世界。
(……久しぶりね)
かつては、そこが自分の居場所だった。
だが今は違う。
名前も、立場も。
すべてを変えている。
(それでも――)
むしろ、よく知っているからこそ。
(今の私で、どう見えるか)
それが気になる。
“サラ”として、あの場に立った時、何が見えるのか。
「……いい機会かもしれないわね」
ぽつりと呟く。
ジェニファーの目がわずかに輝く。
「行くの?」
「ええ」
サラはゆっくりと頷いた。
「クリスに相談してみるわ」
その言葉に、ジェニファーの表情がぱっと明るくなる。
「本当?」
「ええ」
「良かった……!」
心から安堵したような声音。
その反応に、サラは少しだけ笑った。
「そんなに?」
「ええ、そんなに」
即答だった。
「あなたが来るなら、絶対に面白くなるもの」
「それはどういう意味かしら」
「そのままの意味よ」
まったく悪びれない。
サラは肩をすくめた。
(……どんな期待なのかしら)
夕暮れ。
ジェニファーが馬車に乗ったのを確認した頃には、
空は橙から紫へと移り変わっていた。
扉を開け、室内へ入る。
外の空気よりも、少しだけ暖かい空間。
「……王宮、ね」
小さく呟く。
静かな部屋に、その声が溶ける。
懐かしさはある。
だが、それ以上に。
(違う場所に行くような感覚)
同じ王宮でも、立場が違えば、見える景色は変わる。
その変化を、少し楽しみにしている自分がいる。
その時。
扉がノックされた。
「サラ、いる?」
ミレナの声。
「いるわよ」
扉が開き、彼女が入ってくる。
「何かあった?」
ミレナはすぐに察する。
サラは椅子に腰掛け、軽く足を組んだ。
「王宮のパーティに行くことになるかもしれないわ」
その一言で、ミレナの目が細くなる。
「……王宮?」
「ええ」
「また大きく出たわね」
半分呆れ、半分楽しんでいる声音。
「誘われたのよ」
「誰に?」
「ジェニファーに」
「ああ……なるほど」
すぐに納得したように頷く。
「で、どうやって入るの?」
「クリスの同行者として」
「……ふーん」
意味ありげな視線。
サラはそれを受け流す。
「そういう話になっただけよ」
「はいはい」
ミレナは軽く笑った。
クリスに相談すると、二つ返事でOKしてくれた。
むしろ歓迎してるようだ。
ミレナが確認するように言う。
「ドレスは?」
「クリスが用意してくれるらしいわ」
「……用意するのね」
わずかにミレナの口元が上がる。
もちろん、最初はエスコートだけで十分だと言った、
しかし、クリスは張り切り、
ダレンに押し切られる状態で決まったのだ。
男爵の付き添いである、平民が着るドレスだ、
派手な物や流行の最先端をいくドレスは、
高位貴族の逆鱗に触れる。
あくまで控えめで、どこにでもあるデザイン、
生地もありふれた物。
クリスには念を押して、お願いした。
ミレナはそれ以上は何も言わなかった、
だが、その表情は明らかに楽しんでいる。
「アクセサリーは?」
「髪飾りだけにするわ」
「控えめね」
「その方がいいでしょう」
サラは静かに言う。
「今回は目立つ必要はないもの」
むしろ――
(観察する)
それが目的だ。
誰がどう動くか。
どんな価値観で場が回っているか、それを知る。
「……まあ、サラなら大丈夫か」
ミレナはあっさりと言った。
「何があっても、どうにかするでしょうし」
「ええ」
サラは迷わず頷く。
「どうにかするわ」
その言葉には、確かな自信があった。
夜。
窓の外には、街の灯りが広がっている。
サラはその光を静かに見つめていた。
(社交界……)
「楽しみね」
自然と、そう呟いていた。
その言葉は、夜の静けさの中に、柔らかく溶けていった。




