26(ジェニファー視点)
ドラグレシア竜大国の王立図書館は、今日も静かだった。
天井まで届く巨大な本棚。磨き上げられた深い色の木材。
高窓から差し込む午後の陽光が、本の背表紙を金色に浮かび上がらせている。
週に1度、金曜日。
ジェニファーは子爵令嬢を装い、サラと会話を楽しんでいた。
誰が敵で、誰が味方か分からない。
味方だと思ってた人が、次の瞬間敵になる。
そんな貴族のやり取りの中では、
本当の意味で友人などいなかった。
周りにいたのは、公爵家に逆らえない、
安全な令嬢数人のみ。
サラはそんな令嬢達とは全然違う。
家も肩書も気にしない。
対等な認め合え、心が許せる友人。
そんな存在に出会えた事が、心から幸せだった。
神に感謝したいぐらいに。
サラといると、不思議と肩の力が抜けた。
彼女は決して媚びない。
けれど無礼でもない。
その空気感は、貴族教育だけで身に付くものではなかった。
「ジェニファー、この本探していなかった?」
談話室へ向かう途中、サラが一冊の本を差し出した。
「……あら。よく分かられましたわね」
「以前、“竜騎士団創設史”を探していたのよ」
私は目を瞬かせた。
普通、そんな何気ない会話を覚えているだろうか。
しかも数週間前の話だ。
「記憶力が良いのね」
「そう?」
サラはふわりと笑った。
一応、子爵令嬢と平民で身分差はあるが、
あくまで友人として、くだけた口調で身分を意識しないで話して欲しいと、
サラにお願いしている。
サラは「本当にいいのかしら」といいつつ、
普通に話してくれている。
談話室へ入ると、私たちはいつもの席へ座った。
窓際の丸テーブル、中庭の花壇がよく見える場所だ。
紅茶が運ばれてくる。
私は何気なく尋ねた。
「そういえば、最近はどんな本を読んでいらっしゃるの?」
「貴族名鑑よ」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「今年度版が出たので、最新情報を確認する為に、
今回は情報更新が多くて、面白かったわ」
私も毎年目を通すが、しばらくは暗記で頭が痛くなる思いをする、
それを面白いと言ってしまえる所に、尊敬の念がますます深くなる。
まず分厚い。
貴族家の家系図や派閥まで載っているからだ。
私は半ば呆れながら笑った。
「まさか全部覚えるつもり?」
「もう大体覚えたわ」
「……え?」
サラはさらりと言った。
あまりにも自然に。
私は思わず身を乗り出す。
「大体って、どのくらい?」
「主要貴族百二十家ほどかしら」
「ひ、百二十……!?」
思わず声が裏返った。
「……本当に?」
「ええ」
「家族も入れると、五百人近いわよ」
「そうね」
サラは当然の事のように言い、呆然とする。
ジェニファーも貴族名鑑には目を通すが、覚えるのは伯爵家以上の家に限定していた。
サラは男爵・子爵も全て覚えているという事だ。
私は試すように言った。
「では、アーヴェント侯爵家」
「現当主はレオニード・アーヴェント侯爵。五十二歳。
保守派寄りだけど、中立傾向。
夫人は病弱で社交界にはほとんど出ない。
長男は竜騎士団所属、次男は研究院。
三女は昨年婚約されたのよね」
「…………」
正確だった。
完璧に。
「じゃ、じゃあ……ヴァルハイド公爵家」
「現当主はエドガー・ヴァルハイド公爵。
王家寄りの筆頭貴族。
クリストファー殿下とも関係が深い」
「そこまで知っているの!?」
「有名だもの」
有名だもの、ではない。
「……サラ、あなた本当に平民?」
今更の質問だと思うが、聞かずにはいられなかった……
「父の仕事の関係で、必要になるかもれしない事だから」
サラはにこり、と微笑む。
柔らかい笑顔。
まったく裏は読めない。
もし読ませないのだとすれば、プロ中のプロだ。
むしろ――。
私は少し楽しくなってきていた。
「なら、私が追加情報を教えてあげる」
「追加情報?」
「ええ。名鑑に載らない“噂”よ」
サラの金色の瞳が、ぱっと輝いた、
私は思わず笑ってしまった。
「例えば、アーヴェント侯爵家の次男。
研究院所属だけれど、実際は女性関係がかなり派手」
「なるほど……」
サラは真剣な顔で頷き、手帳へ書き込む。
「あと、ヴァルハイド公爵夫人は甘いもの好き。
特に蜂蜜菓子」
気付けば私たちは、時間を忘れて話し込んでいた。
誰がどの派閥か。
誰と誰が不仲か。
どこの夫人が宝石好きか。
サラは驚くほど飲み込みが早い。
彼女の力になれている事が、心から嬉しかった。
「ジェニファー、もしよろしければ……」
ある日の帰り際、サラが少し遠慮がちに言った。
「今度、家へ遊びに来ませんか?」
「……え?」
「いつもいろいろ教えてもらっているでしょう、
お礼にケーキでもどう?」
私は少し驚いた。
貴族同士ならともかく、平民の家へ招かれるなど初めてだ。
「行くわ」
そう答えると、サラは本当に嬉しそうに笑った。
次の日曜。
私はサラの家を訪れた。
下町にある、小さな一軒家。
けれど驚くほど清潔だった。
窓辺には花。室内は整頓されどこか温かい。
「いらっしゃい、ジェニファー」
同居人だというミレナを紹介される、
お菓子は彼女の手作りだそうだ。
「今日は特別なお菓子を作ったんです」
「特別?」
「はい」
テーブルへ案内される、
しばらくして運ばれてきたのは、淡い黄色のケーキだった。
ふわりと爽やかな香りが漂う。
「……何かしら?」
「レモーネのケーキよ」
「レモーネ?」
聞いたことのない果実名だった。
「ルーナ神聖国でのみ採れる果実だから、
この国の人には珍しいはずよ」
私は恐る恐る一口食べた。
――その瞬間。
「っ……!?」
衝撃が走った。
爽やかな酸味。
甘さとの絶妙な調和。
香りが一気に鼻へ抜ける。
こんなお菓子、食べたことがない。
「お、美味しい……!」
「良かったです」
サラはほっとしたように微笑んだ。
私は夢中で二口、三口と食べる。
「何これ……凄いわ……!
こんなものを普通に出すなんて……!」
私は貴族のお茶会に出したら、
一気に上位の立場に立てると計算する。
「このお菓子は秘密にしておいて、ここぞという時に出すべきよ」
サラは少し驚きながらも。
「特別なお客様だけよ」
と言い。
自分がその”特別”である事が、嬉しかった。
サラは人の心を自然に掴む。
ただ優しいだけではない。
相手を理解し、居心地の良い空間を作り、
気付けば心を許させている。
これは才能だ。
天性の。
「サラ」
「はい?」
私は静かに言った。
「私は絶対の貴女の味方よ、何があっても力になるわ」
サラが目を丸くする。
「ありがとうございます、そんな友人がいるなんて、
私は果報者ね」
その言葉に胸が熱くなる。
「友人?」
「ええ、とてもいいお友達だと思っているわ」
私はその言葉を何度も頭で繰り返し、
ゆるくなる頬を隠すように、紅茶を飲んだのだった。




