24(カトリーヌ視点)
夜の空気は、どこまでも静かだった。
高級娼館の最上階。
外界の喧騒とは切り離されたようなその部屋で、カトリーヌは窓辺に立ち、
ゆっくりとグラスを傾けていた。
赤い液体が、わずかに揺れる。
視線の先には、夜の街。
灯りが点々と連なり、人の営みがかすかに見える。
「……終わったようね」
小さく、呟く。
ほんの数日前まで、この街の裏側では“商品”が動いていた。
名前を奪われ、意思を奪われ、ただ売られるためだけに存在させられた女たち。
それが今は――
いない。
娼館は潰れ、関係者は消え、女たちは解放された。
あまりにも、あっけない終わりだった。
「まるで夢みたいね」
くすり、と笑う。
だが、その瞳に浮かぶのは、甘さではない。
冷静な観察者の色だった。
あの夜のことを思い出す。
招いたのは、教会の下働きの男。
名はリュート。
持ってきた証拠の書類、
それから、情報は十分すぎるほどに引き出せた。
――マグヌス・サン=クロワ。
教会の司教。
(あの時点で、もう勝負は決まっていた)
結果は、見ての通りだ。
組織は崩れ、証拠は消え、関係者は消えた。
そして。
「司教様は、急なご病気でお亡くなり……ね」
ふ、と笑う。
あまりにも都合の良い終わり方。
だが、裏の世界ではそれが“正しい処理”だ。
裁判も、弁明もない。
ただ、消える。
それで全てが片付く。
カトリーヌはゆっくりと窓から離れ、ソファに腰を下ろした。
背もたれに身を預ける。
柔らかな感触が、わずかに身体を沈めた。
(王宮の裏……)
王宮なら裏の顔があって同然、驚く事ではない、
この国には“もう一つの顔”がある、
表では見えない場所で、確実に秩序を保つ存在。
それは正義ではない。
だが、必要なものだ。
そして。
(繋がった)
カトリーヌの唇が、ゆっくりと歪む。
あの情報が流れた先。
その動き。
処理の速さと正確さ。
間違いなく、王宮の裏の人間が動いた。
そしてその糸は、今――
「こちらにも届いている、というわけね」
テーブルの上に置かれた小さな封筒に視線を落とす。
差出人の名はない。
だが、封蝋に刻まれた紋章は見覚えがあった。
王宮の内側にいる者にしか使えない印。
カトリーヌはそれを手に取り、指先でなぞる。
「面白いじゃない」
静かに、呟く。
これは“招待”だ。
裏の世界で生きる者に対する、静かな了承。
――お前は、使える。
そう言われているに等しい。
普通の女なら、恐れるだろう。
だがカトリーヌは違う。
恐れよりも先に、興味が勝つ。
どれほどの力を持つ者たちなのか。
どれほど深く、この国に根を張っているのか。
そして。
(その上に立つ存在は、どんな存在なのか)
「……ふふ」
小さく笑う。
街で耳にした噂。
盗賊から女を救った“ある人物”。
名は広まっていない。
今は侍女のネットワークに流れているだけのようだが、
このカトリーヌの耳には、詳細な情報が入っている。
(ああ、なるほど)
グラスを持ち上げる。
ゆっくりと口をつける。
舌に広がる芳醇な甘味。
それを味わいながら、カトリーヌは目を細めた。
(そういうことね)
この国において、特別な存在。
竜の血を引く者が選ぶ、ただ一人。
理屈ではない。
制度でもない。
“選ばれる”存在。
――つがい。
その言葉が、静かに浮かぶ。
カトリーヌは、これまで多くの人間を見てきた。
貴族も、商人も、裏の人間も。
欲に溺れる者。
権力にしがみつく者。
弱者を踏みつける者。
だが、ごく稀に。
まったく違う種類の人間がいる。
理屈では測れない存在。
周囲の空気を変え、流れを変え、
気づけば“当然のように”中心にいる者。
(彼女は、そういう存在ね)
確信に近い感覚だった。
証拠など必要ない。
長年この世界で生きてきた勘が、そう告げている。
そして今回の件。
あまりにも整いすぎた結末。
(あの方が、流れを変えた)
重要なのは“何を成したか”。
そして、その結果。
「……認めるしかないわね」
単なる平民、いや、平民だからこそ、
その異常さが分かる、明らかに突出した存在。
静かに、言葉を落とす。
グラスをテーブルに置く。
指先が、軽く音を立てた。
「次期竜王のつがい」
純粋な評価。
この国で生きる者としての、理解。
「面白くなってきたじゃない」
口元に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
裏の世界は、力で決まる。
金、情報、権力。
サラは全てを持っていた。
当然普通の平民である訳がない。
カトリーヌはソファから立ち上がり、再び窓辺へと歩み寄る。
夜の街を見下ろす。
変わらないようでいて、確実に何かが変わり始めている。
そんな気配があった。
「さて……」
小さく呟く。
手の中の封筒を、軽く叩く。
「こちらも、動くとしましょうか」
王宮の裏と繋がった今、出来ることは格段に増える。
裏の人間として、”次期竜王のつがい”を認めた瞬間だった。




