23(クリストファー視点など)
朝の光が、重厚なカーテンの隙間から細く差し込んでいた。
王太子執務室は、既に一日の仕事に備えて整えられている。
磨き上げられた机、規則正しく並べられた書類、壁に掛けられた地図。
すべてが秩序の中にあり、この国の安定そのものを象徴しているかのようだった。
クリストファーは椅子に腰掛け、差し出された報告書へと視線を落とす。
最初の数行を読んだ瞬間、彼の手がわずかに止まった。
「……違法娼館が特定されて、潰れた?」
低く抑えた声が、静かな室内に落ちる。
報告書には、簡潔に事実のみが記されている。
下町の一角に存在していた娼館が摘発され、閉鎖。関係者は拘束され、
組織としては機能を失ったと見てよい、と。
それだけならば、珍しい話ではない。
違法な営業、あるいは裏での犯罪行為が露見し、摘発される――
それ自体は、この国でも過去に何度かあった。
だが。
(規模が違う)
視線を滑らせる。
今回摘発された娼館は、単なる一店舗ではない。
複数の盗賊団と繋がり、各地から女性を集めていた疑いがある。
さらに、その背後には資金の流れを含めた広範なネットワークの存在も
示唆されていた。
つまり、本来であれば――
(数ヶ月、あるいは年単位の調査が必要な案件だ)
それが、たった一度の摘発で終息している。
あまりにも、整いすぎていた。
「報告を」
顔を上げずに告げる。
「はっ」
控えていた侍従が一歩進み出た。
「今回の件、拘束された者の証言により、女性たちの所在が確認されました。
既に大半は保護され、出身地への帰還手続きが進められております」
「……そうか」
短く応じる。
指先で紙面を軽く叩く。
結果だけを見れば、評価すべき案件だ。
人身売買の温床となっていた組織が壊滅し、被害者が救出された。
それは、王太子として歓迎すべき出来事である。
だが――
「妙だな」
思わず、言葉が漏れた。
侍従がわずかに顔を上げる。
「と、申されますと」
教会と繋がっていると噂され、あれほど証拠のなかった案件、
それがこんなにもあっさり解決するものだろうか・・・
クリストファーはようやく視線を上げた。
「この規模の組織が、これほど短期間で崩れるものか」
「……確かに、通常であれば段階的な摘発が行われるはずですが」
「それが一度で終わっている」
言葉を重ねる。
「まるで、最初から全ての繋がりが把握されていたかのようだ」
沈黙が落ちる。
侍従はすぐに言葉を返さなかった。
不用意な発言を避けるためか、それとも同様の疑念を抱いているのか。
「……現時点では、内部告発による情報が大きかったとされています」
「内部告発、か」
クリストファーは目を細める。
「名は出ているのか」
「いいえ。匿名です」
「都合がいいな」
淡々とした口調の中に、わずかな棘が混じる。
匿名の情報提供者。
それ自体は珍しいものではない。
だが今回の場合、それがあまりにも“的確すぎる”。
組織の構造、関係者の動き、資金の流れ――
それらを正確に把握していなければ、ここまで一気に摘発へと繋げることはできない。
(内部の人間か……それとも)
思考を巡らせる、だが確証はどこにもない。
「盗賊団との関係は」
「複数の団が関与していたと見られています。
主に女性の輸送、および監視を担当していた模様です」
「壊滅状態か」
「はい。主要な構成員は拘束されました」
「……なるほど」
椅子の背にもたれかかる。
視線を天井へ向ける。
これほどの規模の犯罪組織が、あっという間にに崩壊する。
それは確かに望ましい結果だ。
だが同時にどうしても違和感が拭えなかった。
「……教会との関係は」
再び問いを投げる。
侍従が一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「噂はあります」
「内容は」
「一部の聖職者が、裏で関与しているのではないか、と」
「証拠は」
「確認されておりません」
「……そうか」
短く応じる。
教会。
大陸中、この国においても、一定の影響力を持つ組織だ。
本来は民を導く存在であり、倫理の象徴であるべき場所、
だが、組織が大きくなればなるほど、そこに歪みが生じる可能性は否定できない。
(だが、軽々しく疑うべきではない)
確証がない以上、それはただの憶測に過ぎない。
王太子という立場にある以上、根拠のない疑念を口にすることは許されない。
「それと……もう一件」
侍従が続ける。
「中央教会の司教の一人が、昨夜、体調を崩し……そのまま」
「亡くなったか」
「……はい」
静かな声での肯定。
クリストファーは、しばし何も言わなかった。
指先が、机の上で止まる。
娼館の摘発。
盗賊団の壊滅。
教会関係者の死。
それぞれは、単独で見れば不思議ではない出来事だ。
だが――
(重なりすぎている)
あまりにも、タイミングが一致している。
まるで、一つの流れの中で起きたかのように。
「死因は」
「病死です」
「そうか」
淡々と応じる。
表向きには、問題のない報告だ。
だが。
(偶然……か?)
疑念が、わずかに顔を出す。
だがすぐに、それを押し込めた。
証拠がない以上、考えるだけ無駄だ。
むしろ、余計な方向へと思考を誘導される危険すらある。
クリストファーはゆっくりと息を吐いた。
「引き続き、動向を監視しろ」
「はっ」
「特に教会関連だ。表に出ていない部分も含めて、慎重に」
「承知いたしました」
侍従が一礼し、静かに退室する。
扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
再び訪れる静寂。
クリストファーは机の上の報告書を見つめたまま、しばらく動かなかった。
頭の中で、断片的な情報が組み合わされていく。
だが、それは一つの形にはならない。
「……考えすぎか」
小さく呟く。
椅子から立ち上がり窓際へと歩み寄る、
カーテンを開けると、朝の光が一気に差し込んできた。
眼下には、整然とした王都の街並みが広がっている。
石畳の道路、整備された水路、行き交う人々。
平和で、安定した光景。
それこそが、この国の誇りだ。
そして。
(それを守るのが、私の役目だ)
クリストファーは静かに目を細めた。
どれほど裏で何が起きていようと。
どれほど見えない力が動いていようと。
最終的に守るべきものは、変わらない。
民の生活。
国の秩序。
それさえ守られるのであれば――
「……それでいい」
低く、言葉を落とした。
同時。
サラの自宅にて。
「報告です。
宰相、バルディス・グランツがマグヌス・サン=クロワを毒殺。
違法娼館は閉鎖、女性は保護、盗賊団の資金源がいくつか潰されました」
「リュートの身柄は?」
「ルーナ神聖国の大司教の下働きにしました、
彼は白です、問題はないかと」
「ありがとう、今はこれ以上はいいわ」
「かしこまりました」
膝をおっていたミレナは鋭い目を一瞬にして変える。
ゆるやかに立ち上り、平民の口調で声をかける。
「で、今日のお菓子はパンケーキがいいの?」
「ええ、メイプルシロップをかけてね」
「はいはい」
ミレナはパンケーキを作るために、キッチンに向かった。




