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次期竜王のつがい  作者: あいら


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2

舞踏会の喧騒が遠くに消え、王都の灯りも静けさに包まれつつある頃。

ステレット公爵家の屋敷だけは、異様な空気に満ちていた。


重厚な扉が、乱暴に開かれる。


「ロザリー!」


低く、しかし抑えきれない怒気を含んだ声。


執務室の中央に立つ男――ステレット公爵は、

普段の冷静沈着な姿とはまるで別人のようだった。


鋭い眼光。握りしめられた拳。

その全てが、怒りを示している。


その視線の先にいるのは――


「お父様」


ロザリーは、いつもと変わらぬ様子で一礼した。


まるで、何事もなかったかのように。


「何が“お父様”だ!」


机を叩く音が響く。


「聞いたぞ……あの愚か者が、私の可愛いロザリーとの婚約を破棄したと!」


怒りが爆発する。


「しかもあろうことか、公の場で! 卒業パーティでだと!?」


信じられない、というより――許せない。


その感情が、言葉の端々から滲み出ていた。


「王族としての自覚はどこへ行った! 貴族社会への影響を何だと思っている!」


歩き回る。


苛立ちを抑えきれず、重い足音が床に響く。


「しかも相手が男爵令嬢だと!? ふざけるな……!

 ステレット家を侮辱するにも程がある!」


空気が震える。


それほどの怒りだった。


だが。


「お父様」


ロザリーの声は、静かだった。


落ち着いていて、揺らがない。


「どうか、落ち着いてくださいませ」


「落ち着けるものか!」


即座に返ってくる。


「お前がどれだけの時間をかけて、どれだけの努力をしてきたと思っている!」


王太子妃教育。


礼儀作法、政治、歴史、経済、外交、語学。


幼い頃から積み上げてきたすべてが、今のロザリーを形作っている。


「それを……あの愚か者は、一言で!」


言葉が途切れる。


怒りが、言葉にしきれないほど膨れ上がっている。


ロザリーは、静かに父を見つめた。


(……本当に)


父は自分のことを、大切に思っているのだと改めて感じる。


だからこそ。


「お父様」


少しだけ、柔らかく声を落とす。


「私は、大丈夫です」


「……何がだ」


低い声。


まだ怒りは収まっていない。


「婚約が解消されたことも……これからのことも」


ロザリーは、まっすぐに父を見る。


「私は、何も失っておりません」


その言葉に、公爵の動きが止まった。


「……何を言っている」


「確かに、王太子妃という立場は失いました」


しかし、と続ける。


「それは、“私”そのものではありません」


静かに、はっきりと。


「私は、私です」


その言葉は、強かった。


誰にも揺るがされない、自分自身への確信。


公爵は、何も言えなくなる。


怒りが、少しだけ形を変える。


理解と――戸惑いへと。


「……ロザリー」


ゆっくりと、名を呼ぶ。


「お前は……本当に、それでいいのか」


問い。


父としての、純粋な問いだった。


ロザリーは、わずかに微笑む。


「はい」


迷いはなかった。


その様子を見て。


公爵は、大きく息を吐いた。


怒りが、完全に消えたわけではない。

だが、それ以上に――娘の意志を無視することはできない。


「……ならば」


椅子に腰を下ろす。


そして、ロザリーを見据える。


「お前の望みは何だ」


短く、だが重い言葉だった。


ただ慰めるのではない。

ただ守るのでもない。


娘の“意思”を問うている。


ロザリーは迷わず答える。


「――ドラグレシア竜大国へ行きたいのです」


公爵の眉が、わずかに動く。


「……何だと?」


「婚約破棄に伴う慰謝料で、渡航の許可をいただきたいのです」


淡々とした説明。


だが、その内容は決して軽くない。


「なぜだ」


短い問い。


ロザリーは、静かに答える。


「この国では、できなかったことがあるからです」


「……できなかったこと?」


「はい」


視線を少しだけ外す。


窓の外、夜の闇へと。


「私はこれまで、“決められた道”を歩いてまいりました」


王太子妃になるために。


それだけを考えて。


「ですが……それ以外の生き方を、私は知りません」


自嘲ではない。


ただの事実。


「ドラグレシア竜大国は、実力主義の国と聞いております」


教育水準が高く、技術も発展している。


そして。


「身分に関わらず、評価される国」


だからこそ。


「――そこで、自分が何をできるのかを知りたいのです」


静かな言葉。


だが、確かな意志がそこにあった。


公爵は、しばらく何も言わなかった。


ただ、娘を見つめる。


その目は、厳しく――そして優しい。


「まさか……平民として行くつもりか」


「はい」


即答だった。


「身分は明かしません」


「……馬鹿なことを」


思わず漏れる。


「お前が平民の生活など……」


「承知しております」


遮るように言う。


「ですが、それでも」


まっすぐに見返す。


「やってみたいのです」


沈黙。


重い沈黙が、部屋を満たす。


やがて。


公爵は、深く息を吐いた。


「……本気なのだな」


「はい」


迷いはない。


その答えに、公爵は、ゆっくりと立ち上がる。


「分かった」


短く、告げる。


「家は用意する、金もだ」


「……お父様」


「それは」


「最低限だ」


有無を言わせぬ口調。

だが、その目は――どこか嬉しそうだった。


「ただし、期限は三年だ」


ロザリーは、静かに頷く。


「三年後」


公爵の声が、わずかに重くなる。


「私が決めた相手と結婚してもらう」


条件。


父としての、譲れない一線。


ロザリーは、少しだけ目を閉じる。


そして。


「……承知いたしました」


父が私の未来を心配するのは当然だ、

結婚相手を決めるのは貴族の父親として当然の事、迷いはない。


「……全く」


公爵は、小さく笑う。


「本当に、私の娘だな」


無茶を言うところも。

それをやり遂げようとするところも。


ロザリーは、わずかに微笑む。


「ありがとうございます、お父様」


その笑みは――


これまでの“完璧な令嬢”のものとは、少し違っていた。

娘から、大切な父親に向けた、親愛の笑顔だった。

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