19(カトリーヌ視点)
夜は、嘘を柔らかくする。
高級娼館の灯りは、昼間よりもむしろ穏やかだった。
薄紅のカーテン越しに揺れるランプの光は、すべてを美しく見せるためにある。
ここに来る者は皆、“現実”ではなく“夢”を買いに来る。
だがその夢が、どれほど歪んだ材料でできているかを知る者は少ない。
カトリーヌ・ド・ラ・ロワールは、鏡の前で髪を整えていた。
淡い金色の髪を指先で滑らせ、紅を薄く引く。
鏡の中の自分は、いつも通り完璧だった。
(今日は“いい客”が来る)
そう思いながらも、胸の奥には微かな冷たさがあった。
彼女は“高級娼婦”。
「カトリーヌ、準備はいいかい?」
扉の向こうから支配人の声がする。
「ええ」
短く答える。
今日の客は“特別”だと聞いていた。
身なりは地味。だが、紹介状がある。
応接室は、いつもより少し重い空気だった。
客として通された男は、黒いローブを着ていた。
年は若い。だが、目の奥に疲労がある。
「リュート、と申します」
名乗りは丁寧だった。
だが声が震えている。
カトリーヌは微笑む。
「ようこそ、ル・ルミエールへ」
彼の目がわずかに揺れる。
(教会の下働きね……)
すぐに分かる。
教会の下働き程度が来れる程、この店は安くなく、
しかも一番ランクが高い私を買えるはずがない。
紹介状の主から、書類を手にしたら、
本来の報酬の3倍の金額を支払われる約束だ。
リュートの顔色は悪い。
とても娼館に来た者の顔色ではない。
ここに来た理由は一つしかない。
逃げられない事情。
あるいは――弱み。
部屋は静かだった。
「ワインをどうぞ」
そう言って手渡すも、リュートは一口も飲まない。
リュートは唇を噛んだ。
そして、ようやく本題を出す。
「盗賊の話を、知っていますか」
「ええ、噂なら聞くわ」
軽い世間話のように続ける。
「娼館に女性を売り飛ばしている」
「それも噂のひとつね」
リュートは震える手でカップを握った。
「私は……その記録を見てしまいました」
沈黙。
その一言は、重すぎた。
カトリーヌはゆっくりと目を細める。
「記録?」
「教会の帳簿です。……マグヌス司教の指示で」
カトリーヌは何も知らないという顔をする。
マグヌス・サン=クロワ。
教会の中枢にいる男。
カトリーヌは静かに息を吐いた。
「それで、あなたはなぜここに?」
リュートは視線を落とす。
「逃げられません」
短い言葉。
だがそれは、真実だった。
「記録を見た者は、消される」
「それは怖いわね」
大げさに体を震わせて答える。
「ある人物から聞きました、
ここで証拠を渡せば、守ってもらえると」
「ええ、聞いているわ、約束する」
窓の外には、夜の街が見える。
美しい光。
しかしその裏には、同じだけの闇がある。
(この国は、いつもそうだ)
光と闇が、同じ場所にある。
リュートは小さな封筒を取り出した。
震える手で差し出す。
「これが……記録です」
封筒の中には、数枚の紙。
取引記録。
金の流れ。
娼館の名前。
そして、教会の印。
カトリーヌはそれを一枚ずつ見た。
(やはり……繋がっている)
盗賊。
娼館。
教会。
そして、マグヌス。
カトリーヌは紅い唇をゆっくりと開く。
「今夜は楽しみましょう」
その言葉に薄い布の服を脱ぐ。
リュートはごくりと唾を飲んだ。




