12
昼下がりのレストランは、いつも通りの賑わいを見せていた。
油で揚げる音、皿の触れ合う軽やかな響き、客たちの楽しげな笑い声。
その中心で、サラは慣れた手つきで料理を運び、注文を取り、軽やかに動いている。
「カツレツ一つ、セットね。すぐ出るわ」
「はいよ!」
厨房から返ってくる調理人のダンの声に、サラは小さく頷いた。
もうすっかり、この場所は自分の居場所になっている。
最初は戸惑いばかりだった下町の空気も、今では心地いい。
誰も肩書きで見ない。誰も期待を押し付けない。
――自由。
その言葉を、サラは実感していた。
「おいサラ、水くれ!」
「はーい、今行きます!」
パスタを口いっぱいに頬張って、喉につまった客に水を差しだす。
男性は一気に水を喉に流し込み、
「助かった」
と涙目に言っていた。
そんなやり取りすら、楽しい。
そのとき、入口の扉が開いた。
カラン、と軽やかな音。
視線を向けたサラは、一瞬だけ動きを止める。
(……あ、また来たわね)
見慣れた黒髪の男と、その隣にいる赤髪の男。
クリスとダレンだった。
クリスにいきなりプロポーズされて困ったが、
その後ダレンに改めて驚かせた事を謝罪され、
なんとなく、友人に近い関係になっていた。
ダレンの懐にするりとはいってくる、
人柄の良さも原因かと思っている。
「おう、空いてるか?」
ダレンが気軽に手を上げる。
サラはすぐにいつもの調子に戻り、笑顔で答える。
「席、ご案内しますね」
「相変わらず余裕だな」
「とんでもない、大忙しよ」
軽口を交わしながら、二人を席へ案内する。
クリスは席に座りながら、じっとサラを見つめていた。
その視線に、サラは気づかないふりをする。
(……また)
あの、まっすぐすぎる目。
逃げ場を与えない、熱のこもった視線。
「注文は?」
「おすすめで頼む」
クリスが即答する。
「それ、いつも言ってるじゃない」
「君の選ぶものは外れがない」
さらりと言われて、サラは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……そういうこと、普通に言わないの」
「事実だ」
「ほら出たよ、こいつこういうの平気で言うからな」
ダレンが肩をすくめる。
「顔赤いぞ、サラ」
「赤くなってない!」
思わず声が大きくなり、周囲の客がくすっと笑った。
サラは咳払いを一つして、表情を整える。
「……前もカツレツだったから、今日はオムライスにする?」
「それで」
クリスが迷わず答える。
「俺はカツレツ、ここの最高なんだよ」
ダレンも注文が決まったようだ。
「はいはい」
注文を書き留めて、サラは厨房へ向かう。
背を向けた瞬間、小さく息を吐いた。
(……なんなの、あの人)
距離が近い。言葉も、視線も。
まるで遠慮がない。
けれど、不思議と嫌ではない。
むしろ――
(……落ち着かない)
自分の心の方が、騒がしい。
料理を運びながら、サラはいつも以上に意識してしまっていた。
伝票を置いている時、ダレンが言った。
「このあと時間あるか?」
「仕事が終わったら、いつもは図書館だけど」
「今日はいい所行かないか?」
「どこに?」
ダレンはにやりと笑う。
「ロイヤルステレット」
サラの目が、ぱっと輝いた。
「……本当?」
ロイヤルステレットは、王宮料理人を退職したシェフが、
趣味で開いた小さなスイーツ店だ。
完全予約制で、なかなか食べれない事で有名だった。
「ああ、たまたま空きが出たらしくてな」
「行く!」
即答だった。
クリスがわずかに目を細める。
「そんなに甘いものが好きなのか」
「好きよ」
迷いのない答え。
「そうか」
その表情はどこか柔らかく、満足そうだった。
ロイヤルステレットは、街の少し奥まった場所にあった。
外観からして、どこか上品で洗練されている。
「ここ……」
サラは思わず見上げる。
「気に入ったか?」
「ええ、すごく」
その声は、明らかに弾んでいた。
店内に入ると、甘い香りがふわりと広がる。
焼き菓子、クリーム、フルーツ。
繊細で美しいスイーツが並んでいる。
「すごい……」
サラは一つ一つを見て回りながら、目を輝かせていた。
まるで子供のような表情。
クリスは、その様子をじっと見つめる。
(……こんな顔もするのか)
無防備で、素直で、愛らしい。
「これと……これもいいわね」
「全部頼めばいい」
当然のように言うクリスにぎょっとなる。
「そんなに食べられないわよ!」
「残ったら俺が食べる」
「だからって」
ダレンが吹き出した。
「いや、ほんとお前ら面白いな」
サラは頬を少しだけ膨らませる。
結局、いくつかのスイーツを選び、席に着いた。
最初に運ばれてきたのは、フルーツタルト。
サラはフォークを手に取り、一口。
「……美味しい」
その一言に、全てが込められていた。
目を細め、幸せそうに微笑む。
「そんなに美味しい?」
クリスが問いかける。
「ええ。これ、絶妙よ。生地の軽さも、クリームの甘さも」
言葉が止まらない。
「へえ」
「あとこの果物、たぶん特別に熟成させてる。普通じゃ出せない味」
ダレンが感心したように頷く。
「よく分かるな」
「食べれば分かるわよ」
「いや、普通はそこまで分からん」
サラは少しだけ得意げに笑う。
その表情に、クリスの視線が吸い寄せられる。
「君は、本当に――」
ふと、言葉が漏れる。
「何?」
サラが首をかしげる。
「……美しい」
空気が一瞬、止まった。
サラの手がぴたりと止まる。
「な、なに言ってるのよ急に」
「思ったことを言っただけだ」
「こういうの、ほんと平然と言うからなコイツ」
ダレンが苦笑する。
「本気だ」
クリスは真剣だった。
視線は逸らさない。
「君の笑顔は千本の薔薇でも敵わない」
「……やめて」
サラは視線を逸らす。
頬が、わずかに赤い。
「落ち着かないわ」
「なぜだ?」
「なぜって……」
言葉に詰まる。
クリスの言葉は、真っ直ぐすぎる。
飾りもなく、遠慮もない。
だからこそ、逃げ場がない。
「おいクリス、そのへんにしとけ」
ダレンが口を挟む。
「過剰だ」
「過剰?」
「褒めすぎって意味だよ」
「そうなのか?」
「そうなの」
サラが即答する。
「普通はそんなに言わないの」
「だが事実だ」
「だからそれが問題なの!」
ダレンが笑いを堪えながら言う。
「ほらな、こうなる」
サラは小さく息を吐く。
けれど――
どこか嬉しそうでもあった。
時間はあっという間に過ぎていく。
甘い時間。
穏やかな会話。
心がほどけていく感覚。
店を出る頃には、夕方の光が街を染めていた。
「今日は楽しかったわ」
サラが素直に言う。
「それは良かった」
クリスが穏やかに返す。
「また行こうぜ」
ダレンが軽く言う。
「次は別の店な」
「ええ、ぜひ」
サラは微笑む。
その笑顔に、クリスの胸が強く鳴った。
(……やはり、この人だ)
確信が静かに積み重なっていく。
一方でサラは――
(……困るわね)
自分の心の変化に気づいていた。
この時間が、楽しいと思ってしまうこと。
そして――
クリスの言葉が、少しずつ心に残っていくこと。
(本当に、困る)
そう思いながらも。
その表情は、どこか柔らかく緩んでいた。
甘い余韻が、まだ消えないまま。




