11(クリストファー視点)
静寂が部屋を満たしていた。
王宮、王太子執務室。
分厚い扉に遮られ、外の喧騒は一切届かない。
整然と並べられた書類。
磨き上げられた机。
無駄のない空間。
だが、その中心に立つ男の内側は、決して静かではなかった。
(……断られた)
クリストファーは同じ思考を何度も反芻する。
思考というより、もはや確認に近い。
現実の再認識。
断られた。
明確に。
即座に。
そして、一切の迷いなく。
ゆっくりと、椅子に腰を下ろす。
背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
(当然だ)
冷静に考えれば、分かる。
初対面の男。
名前も知らない。
いきなり片膝をついて求婚。
受け入れる理由など、どこにもない。
(むしろ、断らない方がおかしい)
理屈では、完全に理解している。
判断としては、正しい。
だが。
ゆっくりと目を閉じる。
あの瞬間。
視線が合った時。
胸を貫いた確信。
(つがいだ)
疑いは、一切なかった。
迷いも、揺らぎもない。
理性より先に、本能が断言した。
(……ようやく、見つけたというのに)
十九年。
何も感じなかった。
誰にも。
十歳の選定。
その後の機会。
すべて、“空白”。
だが。
(やっと出会えた)
初めて。
世界が変わった。
あの女性を見た瞬間、
自分の全てを捧げてもいいと思った。
そして。
迷いなく膝をついていた。
(……順序を誤ったな)
自嘲気味に、息を吐く。
理解している。
王太子としての振る舞いとしては、完全に失敗だった。
だが。
(後悔はしていない)
あの瞬間、あの行動以外はあり得なかった。
それほどまでに。
(強制力がある)
つがいとは、そういうものだ。
理性で制御できる範囲を超えている。
だが。
(失敗は失敗だ)
次は違う。
今度は。
(戦略的に動く)
クリストファーは、ゆっくりと目を開いた。
机の上に置かれた書類に視線を落とす。
近衛兵は優秀だ、私がプロポーズに失敗して、
呆然として王城に向かっている間に、
あの女性の後をつけ、住所を特定し、情報を集めていた。
名前はサラ。
その響きだけで、胸がどきどきする。
そして、それ以外の報告を見る。
「……薄いな」
低く呟く。
「申し訳ありません」
クリストファー付きの侍従が答えた。
「これ以上は情報が集まりませんでした」
クリストファーは、報告書を手に取る。
名前 :サラ
年齢 :十八歳
職業 :フラレス亭(飲食店)のウエートレス
住居 :一軒家 ○○通り◇入る□丁目
同居人:ミレナ
調理・掃除を担当している
父親 :商人
母親 :死亡
出身 :ルーナ神聖国
(現在の国籍もルーナ神聖国)
趣味 :読書、食べ歩き
それだけ。
もっと彼女を知りたい、欲望がどんどんと湧き上がる。
侍従がそっと声をかける。
「ダレン・フォスナーをおつれしました」
「通してくれ」
扉が開けられ、赤髪の細身の男が現れる。
ダレンはペコリと礼をした。
「ダレン・フォスナーに命ずる、近衛騎士所属となり、
私専属騎士として仕えるように」
「はあ?」
ダレンが目を見開き、侍従がゴホンと咳をする。
「いや、俺・・・いや私がですか?
平民出身の下町育ち、とても務まるとは思えませんが」
近衛騎士に任命されるとなると、騎士としても名誉ななのに、
それを平気で断れる所に好感を持つ。
「平民出身で、下町育ちだからだ」
平民出身でありながら、男爵の身分を得れる程の剣の腕、
周りからの信頼も厚く、何より仲間を大切にする人物だ。
ダレンは無言で先を待つ。
頭もいい。
クリストファーは笑顔を向ける。
「次期竜妃が見つかった、しかし、平民だ」
ダレンの目が見開かれ、
視線が泳ぎ、頭をかく。
王太子の前では本来許されない行為だが、
クリストファーはあえて指摘しなかった。
「彼女に近づく為にも、力を貸して欲しい」
「”つがい”が見つかったという事ですね」
「ああ」
「しかも平民」
「そうだ」
ダレンはまだ考えているようだ。
単なる護衛ではない、
王太子とつがいを結びつける役割を求められている。
そう、きちんと理解した顔だった。
「分かりました、そうゆう事ならご協力致します」
「任命書はこちらだ」
ダレンは天井を仰ぐ。
「私が断るとは思わなかったのですか?」
「思っていない」
そう言い切ると、苦笑してダレンは書類にサインをする。
その際、褒章の金額に目を剥いていたが、
それ相応の働きを期待していると言ったら、
「早まったか・・・」と呟いていた。
そして、一度プロポーズして、断られた話をすると、
再度天井を仰いでいた。
「これは・・・難易度が高いですね」
「だからダレンに頼みたい」
「王太子様に頼られるのは、嬉しいですがこれは・・・・」
「クリスでいい」
「クリス様?」
「いや、クリスだ」
「呼び捨てですか?」
普通ではあり得ない事なので、ダレンが驚いても無理はない。
「いきなり演技をしては、怪しまれるだろう、
私もダレンの前では、下町の言葉を使おうと思っている」
「そこまで・・・・」
「彼女の為なら何でもするさ」
そう言うと、ダレンは真剣な目になった。
そんなダレンを頼もしく思う。
サラは簡単には揺れない。
あの断り方。
冷静で、論理的。
感情では動かない。
(ならば)
やるべきことは、一つ。
(積み上げる)
信頼を。
関係を。
段階を踏む。
それが、最短だ。
「身分は明かさないのか」
さっそく下町言葉を使ったダレンが質問する。
当然の問だ。
クリストファーが王太子である事を告げ、
権力で命じてしまえば、サラは結婚しなくてはならなくなる。
「彼女には、私を見て欲しい」
少し間を開けて続ける。
「そして、愛して欲しいんだ」
権力で縛るのではなく、
父王と母のように、
愛で溢れた家庭を築きたい。
「愛しているのですね、単なる”つがい”だからではなく」
「”つがい”は愛する者だ」
「俺は竜の血を引いてないので、
その辺はよくわかりませんが、とにかく本気で真剣という事は分かりました、
十九年も探したんです、大丈夫ですよ」
何の根拠もない大丈夫。
しかし、その大丈夫が、クリストファーにはありがたかった。
<補足>
王宮の官僚がサラの事を調査していますが、
入手できた情報は、サラ(ロザリー)の父親が手を回した情報です。
サラ(ロザリー)の父親は、豪商で同年代で亡くなった娘の戸籍を買い上げ細工をしているので、
王宮の調査ではサラとロザリーが同一人物という事は判明していません。




