第16話
「俺の父親は、俺が小学校二年生の頃に肺がんで亡くなった。毎日タバコを吸いまくっていたから、まあ特に驚きはしなかった。悲しみはしたが、仕方ないとも思ったよ」
飯島は父親の死因と、その時の心情についてそう語った。
「母親は専業主婦だったんだが、派遣社員として某大手飲食チェーン店で働き出した。朝から晩まで、寝る間も惜しんで働いていたよ。それでも給料があまりよくなかったみたいで、貧しい生活を送っていた。元々住んでいたアパートから築50年以上のおんぼろアパートに引っ越したのは、結構ショックだったなあ。でも一番辛かったのは、母親が食べ物を我慢しているのを見ることだった。朝食も昼食も夕食も、『ウサギの餌かよっ!』って突っ込みたくなるぐらいの量しか食べないんだ。『お母さんはね、ダイエット中なの』とか言ってたけど、無理をしているのが見え見えだった。母親はそうやって自分を犠牲にして俺の食事の量を確保してくれていた」
「優しい、母親なんだな」
「ああ、きっと世界で一番優しい母親だよ」
飯島は照れる様子もなく、当たり前のことだと言わんばかりの表情でそう言った。
「俺が4年生になった頃、母親は派遣社員から正社員に登用されて、幾分かは生活がマシになった。でもマシになっただけで、貧しいことには変わりない。周りの友達が最新のゲーム機を買ってもらっているの指を咥えながら見ていたし、夏休みや冬休みに旅行なんて行ったことがない。でも別に、母親に文句なんて全くなかった」
「普通の小学生なら不平をもらしそうだけどな。飯島、お前は大人だな」
「まあな、と言いたいところだが、別にそんな褒められたものじゃない。たしかに貧しい暮らしだったが、それでも母親はサッカーを習わせてくれていたからな。地域の小規模なクラブチームだから、月謝はかなり安いと思うけど、それでも我が家の家計には重かったはずだ。なのに母親は俺にサッカーをさせてくれた。感謝は言えど、不平なんて出ねえよ」
その発言を聞き、やはり飯島は大人だなあと思った。
「俺はサッカーの練習に精を出していた。クラブの練習は月、水、金だったが、その曜日以外にも毎日自主練習をした。おかげで5年生の頃に、6年生の試合に5年生で唯一俺だけがスタメンで試合に出ることができた。でも、それがきっかけでいじめを受けるようになった」
「いじめを?」
「ああ。そのクラブチームには同じ小学校のクラスメイトも何人か所属していたんだが、いわゆる嫉妬ってやつだよ。俺だけが6年生の試合に出ていたのが、気に食わなかったんだろうな。クラブでは特に目立ったことはされなかったが、学校じゃあそいつらに色々やられたよ。無視はもちろん、上履きを隠されてり、教科書に落書きされたりな。最初のうちは我慢していたんだが、ついに耐えられなくなって、ある日の夕食後に母親に打ち明けたんだ。そしたらな、母親は俺を引き連れてすぐさま学校に乗り込んだんだよ。その日、校内にはまだ校長先生がいたから、母親がいじめの対策をするよう直談判したんだ。向こうからしたら、多分モンスターペアレントだと思っていたんだろうな。でも、普段は優しくて物静かな母親が、俺のために校長先生に血相を変えて必死に訴えかける姿を見て、俺はこの人の子供で本当に良かったと思ったよ」
「結果的に、いじめはなくなったのか?」
「嫌がらせはなくなったよ。クラスメイトたちとその親からの謝罪もあった。まあ、仲直りはできなかったからそいつらとは卒業まで一切会話をしなかったけどな。幸いにも、全員俺とは違う中学校だったから良かったよ」
謝罪があったからといって仲が改善されるわけではない。いじめ問題というのは、そんなに易々と解決できるものではないということだ。
「俺は母親に助けられてばかりだ。本当に、返しきれないほどの恩を感じている。だから好きなサッカーで金をたくさん稼いで、できる限りの恩を返したい。親孝行したいんだよ」
息子にそこまで想われている飯島の母親は、全国に高校生の息子を持つ母親の理想像に違いない。親ガチャならぬ子ガチャに大成功していると言ってもいいかもしれない。
「すまんな、つまらない話を聞かせてしまった」
「──いや、話してくれてありがとう」
礼を言うのが正しかったのかは分からないが、飯島は特に嫌そうな表情をしなかったため、少なくとも不正解ではないだろう。
「ちなみに、貧しかったのは中学校卒業までだ。俺が高校に入学する頃に、めでたく母親は昇級して給料が上がったからな。まあ今じゃ、一般家庭より少し貧しいぐらいの生活ができている」
「……そうか」
「それと、坂東も母子家庭なんだぜ」
「坂東も?」
「ああ。あいつの将来の夢、知ってるか?」
「お笑い芸人……で、合ってるか?」
「その通り。坂東も俺と同じでさ、将来お笑い芸人で成功して、儲けた金で親孝行するのが夢なんだよ」
自分のことかのように飯島はそう言った。
同じ境遇の者は引かれ合う、飯島と坂東の仲の良い理由は、きっとそういうことだろう。
飯島は俺に、自分のことを理解できないと言った。でも、坂東なら飯島のことは理解できるし、飯島もまた坂東のことを理解できる。
背中に小さな疎外感を感じた。でもそれは、一瞬にして消えた。
人のことを無理に理解する必要はない。それに、俺が飯島や坂東のことを理解できないのと同じように、彼等もまた、俺のことを理解できないのだから。
「そろそろ帰るか」
テーブルに備え付けの紙ナプキンで口元を拭いてから、飯島はスクールバッグから財布を取り出した。
俺は飯島を理解できないし、飯島は俺を理解できない。
でも、それでも俺は、目の前のクラスメイトを救いたい。
「もうちょっとだけ、話をしよう」
だから俺は、財布を持つ飯島の腕を掴んだ。




