Interlude
ベルヴェデーレの迷宮、ルートヴィヒ・レンツェ作『不遜な女神へのオマージュ』。この三連作にまつわる真の謎は、単なる未完の美学に留まるものではない。
この連作の完成を待たずして、モデルとなったリーベンフェルス男爵令嬢エルイーゼは、わずか二十歳という若さで病死している。一八二一年、ウィーンを襲った流行病がその原因であった。すなわち今日我々が目にする表情の描かれなかった三作目は、彼女の死後に記憶の断片のみを頼りとして描かれた追悼の作である。
彼女に関する公的記録は極めて少ない。同時代の女性には散見されることだが、彼女はレンツェの初期の有力なパトロンの妹として歴史の端に名を残すに留まっている。現存する記録によれば、兄が当時まだ無名の若手画家であったレンツェに、妹の肖像画制作を依頼したことがこの連作の端緒とされている。
レンツェは若き日のミューズを亡くした数年後、一人の女性を伴侶として迎えている。妻の名はエルイーゼ・ケルナー。奇しくも亡き令嬢と同じ名を持つ旧知の画家の娘であった。
後世の美術評論家たちの間では、レンツェがこの「二人のエルイーゼ」にどのような感情を抱いていたのか長年議論の的となっている。
ロマン主義の旗手と称された彼は生涯を通じて、妻をモデルに据えながらも、そこにかつての失われたミューズである令嬢の面影を重ね、理想化された女神を描き続けた。
妻にとって、それは亡き先人の身代わりとして生きることを強いられる残酷な献身であったかもしれない。ただ周囲の証言によれば、二人の間に諍いが絶えなかったという記録もなく、夫婦仲は決して悪くはなかったとされている。
亡きミューズの名を継がせ、その面影を投影し続けながら、一方で目の前の妻と平穏な家庭を築くという矛盾。 この歪な幸福のかたちが天才の狂気によるものなのか、喪失の痛みを埋めるための唯一の生存戦略であったのかは今なお意見が割れている。
そもそもルートヴィヒ・レンツェという男は、その若き日から狂気の萌芽を露わにしていた。 十九世紀初頭、権威の象徴であったウィーン美術アカデミーを「伝統の奴隷」と公然と罵ったという逸話はその象徴的な一例である。
J.F.マイヤー著『十九世紀ウィーンを生きた画家たち』(一九六二年初版)より抜粋




