第十一話
「……それで、レンツェさん? エルイーゼのデビュタントに相応しいのは、やはり陽光を味方につけるような温かみのあるシルク? それとも、冬の朝の凍てつくような白かしら」
リヒテンベルク伯爵邸のサロンに、マリアの涼やかでいて逃げ場を塞ぐような声が響き渡る。秋の気配が深まり、窓から入り込む風は心地よいはずなのに、ルートヴィヒは冷や汗が止まらなかった。
「それに合わせるジュエリーも、夜のドナウを思わせる深いブルーにするか、それともあなたの絵にあるような、あの透き通る勿忘草の色にするべきか……。あなたの目にはどちらが妹を完成させると映るのか、じっくりと伺いたいものですわ」
彼の両隣には、鉄壁の守衛のようにヴィルフリートとエルイーゼが鎮座している。そして目の前には、優雅にティーカップを傾けながら、獲物を見定める猛禽類のような瞳をしたマリア。
数日前、エルイーゼに「デビュタントのドレスとジュエリーの色選びに、あなたの魔法の力が必要なの。一緒にお姉様のところへ行って!」と拝み倒された時のことを思い出す。
あの勝手に家を特定してきた恐るべきお姉様。反射的に「やだ、無理。死んでも行かない」と拒絶したが、横で他人事のように笑っていたフェリックスの言葉がとどめとなった。
『断るのは勝手だが、ルートヴィヒ。そうなれば、明日の朝には伯爵家の紋章が入った馬車が、このボロアパートの前に堂々と乗り付けることになるよ。強制連行されたいなら止めはしないけど』
選択肢など彼には最初から無かったのだ。おまけに朝から誘拐同然で迎えに来た知らない怖いお兄さんはとにかく礼儀に厳しく、馬車の中で不作法な口ぶりをぴしゃりと制された。
『その言葉遣いで礼を逸するくらいなら喋らない方がマシだ。返事があるなら僕に言え。敬語に直して通訳してやるから』
ルートヴィヒは隣に座る通訳官を横目で見た。鉄仮面のような無表情で瞬きすら少ない。ここで変なことを口走れば、そのままドナウ川に沈められかねない。
「お姉様が返事をお待ちよ? ルートヴィヒ」
エルイーゼが期待に満ちた瞳で裾をこっそり引っ張ってくる。 ルートヴィヒは仕方なく、ヴィルフリートの方へわずかに身を寄せて耳元で囁いた。
「……。真っ白より、ちょっと黄色味のある方が似合うと思う。……あと青も明るい水色の方がいい。でもあんまり目がチカチカするような彩度が高いやつじゃなくて、パウダーブルーとかちょっとくすんだ感じのがいいよ……多分」
ヴィルフリートはその囁きを完璧に聞き届け、扇を止めて待ち構えるマリアに向き直った。
「姉上、彼はこう申しております。『エルイーゼ嬢には、純白よりも僅かに暖色を含んだ色彩こそがその肌を最も美しく引き立てるはずだ。添える青も早春の空を思わせる淡い水色が望ましい。霧を含んだパウダーブルーのような色調こそが、内なる輝きを際立たせるに違いない……おそらくは』……と」
「……あら。パウダーブルーに、暖色の白……。ええ、見えるわ、その調和が。鮮やかさに頼らず翳りの中に光を見出すなんて、なんて贅沢かしら」
「さすがルートヴィヒ。わたしの好みをよく分かってくれているのね! あなたはやっぱり、色彩という深淵に住まう魔法使いなのよ!」
姉妹の賞賛の嵐は止まるどころかますます熱を帯びていく。ルートヴィヒは自分の雑な意見が、勝手に高尚な美学へと変換されていく光景をただ呆然と眺めるしかなかった。
「では、ジュエリーの地金の色はどうかしら? 刺繍の糸とも合わせたいのですけれど、あなたの目には何色が映る? それから、このショコラーデンクーヘンもぜひ召し上がれ。創作には糖分が必要でしょう。どうぞ、召し上がって? ほら、遠慮なさらず」
ルートヴィヒは目の前に置かれた濃厚なチョコレートの塊と、マリアの鋭い眼光に挟まれ逃げ場を失った。彼は縋るようにヴィルフリートの耳元へ口を寄せる。
「……金がいい。刺繍も金が合う。でもあんまりギラギラさせすぎない、落ち着いたやつがいい……。あとお姉さんの圧強すぎて喉通らないわ。食べられないって言って」
「……『地金には黄金を。刺繍の糸もそれに倣うべきだ。ただし成金のような下卑た輝きではなく、時を経た名画のように深みのある控えめな金彩が相応しい』……それから、『このショコラーデンクーヘンの美しさと芳醇な香りに感激しました。喜んで頂戴いたします』……とのことです」
「おい嘘つくなよ」
小声で抗議してヴィルフリートを小突いたが、彼は「いいからさっさと食え」と言わんばかりの冷徹な眼差しを一瞬だけ返してきた。
「あら、そんなに感激してくださるなんて。嬉しいわ」
「なんだ、ルートヴィヒが食べないなら、わたしがもらおうと思っていたのに。残念だわ」
彼はエルイーゼの残念そうな視線と、マリアとヴィルフリートの無言の圧力に挟まれ、絶体絶命の心境でフォークを手に取った。震える手で濃厚なショコラーデンクーヘンを一口、無理やり口に運ぶ。
「甘っ……」
喉が焼けそうな甘さを必死に飲み込むルートヴィヒを余所に、マリアは陶酔した面持ちで話を勧めていた。
「時を経た名画のような金彩……ええ、素晴らしいわ。純金ではなく、少しシルバーを含ませて白味を帯びさせましょうか。アンティークのような落ち着いた風合いになるはずだわ。刺繍の糸も、それに合わせて特別に染めさせましょう」
もはや抵抗しても無駄だ。「くすんだ水色」と言えば「早春の空」になり、「ギラギラしない金」と言えば「時を経た名画の金彩」になる。そしてマリアという恐るべき美学の渦に飲み込まれ、一言一言がウィーン中の職人を動かす至高の設計図に変わってしまうのだ。
フェリックスは食えない策士、マリアは優雅な猛獣、そしてヴィルフリートは感情の読めない鉄仮面。この一家はどいつもこいつも個性が強すぎて、振り回される側としてはたまったものではない。隣で「食べないなら欲しかったのに」と頬を膨らませているエルイーゼの方が、まだ人間らしくて扱いやすいとさえ思えてきた。
「……なあお兄さん。もう全部いい感じにしといて。おれはこのケーキと心中するからさあ」
「姉上、彼はこう締めくくっております。『これ以上の言葉は完成した完璧な調和を汚すに等しい。あとの細部はリヒテンベルク夫人の高潔な美学に委ねよう』とのことです」
「あら……なんて謙虚で情熱的な方かしら。ええ、承知いたしました。あなたの信頼に応えるべく、最上の職人を手配いたしますわ」
「楽しみだわ。ルートヴィヒが選んでくれた色で、わたしきっと、誰よりも素敵なメルヘンの主役のようになれるわ」
不機嫌な画家が吐き出した一言はまたひとつ、冬の社交界で最も注目を集めるであろう男爵令嬢のためのドレスの輪郭を、華やかに決定づける。
ルートヴィヒは目の前のショコラーデンクーヘンと運命を共にする覚悟を決めながら、心の中で小さく叫んでいた。……早くこのサロンから解放されたい。ケーキより、芝生の上で寝転がっていた方がよっぽど平和だったのに。




