3−7 魔力の暴走
(もしかしてジルはーー)
嫌な予感にレーリアは体を強張せる。ギュッと胸の前で拳を作った。
ジルが伺うように「お嬢さん?」と、こちらを覗き込んできたので、膨れ上がる恐怖を振り切って「なんでもないわ」と平常心を装った。
(今は魔法の勉強を最優先にしなくては。悩むのは、いつだってできるもの)
そう思ったら少し冷静になれた。
仮にジルがレーリアへ望むのが命に関することだったとして、なぜ吸血時にそうしないのか。約束をする前に、いや、諸々の説明などせず最初の吸血の時に、そうすることもできたはずなのに。
しかも人生の責任を取るとまで言ってくれた人だ。レーリアを置いて…なんて無責任にも程がある。
(ジルは責任感はあるほう、よね)
彼の仕事に対する姿勢を見ればわかる。突発的な魔族の会議であっても自分の吸血衝動を抑え込んで、そちらを優先していた。
先ほどの苦しむ声は気掛かりだがジルを信じたい。
『貴方がいるのに自ら死を選ぶ愚を犯すはずがない』そうはっきりと言葉にしてくれたのだから。
「魔法を発動できるか、やってみるわ」
「ええ。まずは比較的発動しやすい水魔法でお願いします」
「レーリア様!頑張ってください!」
ララの元気な声に反応して、そちらを向けば、ララはブンブンと手を振っていて、ダーラはじぃーと視線が痛いくらい、こちらを凝視してくる。
その緑の瞳から純粋な好奇心のようなものを感じた。まるで未知と遭遇してワクワクを抑えきれない子供のような。
壁に背を預けていたはずのダーラは段々とこちらに近づき、すぐ隣にまで。
とてもとても近いのに、その瞳の輝きが消え失せないので、咄嗟にレーリアは体を仰け反らせる。
「ダーラ、お嬢さんが困っていますよ」
「あれー?いつの間にこんなところにー?」
(無意識だったのね)
「ん〜レーリア様〜、ここで見てちゃダメ〜?」
「えっと…もう少し離れてもらえると、助かるわ…」
「そこをなんとかー、邪魔しないから〜」
「既に邪魔をしているのですよ、ダーラ。珍しいことが好きな貴方の気持ちは分かりましたから落ち着いて下さい」
「も〜宰相様のけち〜」と3歩分ほど離れてくれた。
しかし瞳の輝きは寧ろ増してレーリアへ一身に注がれる。
そこまで期待されているのかと思うと妙な力が入ってしまうが、気を取り直してレーリアは魔法の発動を試みる。
覚えておいた詠唱をして先ほど認識した体内の魔力を使い、水魔法へ変換していく。
光属性の魔力で作られた透明度の高い水が手のひらから生まれた。太陽の光を反射する水辺のようにキラキラしている。
(できた…)
魔法も問題なく使え、レーリアが静かに喜んでいると、勢いよく動く緑の髪が視界に映る。
レーリアの手のひらに浮かぶ美しい水を「すごい、すごい」と間近で観察して、あろうことか、ひと口飲み込んだのだ。
魔法の水は飲み物に適さないというのに。
驚いたレーリアは、つい大量の魔力を手のひらへ流し込んでしまった。
小さかった魔法の水はバケツをひっくり返したような勢いで溢れていく。
「っ…!」
コントロールしようとするが、大量の魔力を操る術はまだ持ち合わせていないのだ。言うことを聞いてくれない。
このままではジルの屋敷が水浸しになってしまう。迷惑をかけてしまう。
(だめ、だめっ……)
「レーリア」
血の気が引くレーリアをジルは後ろから抱きしめた。じんわりと広がる温もりが大丈夫だと告げていたが、その声が向いた先には冷淡と呆れが混じる。
「ダーラ、早く元に戻しなさい」
「ほんとごめーん!レーリア様〜、宰相様〜」
ダーラが魔法を発動する。緑のモヤが全体に広がり、そして同色の光を強く放つ。
溢れた水がふわっと一瞬で消え去っていく。
魔法の影響は一切ない煌びやかな大広間に戻っていた。
「よかった…」
迷惑をかけずに済み、レーリアは心底ほっとした。完全に体から力が抜けてしまった。
脱力したのを彼が支えてくれたので今はその温もりに甘えさせてもらう。
ジルはレーリアを優しく抱きしめながらもダーラを叱りつけることを忘れていなかった。
「貴方という人は……何の為に同席させたと思っているのですか。"もしものとき"を貴方が作り出してどうするのです」
「ほんとぉ、ごめんなさいぃ…こんなに質の高い光属性は初めてだったから、つい好奇心が抑えきれなくてー、本当に本当に反省してるよー?」
レーリアをウルウルと見つめる緑の瞳。
「許してほしい」と両手を包み込まれる。
「お、怒ってないわ。止めてくれてありがとう」
「わぁ〜レーリアさまぁ、やさしーんだねー?」
へらっと笑顔を見せてくれたダーラに、ララまでもこちらへ来て「そうなんです!レーリア様はお優しいんですよ!」と誇らしげにして胸を張る。
ジルとダーラを交互に見たララは何を思ったのか、ダーラからレーリアの左手を外して自分の手と繋いだ。
えへへ、と何やら嬉しそうだ。
「あ、でも本当にダーラは反省してくださいね?レーリア様、すっごく混乱されてたんですよ?」
「もうしないよぉー!」
「それでしたら、これ以上は叱りませんが。今後は頼みますよ、ダーラ」
「うん、うん!まかせてー?」
「あの、3人とも…?」
この状況…
ジルに後ろから抱きしめられ、ダーラとララに前から左右それぞれの手を握られる、今の状況…
(なんでこんなことに…?)
レーリアの戸惑いを知ってか知らずか、3人の魔族はしばらく離してはくれなかった。
***
魔王城のある執務室にて。
スクロルは机に乗り切らない沢山の書類を片付けながら、ムスッと不貞腐れていた。
昨日の魔族会議で思うように事が進まなかったことも不満の一つだが、宰相のジルから強制的に回されたこの仕事も酷く億劫だ。どれだけやっても終わりがみえないのだ。
こんなの理不尽だと魔王に訴えたが、この仕事量は少ない方だと。ジルはこの10倍あっても1時間で片付けているぞと、さも当たり前のように言われてしまったら何も言い返せなくなってしまった。
そのジルは現在、お披露目会に向けて準備を進める婚約者の手伝いをしている。
あの物静かな婚約者殿が優勝を目指そうと思えるほどの何かは一体何なのか。昨日からずっと気になって仕方がない。
楽しそうなことに関われないのが何よりもストレスで不満は際限なく募っていく。
「もう、無理。やってらんない」
スクロルは八つ当たりするかのように万年筆を凍らせて粉々に割った。
窓から飛び出してジルの屋敷へ向かう。レーリアが何をするのか知るために。
本当なら転移魔法を使いたいところだが、ジルに阻まれていて飛行ででしか向かえないのが歯痒かった。
スティンツ島まで辿り着き、空を颯爽と飛んでいると、浜辺に人間が漂流しているのに気づいた。
また馬鹿な人間が荒波に呑まれたのかと無視しても良かったが、その魔力の強さに気づく。その特殊な魔力の属性にも。
(へぇ?なんか楽しくなりそうな予感)
ニヤッと笑って浜辺へ降りる。
近くまで行けば軍服を着た人間の男なのは分かった。しゃがみ込んで金色が混じった茶髪の頭をペシペシと叩く。
「おーい、生きてるー?」
「っ……自分…は…」
その人間の男はわずかに残った体力を使って体を起こしたようだ。目の焦点が合っていなかった。
しかしスクロルはそんなことに構わず、
「ようこそ、魔族と人間が共存するスティンツ島へ」
機嫌が良さそうに歓迎したのだった。




