3−8 目覚めとお誘い
吹き荒れる風に波が大きく暴れ狂い、屈強な軍艦をいとも容易く飲み込んでゆく。
軍服を着た沢山の人間が冷たい海へ放り出され、そのうちの一人、ダクス・エクアドーゼもまた為す術なく流されていった。
「っ…!!」
ダクスは懸命にもがくが、人間の力では自然の厄難を退けることなど不可能だ。例え高名な魔法使いでも、鍛え上げられた肉体を持つ軍人でも。
(こんなところで終わるわけには…!)
荒波にもまれながらもダクスは呪文を唱える。
すると彼の体の周りを薄い膜が覆い、固い浮遊物から身を守った。だが魔力を使いすぎたのか、体はやけに重く、意識が段々と途切れる。
最後に思い出したのは幼い頃に見た元婚約者。
好きだった無邪気な笑顔。それが何故助けてくれなかったのと軽蔑するような表情へと変わりダクスから離れていく。
(違うんだ!本当はずっと助けたかった!お願いだ!行かないでくれ!)
動かない体を叱咤して縋るように右手を伸ばす。
「レーリア!!」
けれど目線の先には真っ白な天井。元婚約者の姿はどこにもおらず、ダクスの頭の中も真っ白になった。
一体何が起きたのだろうか。
「うわ、びっくりするじゃん。いきなり大声で叫ばないでよ」
「!!」
近くに人がいる。軍人としてすぐに気付けなかった不甲斐なさを抱えながら勢いよく声がした方へ向く。
どんな状況でも対処するつもりでいたが、目に飛び込んできたのは青い狼の耳をした少年。
明らかに人間ではなく、ダクスは素早く立ち上がる。今さらながら、ここはベッドの上かと理解した。
しかし、警戒態勢も虚しく強い立ちくらみが起きて片膝を折る。少年を睨みつければ「おーこわー」と怖さなど微塵感じさせずにヘラヘラ笑った。
「命の恩人に対してその態度はないんじゃない?それに、折角部屋を貸してくれた島民が怖がってるんだけど?」
「? どういうことだ」
(命の恩人?島民だと?)
ダクスは初めて周りを見回す。
清潔で小さな部屋。柔らかな日差しと気持ちの良い風が窓から吹き抜け、白のレースカーテンを揺らす。
廊下へと続く扉のところには心配そうにこちらを窺っている老夫婦がおり、恐らく彼らが部屋を貸してくれた島民なのだろう。
全ての状況を把握するまでには至っていないが、これだけはわかる。自分は礼儀知らずなことをしていると。
両膝をついて「すまない」と謝れば、目配せし合った老夫婦が中へ入ってきた。
狼の耳を持った少年は機嫌良さげに尻尾をユラユラと揺らす。
「じゃ、改めて教えてあげるよ。ここがどこなのかをね」
***
光混じる美しい水魔法が宙でサラサラと形を変える。
それはふんわりとしたドレスだったり、可愛らしいパンジーの花だったり、無邪気なリスラビットだったり。レーリアの右手が魔力を込めて動く度に変化する。
続けざま風の呪文を唱えれば左手に宿り、薄白の風が水を刺激し、水は広がり踊る。まるで生きているかのようにユラユラと繊細に動き出す。
「その調子です。雷魔法も使ってみましょうか。指先に小さく発動してみてください」
ジルの言葉にレーリアは頷く。
呪文を唱えると指先に集めた魔力によって今度は雷の魔法が発動した。
思わず目を細めたくなるほど眩しい一つの線。風に揺れている水の中に入り、パチパチと音を立て、膨れ上がり、水を包んだ。共に動く様はペアの男女がダンスをしているよう。
とても綺麗だとレーリアは思う。まさか自分で生み出したものを素直に褒めるときがくるなんて今この時までは想像すらできていなかった。
「レーリア様ってー、本当に上達が早いんだねぇ」
壁を背に座っているダーラが感心したように呟く。
魔法の暴走を起こしたのはおよそ1時間前。
距離が近い3人の魔族から離れるのには苦労したものの、やっと魔法の勉強を再開できた。
ジルの言う通りに魔法をひたすら発動し維持をするだけだったが、いつの間にか最初の暴走が嘘のように安定した魔法を三つ同時に扱えている。ちゃんと教えられてから、まだ1日も経っていないというのに。
自身の才能というものをレーリアはほんの少しだけ実感できた。それと魔力を消費したときに起こる体の感覚も。
(使う度に少しずつだけど体が重くなってる。このまま使い果たしたらどうなるか、容易に想像できるわ。だからこそ妙なのよ)
レーリアは魔法暴走により大量の魔力を消費したが、その影響を受けていない。今は適切に使っても、この状態だというのに。
暴走なら尚のこと通常時より魔力を多く消費したはず。体への負担がないのはおかしい。
(もしかしてダーラが何かしてくれたのかしら?)
ジルは、こう言っていた。
『何の為に同席させたと思っているのですか。"もしものとき"を貴方が作り出してどうするのです』と。
もしものときというのは間違いなく魔力暴走のこと。ならば、それに伴う急激な魔力消費も含まれているはず。
ジルがわざわざ名指ししてダーラを同席させたなら、その対策もできると考えて良さそうだ。
とはいえ魔力の回復ができる魔法も薬もないから、どんな魔法を使ったのか想像が難しいが。
そんな考え事をしながらもレーリアは水、風、雷の魔法は維持し続けていた。
危なげのない様子に、まるで出来のいい教え子を持った教師のようにジルは深く頷く。
「今日中に一般魔法は習得できそうですね、魔力の熟練度も著しく上がってきておりますし」
「魔力の熟練度が上がれば、消費したときに感じる体の重みも軽減されるのかしら?」
「ええ、そのうち何も感じなくなるかと。もちろん魔力量にそぐわない使い方をすれば話は変わりますが」
そろそろ休憩をしましょうとジルに促され、レーリアは魔法の解除をして緩く息を吐く。
緊張の糸が途切れたせいか、お腹が小さく鳴った。
なんとなく気恥ずかしいような気がして、ジルの様子を伺うように見やれば、彼はニコニコとなんだか嬉しそう。
「何をそんなに喜んでるの?」
「このスティンツ島で、こんなに長くレーリアと共に過ごしたことはなかったと思いまして。その可愛らしいお腹の虫も魔法の勉強の手伝いを申し出たからこそ聞けたのだと思うと口元がつい緩んでしまいました」
あまりにもうっとりした表情で恥ずかしげもなく言うから、レーリアの羞恥心が増した。顔が物凄く熱い。
可愛らしいお腹の虫とは一体?なんて聞こうものなら更なる追い討ちを受けそうなので聞かなかったことにする。それさえも見透かされているのかもしれないが。
こんなに長く共に過ごしたことがなかったのは、その通り。同意すれば、ジルから軽やかにお誘いを受ける。
「同じ気持ちでいてくれているのでしたら、ぜひ私とデートをしましょう。美味しいランチをいただける良い店を知っているのです。私に案内をさせてください」
"はい"の返事を期待するキラキラした笑顔。
何故わざわざデートという単語を使ったのだろう。とてもじゃないけど心臓に悪い。
別の角度から追い討ちを受けた気もしたが、嬉しいのはレーリアも一緒。
熱い頬を両手で隠しながら頷けば、ジルは破顔して、ララの、はしゃぐ声が大広間に響く。
「お二人がデート!!」と、ぼうっとしてるダーラの肩を掴んで揺らし、レーリアが着るデート用のドレスを用意するべくパタパタと動き出した。




