3−3 不十分
期待に胸を膨らませつつもレーリアの日常に変化はなかった。毎日ただ知識を蓄える日々が続き、さらに数日…
美しい庭園を背景にして東屋で読書をしていたレーリアは栞を挟んで本を閉じ、一息つくように腕を前に伸ばして縮こまった体をほぐす。
メイドとして動き回っていた頃とは種類の違う疲労を感じたが、風が芳しい花の匂いを運んでくれたおかげで少し回復できた。
気分転換に場所を変えたのは正解だったようで、もう一度「初めての魔法」と書かれた本を開いて、文字を追う。
こうして魔法書も読むようになったが、専門用語を調べる時間の方が多かった。
やっと少し理解できたと思えば自分でさえ知ってる魔法の常識が小難しく書かれていただけ。むしろ、ここからが学ぶという意味では本番になるのかもしれない。
(もっと集中しなくては…)
分からないところが出る度に辞書を何度も引いて。少しずつ確実に進んでいく。
それを黙々と繰り返していたら魔法を発現させる方法にまで行き着いた。
(これで魔法が使える?)
ガタッと椅子から立ち上がり、東屋から出る。
ぎゅんっぎゅんっと濁音とソプラノが混じった生き物の鳴き声が木々から聞こえる中、ゆっくり右の手のひらを前へ伸ばした。
(まず体を巡る魔力を認識すること)
目を閉じて自身の内側を強く意識する。そうすると心臓の音が鮮明に感じられたが、肝心の魔力はなんだか朧げだ。まるで見ることができない空気のような。
けれど、ここにあるのは確認できたから続けて水を生み出す長い呪文を唱えてみる。手のひらが少し濡れたような感覚は起きたものの、魔法の発現まで至らず不発に終わった。
(そうよね、都合よくいかないわよね…)
期待してしまった分、つい落胆してしまう。簡単じゃないと分かっていたけれど。
レーリアは東屋へ移動して、栞を挟んでおいたページを開く。念のため確認したら呪文は間違えていなかった。
やはり自分の魔力の存在を、もっと明確に認識しなくては魔法など夢のまた夢ということだろう。
(魔法書をもう少し読み進めてみよう。自分の魔力量がどれ程なのか判断できない今は闇雲に魔法を試せないし)
レーリアはもう一度、読書を再開した。
時間を忘れて没頭していると、雲ひとつない空の青は茜色に染まっていった。
暗くなるにつれ、文字を読むのが難しくなり、今持っている辞書では分からない単語まで出てきた。
夕食の時間になれば、ララが声をかけにきてくれるだろうが、きっとここが切り上げ時だろう。
(また図書室へ行こう)
夜の図書室はレーリアにとって習慣化されつつある。寝不足になってばかりというわけではないが、つい学びたい欲に負ける日もあった。その度に化粧で誤魔化してもらっているので、隈があることには気づかれていないはず。
今日も負けてしまうかもしれないとレーリアは自分に苦笑しながら魔法書を抱えて屋敷の中へ入っていった。
***
ネグリジェに薄いカーディガンを羽織ったレーリアは、図書室の前まで来ていた。
いつもなら暗い部屋の扉から照明の明かりが漏れている。
(消し忘れかしら)
中へ入り、ランプをテーブルの上に置いたあと単語を調べられそうな本を探す。
そうしたら一番上の段に「魔法の発動には」と、気になるタイトルを見つけた。何度か来ているが不思議なことに初めて目にした本だ。
(読んでみたい…)
台の上に乗ってキツめに収納されたそれを、なんとか棚から抜き取ったものの、一般的な本の厚みに反して、かなり重く、手のひらから落としそうになった。
(だ、だめ…!)
大事な本を落としたくはない。抱え込み、その代わりに自分が台の上からバランスを崩してしまう。
レーリアは衝撃に備えて咄嗟に身構えた。けれど待っていたのは硬い床の感触ではなく、よく知った温もり。
「こんばんは、お嬢さん」
至近距離で赤黒い瞳が見つめてくる。
ジルが本ごと彼女を抱きしめてくれていた。
大事にならなかったことにレーリアは安堵したものの、図書室の照明がついていた理由を知る。と同時に別の問題がこの瞬間に発生してしまった。
まずは自分の足で立ったあと、大切な本を落としそうになったことをお辞儀と共に丁寧に謝罪した。
「律儀ですね」と返したきただけのジルは特に気にしていないようだが。
(それにしても、こんな夜更けに図書室で会うなんて…)
ジルの屋敷なのだから不自然なことではないのだが少々バツが悪い。心配かけまいと夜遅くまでの読書を隠していたのだから。
案の定、ジルはニッコリとした笑みを作った。何も言われずとも咎められているのがヒシヒシと伝わってくる。
「じ、ジルも本を読むのね。初めて会ったときも詳しそうだとは思っていたけど」
「……私は毎日眠る必要がありませんから時間潰しに丁度いいのです。本来、照明はいらないのですが、勉強熱心なお嬢さんが、そろそろ来るのではないかと思いまして」
「え、なんで知って…」
ハッとしてレーリアは口を両手で覆う。
ジルはニッと意地悪く笑った。
「魔族であれば自分の魔力がどのように動くのか把握できるのですよ、お嬢さん。連日、あのランプを使われていましたよね?」
「そういうことね…」
スティンツ島のエネルギー源は魔族による力だ。つまりジルは最初からレーリアが夜遅くまで起きて本を読んでいたのを把握していたということ。
なんだか協力してくれていたララに申し訳なくなってきた。
「知っていたなら最初に指摘してくれればよかったのに」
「あまり口出ししすぎるのもお嬢さんの為にならないかと思いまして。しばらく様子を見ていたのですが、こうも一人で頑張られていると、また体に不調をきたすのではと気が気ではなくなってしまったのです。せめて手助けくらいさせて下さい」
「でも貴方は貴方で忙しいでしょう?」
むしろ手助けしたいのはレーリアの方だった。魔法を操れるようになれば、ジルとの距離を縮められれば、少しくらい頼ってもらえることだってあるのでは…と。
こんな風に微かな希望を抱けるようになったのも彼のおかげなのだから。
ジルは「忙しさなど、どうでもいいです」とレーリアの右手を両手で握る。まるで懇願するかのように。
「貴方との時間を増やす口実を私にください。貴方が足りないのです」
「この前、満足してるって言ってなかった?」
「あのときはそうでした。ですが欲というのは際限がなく、湧き上がってくるもの…もっと欲しくなりました。知識欲が旺盛なお嬢さんなら、この気持ちを理解していただけるのではないでしょうか?」
「たしかに、そうね…」
連日、知識と睨めっこしていても、まだ全然足りないのだ。欲をどこへ向けているかの違いはあれど、きっと感じていることは同じだ。
「それに今は魔法の勉強をなさっているのですよね?尚のこと頼っていただきたいです。魔族ほど教師に最適な人材は他にいませんし。だからお願いします」
「……そのお願いしますは立場的におかしいと思うの。教えてもらうのは私の方でしょう?」
「なんであれ私がしたいことに変わりはありませんから。ご了承を、いただいても?」
「………」
また面倒をかけてしまうかもしれないと思うと、このまま受け入れていいのかレーリアは迷った。
ジルが際限なく甘やかそうとしてくるのなら時には断らなければいけないのではないかと。
だけど一緒の時間を過ごすことは嬉しい気がして。それがジルの"したいこと"で、自分にとってもそうなら断るなんておかしな話だ。
レーリアはその両手に左手を添える。
「正直…手こずっていたの。教えてもられるかしら?」
「っ!…ええ」
ふわっと笑ったジル。
その緩み切った表情とは裏腹に、赤黒い瞳はギラつき、周りに黒のモヤが漂って吸血鬼の姿へと変化する。
急なことだったが、すでにそれを受け入れているレーリアは自ら抱きつき、彼との距離をゼロにした。
「すみません、レーリア。腹が空きました…」
「ううん…遠慮せず食べてちょうだい」
カーディガンがジルの手によって緩く下に下がり、露わになったうなじに鋭い牙が当たった。唾液で肌が濡れ、吸血鬼の食事が始まるかと思いきや、何故かジルは離れていきーー
レーリアを腕の中に収めたまま、誰もいない空間を睨みつけ、苛立ちを隠さずに舌打ちをする。
「揃いも揃って、無粋なことを…」
「あーやっぱり、ばれちゃったのね〜、そのまま気にせず続ければよかったのにぃー」
「余はたまたまだ!」
「俺はただの嫌がらせだよー」
三者三様の声が響く。
レーリアが知っている声の主、2人の魔族がそれぞれの色のモヤを漂わせながら姿を現した。魔王とスクロルだ。
そしてもう1人、窓がひとりでに開いて、緑色の鳥が入ってくる。
ぎゅん、ぎゅんと濁音とソプラノが混じった鳴き声をしたあと、緑のモヤに包まれ、人型へ変化する。
「ふふ、お邪魔しますぅー」
くるくるとした緑髪がふわふわと揺れる。シンプルな白のローブを身に纏った綺麗な女性が最後に登場したのだった。




