2−10 黒い魔力
軍服を身に纏ったダクス・エクアドーゼはノールベルツの屋敷に招かれていた。
先日の会議で国としての方針は決定したが、ログノからダクスへ、個人的な"協力要請"があったのだ。
すぐさま断ろうとしたが「お前の元婚約者が攫われた」と聞いてしまっては無視できず、詳細はノールベルツに来れば分かると言うので、ダクスは約4年ぶりにこの地へ足を踏み入れた。
ノールベルツ公爵家は記憶通りのままだった。広大な敷地も、眩しいシャンデリアの光もメダリオン柄の廊下敷きも。唯一、赤い髪を持つ女性だけがここにはいない。
ダクスは、その厳格なスカイブルーの瞳を一瞬だけ翳らせたが、軍人として無様なところを晒すわけにはいかなかった。ギリっと険しい表情に切り替えて堂々と長い廊下を歩く。
メイドや執事達は無遠慮な視線をダクスへ向ける。
"主と同じ光属性であるエクアドーゼ公爵家の人間であり、レーリアの元婚約者"
好奇に晒されるには充分な肩書きだが、とても客人相手にする態度ではない。見下されているのがありありと伝わってくる。
年配の執事が扉を開けて一礼をしたので、歩を緩めることなく中へ入れば「よく来たな」と不遜な態度のログノと、やつれ細ったログノの妻ヴィルジーが天蓋付きベッドの傍らに立っている。
ヴィルジーは嫌悪を露わにして表情を歪めた。
「あんた風情がよくもうちの敷地を跨げたものね!!」
「私が招いたんだ。お前は出ていけ」
「っ!……どうかしてるわ、あなたもっ」
ヴィルジーはダクスを睨みつけたあと、大理石の床を踏みつけるように乱暴に歩き、出ていった。
ダクスはほとんど彼女を視界に入れないままベッドで眠る老婆と、その周辺を観察する。
10代後半の女性が好むようなネグリジェと、刺繍をあつらった天蓋付きベッド。それらを彩るかのように花瓶に活けられた花や、壁には様々な宝石が埋め込まれており、ドレッサーにも引き出しには収まりきらないネックレスや指輪といった宝飾品が散乱していた。
このノールベルツ公爵家でこのような贅沢ができるのは夫妻を除けば、たった1人。
「この者はアレリィ嬢ですか?」
「ああ、可哀想だろう?不幸にも件の魔族にやられてしまってな」
とても16歳のそれではなかった。命に別状はないとの話だが、死んでいないのが不思議なくらい変わり果てた姿だ。
しかも魔族はノールベルツ公爵家の光属性による結界魔法をすり抜けてきたのだと言う。
同じ光魔法を操る人間としてダクスも心穏やかにはいられない。
「まさかレーリアは…」
「そうだ。魔族に攫われた。忌々しいがアレも希少な光属性を持っているのでな。奪われたままにしておけんのだ。元婚約者のよしみで協力してもらえんか?」
珍しく殊勝な態度のログノだが、レーリアへの嫌悪を隠そうともしない。それが正しいことだと言わんばかりだ。
「…はい。彼女の為ならば」
ダクスは複雑な面持ちの中、了承した。
この協力願いは内密に行われたもの。貴族であり聖人であるログノ・ノールベルツの面子を守るためにレーリアのことは伏せた上で、呪いの島の調査と彼女の奪還をさせる気だ。
都合よく使われるのは不快極まりないが恐ろしい魔法を操る魔族に彼女が攫われたのだと知った以上、放置などできるはずもなかった。
そんなダクスをログノは馬鹿にするかのように鼻で笑う。
「ふん、さすがはダクス殿。あの母親殺しをそこまで大切にできるのは貴殿くらいだろう」
「何度も言いますが、あれは事故です。一緒にいただけのレーリアに母親殺しの言葉は適切ではないです」
「っ適切だっ!美しいアウレーリアを、あのようなおぞましい肉塊にされた私の気持ちがわかるか!?」
「しかしだからといって!」
「おかしいとは思わんか!?事故当時、あの母親殺しは傷一つなかったのだぞ?無意識に光魔法を使ったのが妥当という話だが、それならば何故、母親の傷も共に癒さなかった?その力を有効に使わなかったのだ!?」
「一度、落ち着いてください!」
「不吉な赤髪め!我が娘ならばと金をかけて育ててやったというのにっ…あんなバケモノは一生こき使われるのがお似合いだ!」
歯をギリギリと食いしばり、鼻息を荒くするログノ。その額には血管が浮き出ている。
これまでダクスは何度もレーリアの環境に対して改善の要求をしてきたが、ここまで苛烈なのは初めてだった。しかも年々酷くなっている。
なぜ実の娘をそこまで憎めるのか理解できないが、最早何を言っても無駄だろうとダクスは口を閉じた。
(自分もあの馬車の転落事故は調べ尽くした)
ログノの言う通り、アウレーリアの遺体の損傷は激しかったものの、レーリアは傷一つなく生還している。
彼女の持つ光魔法が影響したとの見解自体はダクスも賛成だったが、無意識な魔法の行使は本人の意思によるものではなく、魔力暴走に近い状態だったはず。
そんな中、母親を助けるなど、当時6歳の彼女に求めるのはあまりにも酷だ。
(いや、酷いのは自分もか…)
アウレーリアが亡くなる前に婚約したダクスはレーリアの無邪気な笑顔が失われていくのを、ずっと感じていた。
貴族の娘ならば当然受けられる恩恵を与えられないどころか、家族にも使用人にも虐げられる様を何度見たことか。
それをおかしいと知りながらもダクスは何もしてあげられなかった。いつしか感覚は麻痺していき、状況を甘く見始めた。彼女が16歳になればエクアドーゼに嫁いでくるからと。ノールベルツに正面から楯突くわけにはいかなった。
しかし、そんな考えを嘲笑うかのように、その立場は喪失してしまったのだ、4年前に。
公爵家であり光魔法の担い手同士の婚約破棄など、ロミスティ王国に強く影響する大事だが、ログノは王族さえ介入させなかった。
気づいたときにはもう遅く、問い詰めれば「気に食わない」と、ただそれだけの理由で、この男はレーリアの幸せも、ダクスの次期当主の立場も奪ったのだ。
家のことは両親や弟の支えもあって折り合いがついたがレーリアだけがずっとーーもう会うことすら叶わない、そう思っていたというのにーー
(これは好機だ。魔族から救い出した後は我が家に匿う。レーリアを幸せにできるのは自分しかいない)
拳を握り、ダクスは屋敷を後にする。
ただちに"呪いの島"へ向かうべく軍の編成と、何十日間も海を渡る軍艦の準備を開始した。
***
ダクスが帰った後、ログノ・ノールベルツは両手で茶色の髪をぐちゃぐちゃと乱した。
(何も知らない若僧が!!)
まるで自分が一番正しいのだと言わんばかりのあの顔が心底気に入らない。
だからレーリアをあのエクアドーゼ公爵家に嫁がせるのは辞めさせたのだ。
(幸せになどさせるものか、私がこんなに苦しんでいるというのに)
ドス黒い怒りが溢れてくる。
これを消す方法は原因のレーリアを痛めつける他ない。
ノックの音と共に「あなた!!終わったのよね!?」とヴィルジーの苛立ちの声が響き、扉が開く。
今にもヒステリックを起こしそうな雰囲気だったが、ヴィルジーはログノを見た瞬間、顔を青くして、よろよろと傍にある壁に縋り付いた。
「なんだ?なぜ怯えている?」
「な、なんでもないのよ。お、お邪魔してしまったわね」
「用事がないのなら私を煩わせるな!!さっさと去れ!!」
「…っひぃ!」
ヴィルジーはガタガタと震えながらアレリィの部屋から逃げ出すように出ていく。
その怯えた様子を廊下で控えているメイド達に隠すこともせず、ポツリと呟いた。
「なんなの、あの黒い魔力は…」と。




