2−9 近くて遠い人
空からオレンジが沈み、夕闇が洋館と庭園の色彩を塗りつぶしてゆく。
エントランスの明かりに照らされ、レーリアはその中心に立っていた。
すぐ後ろには専属メイドであるララが控え、他のメイドや執事達は更に後ろで花道のような列を作る。
屋敷の主を出迎える体制が整ったのだ。
「あの、レーリア様?無理はしちゃダメですからね?」
「ええ」
(今、楽なのはお薬のおかげだものね)
あのあとララの誤解をレーリアは解いた。
自分の勘違いだったと知ったララは「穴があったら入りたいです…」と落ち込んだが、何の為に急いで来たのかをジルに指摘され、やっと持ち直してくれた。
ララの手作りだと言う薬は効果が高く、飲んで数秒。たちまち熱は下がり、体の怠さは消えた。完全回復したのではないかと思うくらい調子がいい。
曰く、根本的なところではまだ治っていないらしい。
『してほしいこと、したいこと』をするべくエントランスで皆と並んでいるが、終わったら、すぐに休むと2人に約束している。
レーリアは、ふとララを観る。
彼女も魔力不足が起きていたはずだが、レーリアの薬を大急ぎで準備し、他のメイドや執事達との連携も難なくこなしていた。ララこそ休むべきではないだろうか。
「ララも無理しちゃダメだわ。私のお世話はもういいから、しっかり休んでちょうだい」
「? わたし平気ですよ?」
「え?でも…魔力不足だったんでしょう?」
頑丈で強大な力を持つ魔族であっても魔力不足は深刻なダメージを負う。魔力がなくなれば誰もが命を落としてしまうのだ。
魔王城では立ち上がれないくらいララは消耗していて、相当無理をしたのでは…とレーリアは思っていたが、ララは「うーん…」と首を横に傾げた。
「確かにいつもは数日間は寝込むんですけど、今回はなんか平気、ですね。疲れなんか吹っ飛んじゃいました」
「そう…なの?あんなにつらそうだったのに本当に?」
「はい、無理してないですよ。不思議ですけど」
ララはどうしてそうなったのか特に気にならないようで「こんなこと初めてですよ!」と朗らかに笑った。
知らないうちにジルが治してくれたのかと思い、聞いてみたが魔力回復の魔法など無いらしい…そういう薬も無いのだとか。
ますます不可解ではあったが、ジルがふわりと転移魔法で姿を現す。
優しい笑みで見つめられたレーリアは疑問を頭の片隅に追いやって綺麗なお辞儀で応えた。
「お帰りなさい、ジル」
「ただいま帰りました、レーリア」
まるで、ままごとのようなやり取りだった。
少々気恥ずかしい。
「さて行きましょうか」
ジルに軽々と横抱きに抱かれる。このまま部屋まで連れていってくれるつもりらしく、レーリアは身を委ねた。
そんな彼女の様子を眺めるドロドロとした赤黒い瞳が、満足そうに緩やかな弧を描いたあと前へ視線を戻す。
レーリアも前を向けば、屋敷の皆は一様にポカーンとした表情をしていて、かなり意外に感じた。
ジルの屋敷で働く人達は皆、魔族に雇われているだけあって気安くこちらに話しかけたりしない。冷たいというわけではなく、主人に対して私事を挟まない人達という印象だ。
だけど今、執事達は緊張した面持ちでいるし、メイド達は騒いではいないものの、どこか色めき立っていた。密かに聞こえたのは誰かの「魔族の花嫁…」という言葉だ。畏れと好奇が入り混じる。
ただの客人からジルの猛毒の花嫁となったのは昨日のこと。既に周知はしていたみたいだ。態度が一切変わらなかったのは気後れするレーリアを気遣ったジルなりの配慮だろうか。
だけど、こうして2人のやり取りを見て、みんな改めて実感したようだ。レーリアは魔族にとってもスティンツ島にとっても重要な人間であるとーー
「私の屋敷で働く者は皆、優秀で助かります。ですが、どのような立場であれ、レーリアが私にとって特別であることは変わりありません。これまで通り丁寧な仕事を期待します」
皆の様子はジルにとって想定内だったらしい。穏和に告げて転移魔法でレーリアの部屋へ移動した。
瞬時に彼女のドレスをネグリジェへと変化させ、ベッドに寝かし、定位置になった椅子へ腰掛ける。
眠るまで彼は一緒にいてくれるのだ。
嬉しいのに【特別】の言葉がレーリアにはやっぱり重い。どうして、と思わずにはいられなくてーー
聞くべきか否か判断する前に気づけば唇は動いていた。
「どうして、私なんかにそこまでしてくれるの?私は貴方に血液しかあげられないのに」
聞いてしまったと後悔はしなかった。重くのしかかったものを吐き出せたような気がしたから。
極上の味だと、人生の責任をとってくれるとジルは言っていた。
それらを踏まえれば待遇は有り難く、おかしくはないけれど、彼の態度はそれ以上が見えてくる。自分はジルという魔族にとって特別なのだ知れば知るほど分不相応に感じてしまうのだ。
ジルはしばらく沈黙していた。
言うべきか悩んでいたようだが、レーリアの不安そうな表情を見て、観念するように口を開く。
「貴方は極上の味です。それだけでも私は貴方に傅きたくなりますが……そうですね、確かにそれ以外の理由もありますよ」
きっと誤魔化されると思っていたレーリアは体を起こす。
すぐさま「寝てて下さい」とジルに目咎められてしまったので渋々ともう一度ベッドに横たわる。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「私としては、もう休んでいただきたいのですが…」
「充分休めているわ、大丈夫よ」
「まったく、強情なんですから…」
その言葉とは裏腹にジルはどこか嬉しそう。
サラサラとレーリアの赤髪を撫でる。
「貴方といると豊かな感情を得られるから、ですね。それだけです」
あまりにもシンプルな回答にレーリアは瞳を瞬かせる。
それだけだと言うが、豊かな感情をレーリア自身も、これまで当たり前に持てていなかった。
耐えるばかりの人生だったから。
「ジルも…何かに耐えていたの?」
「そうですね。欠けていると、より一層影響が出やすいようで。難儀していました」
「欠けて…?影響って…どういう…」
要領を得ないジルにレーリアは言い募ろうとしたが彼の指先が阻むように彼女の唇に触れる。
これ以上、語るつもりがないのだ。
「……そろそろ寝るわ」
「おやすみなさい、お嬢さん」
レーリアは固く瞼を閉じた。
(特別だと貴方は甘やかしてくれるけれど、大事なところでは私を遠ざける。頼りないのは私の方じゃない)
この距離感も受け入れるしかないのだろうか…
唇を引き締めると鉄の味がして、噛んだあとだったことを思い出した。遅れてヒリヒリと痛覚を感じる。とても眠れそうにない。
(そういえばジルと唇を重ねても私は人間のままね。童話を鵜呑みにしていたわけではないけれど)
ましてや吸血鬼になりたいわけでもない。ただ…
ジルと同じものを見つめながら生きるーー
それはきっと幸せなことなのではないか…そう思ったのだ。




