2−6 特別な立場
ジルはレーリアを片手で抱えながら指先で宙に線を描き、闇色のモヤを発現させる。
そのモヤは怯えを隠しきれない大陸の人間達を取り囲み、やがて彼らの体の中へ溶け込んでいった。
「さらばだ。大陸の人間達よ」
魔王が手のひらを力強く前へ突き出すと、床に魔法陣が浮かび上がり、黄金の光が彼らを照らす。
目が眩みそうになるほどの輝きを放ち、レーリアは桃色がかった薄紫の瞳を細め、視界がクリアになる頃には、そこに居た人間達の姿は消えていた。
魔族による記憶消去魔法と転移魔法。
人間には到底真似できない力を息を吸うかのように行使し、大陸の人間達を帰還させたのだ。
待機していたララは感嘆な溜息を吐きながら、力無く、しゃがみ込んだ。
額には汗が流れていて、疲れているようにも見える。先ほどの魔法のせいだろうか…
「わたしとは魔力の質が全然違う…流石は魔王様とジル様です。わたし"消す魔法"は何歳になっても出来そうになくて…」
「こればかりは相性ですから。魔王様ですら苦手としていますし、そう気を落とすものではありませんよ。今は休むことを優先なさい、ララ」
「はい…お行儀は悪いけど失礼します…」
ララは電池が切れたかのようにパタンと床に寝っ転がった。やはりサクランを生み出したのが大幅に魔力を削っていたらしい。
魔力を使い切れば命に関わる。魔族とて例外ではないだろう。
レーリアはララの様子を伺っていたが「疲れたぁー!」と大きな声で叫ぶ明るさがあった。どうやら心配はいらないようだ。
(相性…ジルに限った話ではなかったのね…)
魔族はそれぞれ、属性を感じさせる魔法を操っているように思う。
記憶消去のように何かを消す魔法は植物を生み出せるララにとって相反する力みたいだ。光魔法がジルにとってそうであるように、強大な力を持つ魔族であっても弱点になり得る。
「ふむ、ジルの言うとおりだな!特に記憶消去魔法は繊細な加減が必須であろう?ならば我らの出る幕はない。そうであろう?ジルよ」
「…ええ。そんなことよりも魔王様。少々よろしいでしょうか」
やや強引に会話を切り替えたジルは魔王へニッコリとした笑みを向けた。
非の打ち所がない その表情には静かな怒りが浮き出ている。
察したレーリアは話の邪魔にならないよう、腕の中から逃れようとするものの、その腕はあまりにも強固だった。彼女の貧弱な腕力では数時間格闘したとしても徒労に終わるだろう。
(真面目な話なのよね?私がここに居るべきではないのに…)
しかも、ちょっと熱い。汗が滲んできそうで余計に離れたくなった。
その心を見透かしたかのように、やんわりと彼の腕に力がこもる。
密着度合いが増したせいか本格的にレーリアの体が熱を持ち始めた。
(熱い…)
とはいえ、これ以上の抵抗は返って邪魔になる。
観念してジルを見上げれば、不意に、その笑顔がイタズラっぽく変化してレーリアを捕らえた。だけど次の瞬間には宰相として魔王へ目を向けていて。
最早、からかっているとしか思えない。いや、彼に言わせれば衝動的な行動なのだろうが…だからこそ少し恨めしい。
「魔王様。貴方様の比類なき寛大さには心底、脱帽してしまいました。まさかリスラビットを殺めた愚か者まで受け入れようとなさるとは…」
「す、すまぬ。あまりにも不憫に思えてな…ついその件が頭からすっぽ抜けてしまったのだ…反省はしておるぞ…」
魔王はしょんぼりと肩を落とす。そうしていると先ほどまでの威厳など皆無で、同一人物なのか疑いたくなるほどだった。
2人の会話から推測するに、諸々の報告を事前に受けていたようだが詳細までは分からない。事実確認などレーリアの立場では望めないはずなのだがーー
「でしたら反省ついでに許可をいただきたいですね。お嬢さんに事の詳細を話しても?」
「好きにするが良い…」
サラッと許しを得られ、レーリアは目を丸くする。なんともテキトーな…
そもそも、まだ正式な謝罪ができていないというのに…
事情を話してもらえるのは有難いが、その前に自分がすべきことは済ませたかった。
この体勢のままでは適切ではない。放す気配すら見せない、この腕が動くのを待っていたら機会を逃してしまいそうだ。
レーリアは「ジル」と真剣に名を呼ぶ。
妖しの赤黒い瞳と至近距離で見つめ合えば察してくれて、渋々と腕を緩めてくれる。
レーリアは改めて魔王とララ、そしてジルと向かい合う形を取り、織り目正しく頭を下げる。
視界の端では失神しているスクロルが映ったが、今は気にしないことにした。
「魔族の皆様。スティンツ島に住んでいるのにも関わらず大切なルールを破ってしまいました。私のような人間が許可もなく城に入り、誠に申し訳ございませんでした」
"どのような罰でも受け入れます"とは敢えて口にしなかった。なぜならーー
『受け入れますって何?そんな当たり前のこと、わざわざ言わないでくれる?』
そんなアレリィ・ノールベルツの意地の悪い言葉が脳裏にこびりついていたからだ。
頭を下げたまま沙汰を待っていると心配するララの声がレーリアの耳に届く。
「そんなレーリア様!頭を上げてください!わたし達、怒ってないですよ!」
「けれど島の秩序を守る為にルールは定められているのよね?大陸の人達はスティンツ島のルールを守らなかったから島の住人として認められなかったわ。それなら私も…」
ーー島から立ち去らなければいけなくなるかもしれない。
今更そんな恐ろしい考えがよぎってレーリアは歯を食いしばり、両手を強く握り込む。
カラカラと喉が渇いて、胸が苦しい。
「レーリア、貴方は私の花嫁です。それだけは何があっても変えるつもりはありません」
真摯な声色にレーリアはハッと顔を上げた。
想像通りジルは真面目な表情をしていて、床に座わり込んでいるララは悲しそうに眉を下げている。
罪ばかり意識しすぎて、良くしてくれる2人に気を使わせてしまったのだ。
(こんなこと、したいわけではなかったのに…)
つい謝ってしまいそうになる唇をきつく引き結び、黙している魔王へ目を向ける。
全ての決定権は彼にあるのだ。たとえジルやララが望まなくても。
魔王は「うーむ…」と腕を組み、しばらく眉間に皺を寄せていたが。
「レーリア嬢は入城許可がない人間だったか?スクロルが連れてきたのであろう?」
「は、はい!無理矢理です!誘拐です!」
「ならば謝罪はいらぬな。前例はないが魔族が連れてきた時点で充分許可になるであろう。そうでなくともレーリア嬢はジルの伴侶となる者なのだ。島民と同じ扱いはせぬよ」
レーリアは息を呑む。
ジルの猛毒の花嫁はレーリアとって、とても大切な役割ではある。しかし島のルールに及ぶほど特別な立場だったなんて。名ばかりだと思っていたのに。
"ジルの花嫁"
その役割が重くのしかかり、喜びを感じるより身が引き締まる思いだった。
固まったままのレーリアを尻目にララはホッと胸を撫で下ろし、ジルは酷くご機嫌にニコニコと笑顔を振り撒いた。
「柔軟なご判断、流石は我が主。人間達への同情で鳥頭になっていたのは何かの間違いだったのですね、心底安堵いたしました」
「褒めながら嫌味を言うでないわっ、さっさとレーリア嬢に事情の説明をしてやるがよい!」
「承知いたしました、魔王様」
優雅に一礼をし、赤黒い瞳がこちらを向く。
それ相応の態度でいなくては…とレーリアは背筋を伸ばした。
「本当に聞いていいのね?貴方の言う通り私は部外者に違いはないのよ」
「今回の件では確かに、そうですね。ですがお嬢さんはスティンツ島にご興味がおありなのでしょう?でしたらいくらでも教えて差し上げますとも。貴方は私の花嫁ですから」
「……ララから聞いたのね。自分で勉強したいと思ってるのよ。何でもかんでも頼り切りにしたくはないし。私にできることなんて大したことはないけれど」
「……なるほど」
ジルは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
レーリアが訝しげに問いかければ「失礼しました」と本題に入った。
「まずお伝えする前に、お嬢さんはスティンツ島におけるルールについて、どれくらい理解されましたか?」
「リスラビットは殺めてはいけないってことだけよ」
最初は魔物そのものを倒してはいけないのかと考えたが、魔王城に着くまでスクロルが何体か倒し、食事にしている。
自由奔放に振る舞っていた彼でさえリスラビットだけは避けていたから、そうなのではないかと。
「その通りです。やはりお嬢さんは自分で考える力がありますね。素晴らしいです」
「褒めすぎよ…それに何故なのかまでは分からないわ。リスラビットはそんなに特別な魔物なの?」
「ええ、魔力が特殊でして。リスラビットが森に居るだけで他の魔物の気性も比較的、穏やかになるのですよ。強い魔物以外ならば人間を見かけても逃げるだけ。襲わなくなります」
「そこまで影響が……」
思えばスティンツ島の森の中へララと一緒に入ったことが何度かあった。
魔物に遭遇したことなど一度もなく、ゆっくりお花畑を眺めていられたのはリスラビットのおかげだったんだ。
「リスラビットは争いを嫌う種なので進化の過程で、そうなったのだと思います。しかし同族殺しだけはタブーなようで普段穏やかな分、凶暴化してしまう。何かの形で鎮めなければ悪い影響が拡大してしまうのですよ」
「それだけ同族を大切にしているのね。彼らの怒りは、ちゃんと収まったのかしら」
チラッと失神しているスクロルを見やる。
服はボロボロで沢山の噛み跡がなんとも痛々しかった。
「大好物のサクランと生贄を捧げたのでリスラビットの沈静化に関しては大丈夫かと思いますよ。現にこちらを襲うことなく帰っていきましたから」
「良かったわ。…その、スクロルから聞いたのだけれど、島にトラブルが起きたとき島の人達が報告に来るって。今回もそうだったってこと?」
「ええ、お嬢さん達が来る1時間ほど前にお越しくださいました。ルールだと伝えたにも関わらず破られたと。定期的に報告をしてもらっていましたが最後の最後で彼らはやらかしてしまった。土地それぞれの決まり事を軽視しすぎていたようですね、お嬢さんと違って」
つまり知ろうともしていなかったのだろう。島民達のもてなしに胡座ばかり描いて。確かにそれでは移住を認められるわけがない。
「教えてくれてありがとう。その、私…」
特別な立場だと自覚できても、これから何をしていったらいいのか。少なくとも、これまで通り、ただ自由を満喫するだけでは、あまりにも分不相応だ。
生じた義務感と共に胸に込み上げてくる思いがレーリアにはあった。
どこから生まれたのか定かではないが、確かな思い。
(知りたい、もっと。スティンツ島のことも、魔族のことも、貴方のことも)
「ジル。私は……」
「レーリア…?」
全身が熱い。頭がクラクラする。
視界がぼやけて、足早に近づいてきたジルがどんな顔をしているのかさえ確認できない。
彼の手のひらがおでこに当てられた。なんだか冷たくて気持ちがいい。
「私としたことが……」
生真面目な声が心地よく響いた。
(ジルのこの声、もっと聞いていたいわ)
そんなことをぼんやりと考えていたら、体がふわっと床から離れた。
ジルに横抱きにされていると理解するのに数秒かかる。
さっきは彼とこうして密着すると心がざわついていたというのに、今はただ身を委ねてしまいたい。
(ジルって、やっぱり変な人…)
落ち着く時と落ち着かない時の違いを考えながらレーリアは彼の規則正しい鼓動に耳を傾けた。




