2−5 ルールに基づく
「面をあげよ」
魔王の低い声が謁見の間に響いた。
彼の命に従い、顔を上げれば、ツンツンとした金髪と、精悍な金色の瞳を持った魔族の王は玉座に腰掛け、こちらを見下ろしている。
以前会ったときは親しみやすさを覚えたが、今の魔王は上に立つ者特有の威厳に満ち溢れていて、魔族の王として相応しかった。
人間達の中心に居る妙齢の男性は代表者らしく「ああ!魔の王よ!」と大きな声で懇願する。
「どうか我らをスティンツ島の民として迎えいれてくれないだろうか!偶然この島に辿り着き、客人としてスティンツ島を長く見てきたが、我々はこれほど豊かな場所を他に知らぬ!祖国は日に日に痩せ細ってゆくばかりで、治安も悪くなってゆく一方だ!とても安心して住める環境ではない!どうか、お願いできないだろうか!どうか!!」
悲痛な叫びに同調して咽び泣く者までいた。
魔王は同情して「そうか…」と眉を下げる。
「もてなしを任せておった島民から事情を予め聞いておるぞ。大変であったな!ならば…!」
「魔王様、お待ちください」
ジルの落ち着き払った声が魔王の言葉を遮断した。
魔王のインパクトが強すぎたせいで、大陸の人間達はそちらを意識できなかったようだ。ハッとジルの方を向く。
「失礼ながら、貴方は?」
「私は宰相を務めております、ジル・フィンセントと申します。以後、お見知りおきを」
「これは誠に失礼を…」
「お気になさらず。不躾ではございますが、一点お聞きしたいことがあるのです。よろしいでしょうか?」
「おお、なんなりと!」
妙齢の男性が勢いよく応えれば、ジルはニッコリと笑みを作ってみせた。
それは友好的な、人好きのする表情ではあったが…
(ジル…?)
レーリアは彼から小さな怒りを感じた。
知らず凝視してしまうが、ジルは彼女の視線に見向きもせず、宰相として妙齢の男性へ質問を投げかける。
「今朝、スティンツ島の森で魔物退治をされた方がいると伺ったのですが…」
「おお、そのことか!私の倅がやったんだ!」
隣にいる青年の肩に手を置いて妙齢の男性は誇らしげにする。
「息子さんは勇ましいのですね。ぜひ経緯をお聞かせいただけませんか?スティンツ島にとって大切なことなのです」
ジルの物腰柔らかな態度に青年は意気揚々と一歩分前へ出て語り出した。
「はいっ!今朝は魔族の方々にやっと会えると気持ちが昂ってしまい…落ち着かせようと森に足を運んだのです。ですが、なかなか昂りが消えず難儀しておりました」
「おや、そこまで喜んでいただけていたとは。こちらとしても話の場を設けた甲斐がありました。では魔物はそんな貴方様を襲ってきたのでしょうか?」
「いえ。昂りを鎮めるのに丁度いい魔物を遠目ですが発見し、剣術には自信があったので倒してみたのです。小動物のような見た目でしたが魔物の強さは個体差があるので、一切の油断をせず一刀両断に斬り伏せました」
「それはそれは。よく森から無事に出られましたね。勇ましいだけではなく運もお持ちのようで結構なことです」
「持ち上げ過ぎですよ」と青年は笑った。
妙齢の男性も自慢げに「自分の息子が勇気を持って凶暴な魔物を倒したんだ!」と声を張り、他の仲間も彼らを称えた。さも良いことをしたと言わんばかりに。
たしかに大陸では魔物を人間が倒しても、なんら問題はない。魔物は人間を見かけるなり襲う種が多いし、先手を打ったともいえる。けれど…
(ここはスティンツ島…なのよね)
独自のルールを設けていても、なんら可笑しくはないのだ。
ジルの赤黒い瞳がスゥっと冷え切る。口は笑っていても瞳は笑っていない、そんな表情で「お話ししていただき、ありがとうございます」と明らかな社交辞令を口にした。
魔王の方を向き「いかがされますか?」と最終的な判断を自分の主へ委ねる。
厳しい表情で彼らを見下ろす魔王。
「ふむ、ではお前達には即刻出ていってもらおう。我が島に2度と立ち入るな」
「はぁ!?」
和気あいあいとしていた雰囲気は一転、大陸の人間達は驚愕し、表情が固まる。
「なぜだ!?理由を聞かせろ!!」
「余は説明を好まん。ジル、おまえが説明してやるがよい」
「いります?今後スティンツ島と関わらない人間ですよ」
「うむ、それもそうだな。記憶消去の魔法をかけるというのに、二度手間になるな」
まるで世間話をするかのように、さらっと口にした記憶消去の魔法は人間には扱えない。能力的にも倫理的にも禁忌の魔法に等しい。
大陸の人間達は息を呑んで怯える。その中で青年だけが怒りの形相を滲ませ、叫んだ。
「記憶消去だと!?ふざけるな!そんな道理が通って堪るか!」
「だよね?理不尽だよねー」
激怒する青年に同調したのは、不釣り合いな軽い口調をした無骨で真面目そうな男性…のスクロル。あっさりと変身魔法を解いた。
青の髪と瞳、そして狼の耳と尻尾を持った、その姿。知らぬ間に人外が混じっていたことに大陸の者達は一様に驚愕した表情をみせる。
「お、おまえは…?」
「俺は魔族だけどお前達に賛同するよ?ちょうど良く、こっちには交渉できるカードがあるし、試してみようよ」
そう言うとスクロルはジルに挑発的な視線を向ける。
対してジルは笑みを浮かべたまま、緩く首を傾げた。
「スクロル…悪ふざけが過ぎますよ?」
「やだな、ふざけてないって。俺はいつでも真剣に楽しいことの為に生きているんだから。宰相様の食事みたいなもん」
そう言ってスクロルはレーリアの手首を持って強引に立たせた。
レーリアは解こうと腕に力を込めたが、びくともしなくて、せめてもとスクロルを睨む。
ジルの婚約者と認識されている現状において"交渉できそうなカード"が誰のことなのか。簡単に想像できてしまった。
(ジルの邪魔にはなりたくないのに…)
離して!と口にしようとしたが声が発せられない。唇がパクパクと動くだけ。おそらくは魔法の力を使ったのだろう。
ジルは表情を消し、熱心にレーリアの拘束された手首を見つめ、ゆっくりと台の上を降りた。
「楽しいこと、ですか。無関係の者を巻き込んでいる今が?クソガキも大概になさらないと痛い目に遭いますよ」
「そんなの上等じゃん」
スクロルはニヤつきながらレーリアを拘束している手を緩めることなく、もう片方の手のひらの上に氷魔法を発現させる。
青いモヤが一瞬で謁見の間に充満し、極寒となり、レーリアを含んだ人間達は体を縮こませた。
対して魔族は、ぴんぴんしていて。
氷魔法の主であるスクロルは氷で狼を作り出す。狼は牙を剥き出しにしてジルへと襲いかかった。
腕を噛み付かれ、そこからジルの体はパキパキと氷に覆われてゆく。
「早く何とかしないと全身氷漬けになっちゃうよー、宰相様」
「このまま氷漬けになろうかと思います。貴方の思い通りになるのは癪なので」
「なにそれ!全然歯応えないじゃん!この子がどうなってもいいの?攻撃からは守ってるみたいだけど、傷つけるだけなら他にやりようはあるんだからさ」
スクロルはレーリアの手首を掴んだまま彼女を前へ突き出す。へたり込んで寒さに震える彼女はジルを見上げて視線を合わせた。
赤黒い瞳が剣呑に鈍く光っている。ざわざわと魔力が漏れ出て今にも爆発してしまいそうだった。
レーリアは彼を見つめ続けた。
その怒りから目を逸らしてはいけない。自分が無力なせいで、こんなことになったのだから。
するとジルは、そっと怒りを収め、ふわりと笑ってくれる。
その表情があまりにも甘やかだったから、どうしようもないくらい泣きたくなった。
(どうして、そこまで優しくしてくれるの…私なんかに…)
猛毒の花嫁という立場があったとしても、貴方が惹かれた赤髪を隠して無断で城へ入り、こんなことに巻き込まれているのに。
面倒しか、かけていないのに、なんでーー
「ジ…」
「ちょっと、何2人の世界に入っちゃってんの。状況を忘れてない?」
レーリアはハッとして彼から視線を逸らす。
寒さを忘れるくらいにはジルに集中しすぎていて、羞恥心がジワジワと広がった。
無言のやりとりを阻んだスクロルはゲンナリとした顔をしており、ジルはスクロルの態度に動じずキラキラとした笑顔をしている、眩しく感じるくらいにキラキラと。
「そういう貴方こそ無粋ですね。私達の良い障害になったあとは空気を読み、出て行くぐらいはしていただきませんと」
「は?」
「ああ、出ていく前にお嬢さんの変身魔法は解いてくださいね。あと魔王様とお馬鹿な人間達は共に城の外へ連れて行ってください。それと"リスラビット"の怒りを鎮め、催し事の計画書を今日中に提出していただけると非常に助かります」
「なんか注文多くない?」
「ここは余の城だぞ?ジルよ」
玉座で楽しそうに観戦していた魔王様までもツッコミを入れる。
そのせいか緊張感が無くなり、スクロルは長いため息をこぼして魔法を解除。暖かな空気が流れ込んできた。
「気が削がれたよ、全くもう。まさか宰相様が、こっちが馬鹿馬鹿しく感じるくらい色ボケになってるなんてね」
「良い障害になれただけでも光栄に思いなさい」
「まだ言う?もうお腹いっぱいだって」
スクロルはレーリアの手首をパッと離す。
レーリアはふらふらと立ち上がり、ジルの元へと駆け出した。しかし長く寒さに耐えていたせいか、足がもつれて転びそうになった。
受け止めてくれたのはジル。
彼の腕の中でレーリアの変身魔法は解かれてゆく。鮮やかな赤がサラサラと自分の頬に掠めた。
「ごめんなさい、ジル。私が勝手に城に入ったせいで」
「貴方は悪くないです。スクロルに振り回されて大変な思いをされたのは他でもない貴方なのですから。懲らしめてやりますのでここに居てくださいね?」
ぎゅうっ、と片手で強く抱きしめられる。
距離が近すぎるのが何故かとても気になって、その胸を押し返そうとしたけれど、
「"ここに"居てください」
有無を言わせない迫力があり、レーリアはコクコクと頷く。
穏やかに懲らしめてやるなど不穏な発言をした彼は、城から出て行こうとするスクロルに「待ちなさい」と声をかけた。
「なに?計画書のことなら期日がまだあるでしょ」
「いえね、貴方の楽しいことに貢献して差し上げようかと。きっと退屈はしないはずです」
不自然な慈愛を滲ませて、ジルは「ララ」とレーリア付きのメイドの名前を呼んだ。
すると、ひょこっとララが闇の深いところから現れる。いつの間にそこにいたのだろう。
「ララ、よかった。魔王城に着いていたのね」
「わたしも心配してたんですっ、よかったぁ…」
ララはレーリアにニコッと明るく笑ったあと、ムッとスクロルを睨んだ。
対してスクロルはつまらなそうに頭の後ろで腕を組んでジルを見る。
「まさかララと戦わせるつもり?ララじゃ物足りないって」
ジルは何も答えなかった。
その代わりにララの魔法が発動する。
謁見の間に草木を出現させ、スクロルを捕らえた。木の幹が意思を持つかのように体に巻き付くが、スクロルに焦りはない。
「こんなの、いくらでも壊せるし」
強がりとかではなく本当にそうなのだろうとレーリアは思う。この拘束にはどんな意味があるのだろうかと。
(…? 甘い匂い…?)
フルーティな甘い香りが微かに漂う。匂いの元はララが出した木から発せられており、よく見れば小さな一口サイズの果物が実っていた。
「ジル、この木は…」
「サクランと呼ばれる果物の木です。スティンツ島と、この魔王城周辺だけに生息する価値の高い果物なんですよ。収穫できる時期は非常に短く、そのくせ一部の魔物の大好物でして。その匂いを纏うだけでも魔物を狂わせ惹きつける」
(それって…)
レーリアはまさかとスクロルを見やる。
スクロルも思い至ったらしく青い顔で巻き付く木を破壊し拘束は解いたが、もう遅い。
「同族を殺され、殺気立つリスラビットを鎮めるためにも、私の手間を省く為にも、よろしくお願いしますね?スクロル。貴方の退屈も紛れることでしょう」
ふふ…と凶悪に笑うジルにスクロルは「退屈してた方がマシじゃんか…」と涙声で訴えたが転移魔法で放出されたリスラビットの大群の餌食と化した。ぎゃー!と悲惨な声が響く。
リスラビットは魔王城に着くまでに襲ってきた小動物みたいな魔物と同じ見た目をしていた。やたら殺気立っていたのはそのせいだったのかとレーリアは1人納得する。
ジルは「命までは取られないようにしておきます」などと物騒なことを口にしたあと、随分と大人しくなった大陸の人間達の方を向いた。
彼らは化け物でも見たかのように甲高い悲鳴を上げる。次は自分達の番なのだと尋常じゃないくらい怯え、そして、
「もういい!記憶を消していいから、早く!大陸に帰らせてくれ!」
これまでの主張を覆し、懇願するのであった。




