2–4 霧の中の城は
冷たい風に晒され、安定感のない飛行に恐怖しながらも耐え抜いたレーリアは、スクロルによって木々が生い茂る森の中で降ろされた。
「とーちゃーく。楽しかったね?」
「……」
飛んでいたのは数十分程度だったが、久しぶりに足が地についた心地だ。まだ浮遊感が残っている。
レーリアはふらつきながらも地面の感触に意識を向けた。
「…っ…」
頭がズキズキと痛む。
膝をつきそうになったけれどジルがくれたドレスを汚してしまうのは避けたい。
近くの木の幹に背中を預ければ土や草の匂い、水のせせらぎを感じ、強張っていた体から力が抜けてゆく。
自分の意思で動かせる有り難みが身に染みた。
レーリアは空を見上げてみる。
その美しい青空に、追いかけてくれていたララの姿はまだ確認できない。
(迷っていないといいけれど)
また面倒をかけてしまった。彼女にはお世話になりっぱなしだ。
「…? あれは…」
土地の奥に、うっすらと巨大な城が建っているのにレーリアは気づく。
目を凝らしてみても、はっきり見えないのは霧に覆われているせいだ。その全容を把握するには、もっと近づかなければ難しく、スティンツ島ではないことが伺える。
「ここはどこなの」
「あれ?飛んでるとき見てなかった?勿体無いし、もう一度飛ぼうか?」
「と、飛ぶのはもう大丈夫よ…地名を教えてほしいの」
怖がるレーリアに気付かず軽い調子で提案してくるスクロル。狼の耳がぴくぴくと動いている。
攻撃してきたときと同様にレーリアがどう思うのか、あまり気にしていない様子だ。
それを正そうとは思わないが、わざわざ恐怖体験をするつもりがないレーリアはさり気なくスクロルから距離を取る。また有無をいわさず振り回されないように。
「地名っていわれてもね。…この島、名前はないんだよ。魔王城って言えば伝わる?」
「魔王城…」
その名で思い浮かんだのは魔王様、そして宰相のジルだ。
「あのお城のことよね。もしかして魔王様とジルがいるの?」
「いるよー。魔王城は島の人間が唯一、魔族と対等に会話できる場所なんだよね。多分、今日も謁見の間で入城の許可をした人間から相談とか報告とか受けてるんじゃないかな?」
「対等に?"特別な魔族"と人間が?」
「特別だからこそ、らしいよ。催し事も定期的に開催されるしね。めんどーだよ、ほんと」
スクロルの口振りから魔族は催し事の主催者側なのだろう。以前、魔族の特別は神秘性を前面に出したと言っていたが、交流もその一環なのかもしれない。
それらが上手く機能し、スティンツ島の平和は成り立っているんだ。
そんな島を運営する上で欠かせない魔王城にわざわざレーリアを連れてきたということは…
「教材って、まさか…」
「そう。百聞は一見にしかず…っていうでしょ?見学すればいいよ」
「許可がいるって、さっき言っていなかった?」
魔族のスクロルと、人間のレーリアでは立場が違う。ジルの(猛毒の)花嫁だからと優遇されるわけがない。
レーリアが気後れするのは当然だが、スクロルは気づかない。フサフサな尻尾を横に揺らし「そんなのバレなきゃよくない?」などと言う。
どこまでも軽い。
レーリアとて、かなり興味があるし、本音を言えば、ぜひ見学させてもらいたいが…
(……ルールなら守らなくちゃいけないわ)
丁重にお断りしてスティンツ島に戻してもらおうとレーリアが口を開いたとき、不快な羽音を鳴らす何かが木々の合間を縫って出現する。
全長50センチはあるであろう大きい蜂のような、魔物だーー
「っ!」
後ずさったレーリアの背中には木の幹が当たる。
彼女を獲物と認識した魔物は羽音を大きく鳴らして突進してきた。
そのまま攻撃されてしまえば、ただでは済まなかったけれど、スクロルが横から魔物を捕まえてくれたおかげで不発に終わる。
彼の指は肉付きを確かめるようにグニグニと魔物を握り込んだ。
「うーん、ちょうど腹が減ってたし。こいつでいいか」
「え?」
ガブリと。鋭い牙が魔物の胴体を抉った。
紫の血液が飛び散り、レーリアの頬に付着する。
大きく口を開いて食べ進めるスクロルだが、あまり興味が無さそう。
きっと美味しくはないのだろう。時々、眉間に皺を寄せて顔を顰めたりしてるから。
『最近の若者はーー』と嘆いていたジルをふと思い出した。
なるほど、確かにスクロルから食を楽しむ様子は感じられない。同じ魔族であってもジルの価値観とは正反対だ。
そうして最後の一口を咀嚼したスクロルは何の余韻もないまま「行くよ」とレーリアを担いだ。
「!?」
「思う存分、勉強しなよ。俺は俺で好きにやらせてもらうからさ」
「待って…私は…っ」
ジタバタともがいても、何の効果も発揮せず。またしてもレーリアはスクロルに自由を奪われ、連行されてしまうのであった。
***
霧でハッキリ見えていなかったお城の入り口まで辿り着いた。
辿り着くまでに色々な魔物と遭遇し、襲われることもあったが、その全てをスクロルは容易く倒して食事にしている。ヘドロのような見た目でも。食べるにはウロコの硬さで難儀する小竜でも。バリバリムシャムシャと拘りがない。
ただ、やたらと殺気立つリスのような魔物の大群だけは「めんどー」と愚痴り逃げていたが。
最初に飛行して来たとき、お城へ直行せず森で降りた理由はもしかしてお腹を満たす為だったのだろうか。最早そうとしか考えられない。
お城の外観は灰色に近い黒の色合いが特徴的だった。霧の中に聳え立ち、少々不気味な雰囲気を醸し出している。
中へ入ってゆき、エントランスホールに出れば、壁に照明の炎がいくつも灯っていて、まるで手招きするようにユラユラと揺れている。
そこを奥まで進んで突き当たり。
10人ほどの老若男女の人間達が数十メートルはある重厚で巨大な扉の前で待っていた。皆、緊張しているのか顔が強張っている。
(報告をしにきた島民の方かしら…それにしては着ている服が…)
ボロ雑巾のような服を着るスティンツ島の人間など、これまで見たことがない。
「おっと、このままじゃ宰相殿にバレちゃうね。とくに君の赤髪、目立つし」
スクロルは何気なく彼らに加わり、レーリアを降ろすと、指先を軽く動かして彼女の姿を変化させる。
レーリアの目からはどういう姿なのか確認できないが、髪が茶色に染まったこと、ボロ雑巾のような服になったのは目視できた。
待っている人間達に自然と溶け込むような見た目だ。
ちなみにスクロルも一瞬で無骨で真面目そうな男性に変わっている。
(変身魔法…魔族にとっては難しい魔法ではないものね)
今更驚きはなかった。
だが、ここまでされたら引き返そうという気は失せ、
ちゃんと拒否しきれなかった自分の無力さを噛み締めつつ、レーリアは重々しく開いた扉の先を眺める。
(ここが謁見の間)
全体は黒と紫が混じった毒毒しくも厳粛とした色使いだった。ブランケットランプの形をした照明の炎は廊下のものと変わらず灯っている。
床の面積の大部分にレッドカーペットが敷かれ、奥の台座まで続き、その頂点には玉座。魔王が腰掛けており、照明の炎が膨らむと傍らに立つジルの姿も見えた。
照らされた赤黒い瞳が鮮明に映る。
何もかも見透かされてしまいそうな妖しくも恐ろしい、その瞳は、どこか冷めていてーー姿を変えた彼女を捕えることなく、当たり障りない笑みを浮かべている。
(ジルには私だって気づかれたくない…)
赤を好む吸血鬼。今の自分は彼にどう映るのか知るのが怖い。
勝手に城へ入ったことに関しては元に戻ったときに伝え、その後、罰を受ければいい。鞭打ちくらいなら耐えられる。
(今は目立たないように振る舞わなくては…)
レーリアは茶色へと変化した"普通"の髪を握り、人間の皆に合わせるように首を垂れた。




