第4話:異世界ITと、自律型探査オブジェクトのビルド
「傍証が集まってきた。今のところ、『物理演算』について、仮説から大きく外れているところはない…」
拠点の頑丈な木の下。俺――元工学部の大学生であり、神の端末『ジェイ・ロン』となった黒木勉は、淹れたてのハーブティーをすすりながら、脳内のメインコンソール(ローカルモニター)に映し出される高解像度のストリーミング映像を眺めていた。
あの怪魚との遭遇から、早いもので数ヶ月が経過していた。
この数ヶ月間、俺の工学部生としてのリソースは、すべて「引きこもり環境の自動化」と「非対面型フィールドワークシステムの構築」へと注ぎ込まれていた。
当初は自分用の『魔素係数計測ゴーグル』を作って森を歩くことも考えたが、即座に脳内のデバッガーが却下した。
未知の魔物がウロウロしている危険な原生林に、生身で出歩くなんて正気の沙汰じゃない。安全第一、完全在宅ワークこそがエンジニアの基本だ。
だが、初期型の『愚者の眼』が拾ってくる遠隔ログだけでは、魔素の解像度が低すぎて物理エンジンの核心に迫れないという技術的限界があった。
そこで俺が、試行錯誤しながら約一ヶ月の歳月を費やして開発したのが、自律型探査オブジェクト――通称『デバッグ・ドローン(多脚型スパイダーロボ)』である。
もちろん、『凡者の小道具』の仕様上、一つのロボットに「移動」「索敵」「データ解析」などの機能を詰め込むと、強烈な密結合のエラーを起こして俺の脳が焼き切れる。
だから俺は、ハードウェアとソフトウェアの依存関係を徹底的に切り離し、疎結合のマイクロサービスアーキテクチャを適用した。
・サービス1:八肢の歩行制御と姿勢維持(駆動系)
・サービス2:大気中の魔素を吸引して自己発電する(電源系)
・サービス3:開発中だったゴーグルのロジックを流用した『魔素係数・魔力場リアルタイム計測モジュール』(センサー系)
これらを独立したクラスとして実体化させ、オブジェクト指向的に組み合わせることで、脳への負荷を完全にゼロに抑えたまま、高性能な自律型ロボットを完成させたのだ。
今、俺は拠点のセーフティエリアから、このドローンの視覚に意識を「ダイレクトアクセス(感覚同期)」させ、安全な引きこもりリモートワークでのフィールドワークを行っていた。
ドローンが草むらを掻き分けて進む。ゴーグルのパーツを流用したセンサーモジュールは、周囲の魔素係数の歪みや、生物が展開する『魔力場』の優先度を、視覚的なカラーバーとしてリアルタイムにオーバーレイ表示してくれていた。
画面の向こうで、ドローンが『剛腕のイノシシ(仮称)』の突進を捉える。
センサーの数値が爆発的に跳ね上がった。突進の直前、イノシシは「俺の突進はすべてを粉砕する」という強烈な主観を展開し、自らの『仮想質量』を一時的に数十倍に跳ね上げている。激突の瞬間には「俺の身体は岩より頑丈だ」と思い込むことで、反作用の自傷ダメージを完全に無効化(ゼロ除算)していた。
別の魔物と衝突した瞬間、システム上での「魔力場の所有権の競合」が発生する。勝敗を決めるのは、どれだけ己の妄想を疑わずに世界へ押し付けられるかという『主観の出力の高さ』だ。負けた側は、相手の物理ルールに強制同期させられ、あっけなく握りつぶされる。
「2Dゲームのバグった当たり判定だな。客観的な質量や防御力を完全に無視して、声がデカくて自分の都合の良い妄想を完璧に信じ込める奴が物理的に最強になるシステム……知れば知るほどエンジニアが都合よく弄れるクソ仕様だ」
ラノベの主人公や狂暴な魔物が異常に強い理由はこれだ。逆に、「こんな細い剣で受け止めたら折れる」などと客観的に考えてしまう理屈っぽい人間は、領域の出力が弱まり、システムに見捨てられて死ぬ。俺みたいに理詰めで考えるタイプは、この世界の仕様と相性が最悪だが、こうして安全圏から他人のソースコードを無断でレビューするようなデバッグ作業は、最高にスリリングで面白い。
ドローンをさらに森の奥へと自律巡回させていた、その時だった。
ピピピッ。
脳内のコンソールが、突如として甲高いアラート音を鳴らした。
【警告:周囲の魔力場に深刻な『例外処理』を検知。空間の物理定数が著しく崩壊しています】
「……あ?」
俺は思考の共有リンクを通じて、ドローンの足を止めさせた。
ドローンのカメラが捉えたツタの向こう側。そこには、周囲の鬱蒼とした緑とは明らかに断絶した、不自然な「空間の裂け目」があった。巨大な岩肌にぽっかりと開いた、地下へと続く漆黒の空洞。
だが、おかしいのはその外見ではない。ドローンの視覚センサーが弾き出している「異常なデータ」だ。
その空洞の周囲だけ、本来なら均一に行き渡っているはずの魔素のラインが、巨大なブラックホールに吸い込まれるように激しくねじ曲がり、内部へと収束していた。
さらに異常なのは、その奥から溢れ出てくる「主観の密度」だ。
生物の個体が放つ一時的な魔力場ではない。まるで、数千年もの間蓄積された強烈な『誰かの妄想の塊』が、そこにある物理法則そのものを永久に書き換え、固定化してしまっているような――。
「世界のシステム(サーバー)に、恒常的なバグが定着して、完全に隔離されたプライベート空間……。これ、ファンタジーで言うところの、『ダンジョン』の入り口か?」
偶然リモートで見つけてしまった、世界の特異点。
その奥から漂ってくるのは、数ヶ月間過ごした安全な森とは一線を画す、濃密で冷徹な、異世界の『バグ』の気配だった。
画面を見つめる俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
普通の人間なら恐れをなして逃げ出すか、一獲千金を狙って飛び込む場面だろう。だが、俺の脳内にある『賢者の石:レベル2』は、目の前の異常なデータ構造を解析したくて、狂ったように演算スピードを上げていた。
「……見過ごすには、あまりにも魅力的なクソコード(バグ)だな」
中二病の最強主人公『ジェイ・ロン』として無双する気はさらさらない。だが、この世界の物理エンジンが「恒常的なエラー」を起こしている現場を前にして、プログラマーとしての知的好奇心を抑え込むのは至難の業だった。
一歩踏み外せば、そこは「世界の常識」が通用しない即死級のワンダーランド。
デバッガーとしての理性は「危険だ、引き返せ」と警告を出している。しかし、工学部生としての本能が、「この未定義オブジェクトのナマの挙動を見てみたい」と囁きかけてくる。
感覚を同期させているせいで、まるで自分がその場に立っているかのような錯覚に陥っていた。
気がつけば俺は、画面の前で中二病全開のペルソナに引っ張られるように、口元に不敵な笑みを浮かべていた。
知的好奇心が恐怖を上回り、無意識に手元の操作インターフェース(コントロールコマンド)を叩く。ドローンの一歩が、前へと動く。
俺(の操作するドローン)は、異常なエラーデータを吐き出し続ける漆黒の深淵へと、ゆっくりとマニピュレーターを伸ばし、ツタに手をかけ――
「……さあ、深淵のデバッグを始めようか」
――なんて、強者のように画面の前で呟いて、そのまま足を踏み入れ……




