第5話:リモート・ダッシュボードと街のバグ経済
…るわけないだろ!
俺はツタに手をかけたドローンのマニピュレーターを、もの凄い勢いで引き剥がし、猛烈なバックステップ(命令)をした。
危ない。本当に危なかった。中二病全開の最強主人公『ジェイ・ロン』のペルソナに引っ張られて、あやうくエンジニアとしての最大の禁忌を犯すところだった。
未知の例外エラーを吐き出し、空間の物理定数が完全にクラッシュしている漆黒の空洞――ダンジョン。そんな仕様書もソースコードもない、前任者が残した謎の魔改造レガシーシステム(本番環境)の中に、十分なローカルテストもせず、生身の感覚を同期させたドローンをいきなり突入させるなんて正気の沙汰じゃない。
大学のプログラミング演習で、ろくに検証もせず「いけるっしょ」と本番のデータベースを叩いてシステムを吹っ飛ばし、先輩たちにキレられながら泣きながら徹夜でサーバーを復旧させたあのトラウマが、脳裏をよぎって背筋が凍った。
「こういう時は、パッシブなリモートアクセスに限る。安全第一、完全在宅ワークこそが至高だ」
俺はドローンをダンジョンの内部には一歩も入れず、外の正常空間と内の崩壊空間が交わる「境界線のエッジ」に待機させた。いわば、エッジサーバーとしての配置だ。中に入れずとも、入り口でホールドさせておくだけで、内部から漏れ出してくるパケット(魔素)のエラーログは十分にキャプチャできる。
だが、現状の遠隔観察だけでは、パケットに関する理解が不足していて、ダンジョンから溢れ出る濃密なデータのストリーム(濁流)の解像度を上げられない。
「観測情報のサンプリング数を最大化(フルログ取得)する。そのためには、インプットの拡張が必要だな」
まあ、慌てることはない。まずは多角視点から情報を分析しよう。
俺は安全な拠点の木の下にどっかりと腰掛け、脳内の統合開発環境(IDE)を開いた。出力を司る『凡者の小道具』のインスタンス枠を使い、新しい観測用補助パーツの設計を開始する。
設計をサボれば脳が焼き切れるようなエラー(劇痛)が走るこの能力。俺は慎重に、オブジェクト指向的なカプセル化を施していった。
[仕様定義:多重化データバス・リング]
・形状:ドローンの頭部や周囲に展開する、リング型の透明な魔力ケーブル。
・機能:『愚者の眼(不可視カメラ)』を最大10機まで同時接続(マルチスレッド通信)するルーター機能。
・ロジック:各カメラから送られる魔素係数の動的サンプリングデータを衝突なく束ね、『賢者の石』へ転送する。
依存関係を整理し、静的解析でのコンパイルエラーをすべて潰す。入念に時間をかけ、設計図を確定させた。
「ビルド実行」
脳内でエンターキーを叩くと、脳への負荷は完全にゼロのまま、リング型の透明ケーブルが実体化した。さらに『愚者の眼』を数機追加でビルドし、リングに連携させると、ダンジョンの入り口にいるドローンのところまでリングを飛ばした。
現地にある愚者の眼もまとめて連携して、周辺の魔重力場が歪んでいるエッジへと網の目のように配置していく。
よし、接続確認。ストリーミング映像もデータログも、恐ろしいほどの解像度で拠点のメインコンソール(脳内モニター)に流れ込み始めた。
「素晴らしい。完璧な多点観測網だ」
俺は干し肉を齧りながら、淹れたてのハーブティーをすすり、安全圏から滝のように流れるログを眺めた。
周辺に限定的な影響しか与えてないにも関わらず魔素係数は通常空間の4.2倍。ダンジョン内部ではこの係数がどう影響してるのか、興味は尽きない…。
魔素変動の揺れから波長分析すると、内部の魔素密度は20,000~60,000、中央値は35,000程度か。
画面に並ぶ無数の数値を眺めていた俺は、ふと、ある致命的な開発プロセスの不備に気づき、動きを止めた。
「――対照群が足りない」
思考エンジン『賢者の石:レベル2』が、俺の思考に冷徹な警告を出す。
現在、俺が持っているデータは「この未開の森」と「この名もなきバグダンジョン」の2箇所だけだ。科学的な検証において、比較対象となる「基準(標準環境)」がないデータは、どれだけ集めてもただの局所的な偏りに過ぎない。
この世界の『魔素係数』の仕様を完全に解き明かすには、もっと別の環境……例えば、この世界の「標準的な人間」が多数生活し、主観を共有し合っているコミュニティのデータが必要不可欠だ。
「よし、拠点に引きこもったまま、広域索敵アルゴリズムを走らせるか。人里に出て目立つ真似をする気は毛頭ないが、隠密リモート観測なら話は別だ」
俺は、先ほどビルドしたリング型ケーブルをベースとして機能拡張を設計した後新たなインスタンスをビルドした。
新たに観察用の愚者の眼を実体化し、大きいオブジェクトを上空から自律的に探索させた。
リングと眼は渦巻き状に探索を行い、何か見つかったら連絡が来る。その間は、ダンジョン入り口の観測を続けよう。
発見までの期間は、思ったより長かった。時折視覚を同期させても、あまり代わり映えのしない自然の景色が広がっているだけであった。
数週間後、ようやく探索の報告が返ってきた。
【検知:現在地から西北西へ約1200キロメートル。高密度な生体反応、および建造物群を確認。――『人間が集団で暮らす街』と識別します】
「1200キロ先…日本の本土の端と端か。思ったよりとんでもない秘境に引きこもっていたらしい」
『愚者の眼』の広域パケットが拾ってきた街の遠景映像が、脳内モニターにレンダリングされる。
高い石造りの防壁に囲まれた、中世ヨーロッパ風の活気ある都市。大勢の人間が往来し、そこからは薄く均一な、安定した魔力の膜――いわば「社会的な主観の同期場」が観測できた。
「なるほど……!」
俺は流れるログを解析し、思わず膝を打った。
大勢の人間が「剣を振ればこれくらい重い」「石を落とせばこの速度で落ちる」と同じ常識を共有している空間では、物理エンジンが平準化され、地球の常識に極めて近い数値を示しているのだ。
これは一種の「分散型データベースにおけるコンセンサスアルゴリズム(多数決)」であり、個人の突飛な主観を周囲の常識が自動修復する「セルフヒーリング(自己修復機能)」のシステムと言えた。実に美しい対照群だ。
さらに、索敵を続けていたドローンのセンサーが、別の異常値を捉えた。
【警告:当該都市の北方約15キロメートルの山岳地帯に、魔重力場のねじれを検知。――空間エラー(ダンジョン)と識別します】
画面に、新しく見つかった「街の近くのダンジョン」と、俺の目の前にある「我が家の隣のダンジョン」の解析データ(グラフ)を並べ、比較(diff)を実行する。
コンソールに表示された圧倒的な「差」に、俺は思わず目を見張った。
街の近くにある山岳のダンジョンは、空間エラーのねじれや魔素密度の偏りが非常にマイルドである。周辺の魔素係数1.014近辺。いわば、「仕様のブレ」程度に収まっている。
その波長から予想される内部仮想魔素密度は、100…??
それに対して、我が家のすぐ近くにある漆黒の空洞のデータは――
【内部の仮想魔素密度は:35,000オーバー(街近郊ダンジョンの約350倍)。物理定数完全崩壊、未定義オブジェクト多数、ヌルポインタ常時発生】
「……おいおい。俺の拠点のすぐ隣にあるこれ、とんでもないレベルの難易度設定(超絶クソバグ領域)じゃねえか」
もしあの時、「ちょっと中を見てみるか」と軽いノリで足を踏み入れていたらどうなっていたか。想像するだけで冷や汗が背中を伝う。やはり、生身で動かないという俺のデバッガーとしての直感(臆病さ)は、完全に正しかったのだ。
「標準的な人間の街」と、その近くにある「おとなしい低難易度ダンジョン」。
そして、我が家の隣にある「世界をクラッシュさせかねない崩壊領域」。
これ以上ない、完璧な比較実験サンプルが揃った。
「よし、役者は揃ったな」
俺はゴーグルのフレームを指で押し上げ、ニヤリと笑った。
人里離れた安全な森の拠点を1ミリも動くことなく、あの街と新しいダンジョンに『リモートアクセス』し、世界の根幹をハッキングする。これほど面白い引きこもり生活の娯楽(デバッグ計画)が他にあるだろうか。
俺の脳内コンソールは、かつてない速度で次なる大規模システムのコードを書き換え始めていた。
そして、俺は死んだ…




