第3話:主観パッチと仮想質量
ここを拠点として、自動データ収集を行う「観測拠点」を構築する。
そう決意した俺――元工学部生の黒木勉、もといジェイ・ロンの最初の手続き(タスク)は、システムへの情報入力環境の構築だった。
「さて、まずは生データ(ログ)のサンプリング数を集めるために、ログ収集機能のデプロイだ」
俺は脳内の統合開発環境(IDE)を開き、自分が無意識のうちにIPO(Input、Processing、Output)の構成としていたスキルから、Inputである『愚者の眼』を意識した。
イメージを具現化すると、空間にいくつかの半透明な球体がポップアップする。実体のない、不可視の監視カメラオブジェクトだ。
「『愚者の眼』1号から3号を川の周囲に固定配置。4号を俺の頭上に追従(オブジェクト追尾モード)で設定。――観測開始」
俺の思考に従って、実体のないカメラたちが滑らかに散っていく。
これで俺の視覚だけでなく、4つの異なる座標からのマルチアングルデータが、リアルタイムで『賢者の石』へとストリーミング送信される環境が整った。
俺は検証のため、周囲の環境データを収集し、脳内のコンソールに表示されるログの並列解析を始めた。
「……なるほどな。やっぱりこの世界の物理エンジンは、俺たちの知る常識とは根本的に設計が違う」
『愚者の眼』が捉えた周囲の野生生物の動きや、風に舞う木の葉の挙動、そしてペグを投げた時のような能動的な行動の結果。それらを『賢者の石:レベル2』で超高速演算した結果、驚くべき「仕様」が浮かび上がってきた。
地球の物理学なら、運動方程式における質量や重力加速度は不変の定数だ。だが、この世界では、物質が持つ本来の質量(実質量)とは別に、周辺に存在する魔素がオブジェクトに影響を与えて、擬似的な『仮想質量』を形成している。
「ファンタジー小説でよくある『自分の体積の1万倍もあるドラゴンの突進を、戦士が剣一本で受け止める』っていうラノベ特有の矛盾。あれ、ずっと謎だったんだが……この『仮想質量』の概念を使えば完璧に説明がつくじゃないか」
脳内に流れ込んでくる数式を、俺は夢中で噛み砕いていく。
あの戦士たちは、高等な魔法理論なんて知らなくても、本能的に世界をハッキングしているのだ。
突進を受ける瞬間、戦士は「俺の構えは絶対に崩れない」と強く主観で確信(コード入力)する。するとシステム側がその主観を承認し、戦士の『仮想質量』を一瞬だけ無限大へと固定するパッチを当てる。だからドラゴンと衝突しても微動だにしない。
逆に、自分が大剣を振り回して「くっ、重い」なんて言っている時は、そのロックをあえて外して、武器本来の質量による手応えを「楽しんで」いるのだ。
「意志や本能といった『主観の出力』が、世界の物理定数をリアルタイムで上書きする修正プログラム(パッチ)として機能している。……なんてご都合主義な、そしてエンジニア泣かせのクソ仕様だ」
思わず独り言が漏れ、口元が歪む。
大学のプログラミング課題で、バグだらけのスパゲティコードを解きほぐし、美しい仕様書へと書き換えていく時の、あのゾクゾクするような快感が脳を支配していた。
誰もいない森の奥。
世界を5回滅ぼせるリソースを持った神の端末(20歳・元工学部生)が、落ちている木の枝をペンの代わりに、地面の土へびっしりと地球の物理記号と異世界の魔力ラインが融合した数式を書き殴っていく。
「……。……あ」
数分後、ふと我に返った。
急激に訪れる、強烈な賢者タイム。
「何やってんだ、俺は……」
異世界に転生して、国家を転覆させられるような最強のチート能力を貰って、最初に熱中しているのが「一人で誰も読まない世界の不具合解析(デバッグ論文)の執筆」。
「中二病設定のジェイ・ロンとして無双するのも死ぬほど恥ずかしいが、誰も見ていないところで一人マニアックな研究に没頭している現状も、客観的に見て大概痛くて恥ずかしい気がしてきたぞ……!」
俺は顔を真っ赤にしながら、地面の数式を靴の裏で激しく擦って消した。消滅しろ、俺の知的黒歴史。
しかし、恥ずかしさに悶絶しつつも、胸の昂りは消えなかった。
トラブルに巻き込まれるリスクを冒してまで人里に出て、ギルドで「俺、また何かやっちゃいました?」とイキる気は微塵もない。そんな目立つ真似は御免だ。
だが、この世界の『仕様』を安全な場所から解き明かしていくデバッグ作業は、退屈な引きこもり生活の、最高のエンターテインメントになりそうだった。
「よし。次は、環境の魔素係数の歪みや、生物が展開する魔力場をリアルタイムで視覚化する小道具……『魔素係数計測機能付き・万能ゴーグル』でもビルドするか」
俺はパンパンと手を叩いて恥ずかしさを強制終了させると、次なるOutput(オブジェクト生成)の仕様定義のため、再び脳内のコンソールを開いた。




