第2話:魔素係数仮説(まだ怪しげ…)
異世界に転移(転生?)して二日目。
俺――元は工学部の大学生であり、今は神の端末『ジェイ・ロン』となってしまった黒木 勉は、自らの魂に組み込まれた3つのスキルを活用して、当面の生存基盤を整えることにした。
まずは食料の確保だ。今朝改めて動かした川辺の全自動罠は、奇妙な角付きの怪魚を釣り上げている
これを安全に、かつ美味しく食べたい。
「……よし。まずは、まともな調理環境をビルドするか」
俺の持つ『凡者の小道具』の仕様は完全に把握しているし、実践も経験済みだ。
初めて作るオブジェクトであっても、脳内の統合開発環境(IDE)でじっくりと時間をかけて設計し、コンパイルエラーを事前にすべて潰しておけば、脳への強烈な負荷や苦痛は一切発生しない。サボらずに仕様を固めることこそが、この世界の正しい開発手法だ。
そして、設計したクラスは使いまわしできるから、使えば使うほど高機能なものが負荷なく実体化できるはず。
俺は頭を切り替え、作成したい調理器具の仕様書を厳密に組み立てていった。
ただし、一つの道具に「火起こし」「自動回転」「燃料補給」といった複数の機能を無理に詰め込む(密結合にする)と、システムがバグを起こして脳が焼き切れそうな負荷がかかる予感というか確信的な警告が発せられる。
だから、複数のオブジェクトともに設計した単一のシンプルな機能を持つマイクロサービスを複数定義し、それらを並列で走らせる形にした。
マイクロサービスa:常に一定の熱量を放射する火種。
マイクロサービスb:遠赤外線を放射して中まで熱を通す反射板。
マイクロサービスc:一定の速度で自動回転する焼き串。
マイクロサービスd:落ち葉や小枝を自動で集めて燃料を補給する伸縮式マニピュレーター。
よし、それぞれの依存関係の整理と、静的解析でのエラーチェックは完璧だ。
「クラスの設計完了。――『ビルド』」
脳内でエンターキーを叩く。
次の瞬間、狙い通り脳への負荷や苦痛は完全にゼロのまま、俺の目の前の地面に、完璧に連動して動く『全自動・火起こし&均一串焼き機』が綺麗に実体化した。
とはいえ、集めてきた火の燃料は火種に吸い込まれていく感じで、それにより火の強さが大きくなったりしない。一瞬、その現象を考察しようとしたが、頭を振って深く考えるのを放棄する。
「うん、素晴らしい。やっぱり設計をサボらなければノーコストだ。一度作ったオブジェクトはクラスとして保存されるから、次からは設計時間をかけずに一瞬で量産できるな」
とりあえず、当初の目的達成に満足しさっそく怪魚の身をセットすると、自動で串がゆっくりと回転し始めた。ジリジリと良い音を立てて、魚の脂が炭に落ちる。香ばしい匂いが森に漂った。
切り分けた白身を口に運ぶと、素材の旨味が爆発した。
「美味い……。これなら飢え死にする心配はないな」
食事がひと段落したところで、俺は本題に入ることにした。
この世界の「理(物理エンジン)」の解析だ。
俺はストレージから、昨日ビルドした『鉄製のペグ』を取り出した。そして、足元から適当な小石を拾い上げる。
「物理法則の挙動確認を始めるか」
まずは、小石を前方の木に向かって軽く放り投げてみる。
小石は放物線を描き、ごく自然に地面へと落ちた。自由落下運動。ここまでは俺の知る地球の物理法則と変わらない。
次に、俺は『鉄製のペグ』を同じように投げてみた。
ペグは放物線を描き、小石と同じようにごく自然に地面へと落ちた。
「ん?」
自分の立てた仮説は間違っていたのか?
もっと、物理法則を無視して遠くまで飛んだりするかなと思ったのだが…。
そう思いながら、ペグを拾って、もう一度同じように投げてみた。
すると、ペグは小石よりも明らかに重いはずなのに、まるで空気抵抗を無視したかのように、不自然なほどまっすぐ、鋭く飛んで木に突き刺さった。
「……どういうことだ??」
質量、初速、空気抵抗。どれを計算に当てはめても、このペグの軌道は「歪んで」いる。昨日の怪魚を掴んだ時の不自然な軽さといい、この世界の物理エンジンは何かがおかしい。
俺は『賢者の石』のデバッガを起動し、ペグを投げた瞬間の環境ログを出力させた。脳内に展開されるのは、世界の基本コードの断片だ。
「地球の物理学なら、運動方程式における質量や重力加速度は不変の定数だ。だが……このログを見る限り、動的に変動する『未知の媒介変数』が数式に割り込んでいるな。質量とは別の、オブジェクトが持つ未知の属性……魔素?」
この、世界の法則をファンタジーに変えている媒介変数。
俺は地面の土を指でいじりながら、ポツリと呟いた。
「魔素の影響を係数として、異世界らしく『魔素係数』と定義しよう」
その瞬間、脳内に冷徹で、妙に響き渡るアナウンスが鳴り響いた。
『――世界因子の解析:仮説「魔素係数」を承認。システムメッセージ:『賢者の石』の稼働レベルを『1』から『2』へ引き上げます。これより「魔素」の観測が可能になります――』
「ぶっ……!?」
俺は思わずむせた。
脳内アナウンスの、そのあまりにもライトノベル然とした、中二病全開のネーミングセンスと仰々しいナレーションに背筋が猛烈にむず痒くなる。
「いや、ちょっと待て! ログ出力はもっと静かにやれ! いちいちシステムボイスが壮大すぎて恥ずかしいんだよ! 誰が聞いてるわけでもないのに精神的ダメージがすごいわ! ジェイ・ロンっていう名前にされてるだけでも気まずいのに!」
頭を抱えて地面をゴロゴロと転がる。誰もいない森の真ん中で、一人で痛い設定を突きつけられているような羞恥心が俺を襲った。
だが、悶絶し終えて起き上がった俺の脳内は、『賢者の石:レベル2』にブーストされたことで、クリアな冷却水で満たされるように冷徹に冴え渡っていた。
「……はぁ。まあいい、仕様なら受け入れる。つまり、『魔素係数』という変数が、オブジェクトの周りの物理法則を局所的に書き換える(パッチを当てる)役割をしている、という仮説に基づいて検証をすすめてみよう」
もしこの仮説が確かなら、いろいろと面白いことが可能になる現象だ。
しかし、今の小石とペグの実験だけでは、あまりにもサンプル(ログ)が足りない。魔素係数がどのようなルールで変動しているのか、その全容を掴むには圧倒的にデータ不足だった。
「本格的な解析を進めるには、この世界の『生のログ』を大量に集める必要があるな。……よし」
俺は立ち上がり、周囲の鬱蒼とした森を見回した。
最強の能力を持っているとはいえ、目立ってトラブルに巻き込まれるのは御免だし、危険な魔境を泥臭く歩き回るサバイバルも嫌だ。人知れずこっそり暮らしたい。
「まずは、この拠点を完全にセーフティエリア化する。自動で周囲のデータを収集し続ける観測拠点に変造してやる」
そのためには、長期間の引きこもり環境の構築が必要だ。外敵を寄せ付けない強固なセキュリティ(結界回路)の設計、そして、魔素の動きを正確にトラッキングするためのデバッグ用ゴーグルの開発。
「やるべきタスクが山積みだな。……ワクワクしてきた」
大学のプログラミング課題で、バグだらけのコードを解きほぐしていく時の、あのゾクゾクするような知的好奇心が脳を支配していた。これは自分の平穏なニート生活と、この世界の真理を解き明かすための、俺だけの開発プロジェクトだ。
俺はさっそく、引きこもり環境のグランドデザインを描くため、脳内のエディタを開いた。




