第1話:神の端末と、消えない黒歴史
「――うわぁぁぁぁぁぁっ!!! 恥ずかしい! 恥ずかしすぎる、死ぬ、いやもう一回死なせてくれ!!」
見渡す限りの緑。人里離れた深い森の真ん中で、俺――黒木 勉(くろき つとむ、20歳、工学部大学生)は、自分の頭を抱えて地面を猛烈に転げ回っていた。
いや、正確には「黒木 勉」だったもの、と言うべきか。
ふと気づけば、俺は見知らぬ大自然の中に放り出されていた。
だが、衣服はなぜか見覚えのない肌触りの良いローブに変わっており、財布も、愛用のスマートフォンも、大学のレポート提出が迫ったノートPCも何一つ持っていない。完全なる手ぶらだ。
普通なら「ここはどこだ」「どうしてスマホがないんだ」とパニックになるところだが、工学部生としての論理的思考回路が、それよりも先に目の前の「異常」を認識していた。
手ぶらなのは当たり前だ。何せ、俺の身体と、脳内に直接インストールされている『設定資料』の登録情報が、完全に上書きされているのだから。
名前:ジェイ・ロン
立場:神の端末
保有能力:権能を1つと3つの特殊能力を持つ
特記事項:世界構築リソースの5倍のリソースを保有。世界が5回滅ぶ攻撃を受けない限り消滅しない。
「なんだよジェイ・ロンってぇぇぇ!!! 黒歴史の塊かよ!!!」
俺は虚空に向かって絶叫した。
それは昨晩、大学の講義の合間に「最強主人公のラノベでも書いて一攫千金狙うか」と、半ばトランス状態でメモ帳アプリに書き殴った、痛々しいほどの中二病設定そのものだった。
自分で考えている時は「世界が5回滅ばないと死なない(笑)とか最強カッケー!」と思っていたはずの文字面が、いざ自分の現実として肉体にデファイン(定義)されていると、羞恥心で全身の毛穴から変な汗が出る。当時の俺の脳髄をコードレビューしてやりたい。
ラノベに造詣が深い俺は知っている。こんな最強すぎる能力、目立ってろくなことにならない。異世界ででは、人知れず、平穏に生きるの正解なんだ。
しばらくの喧騒が去り、あたりに静寂が戻る。
木漏れ日の下、俺は地面に座り込んだまま、体感で一時間は虚無の時間を過ごした。完全に暇だ。
おまけに、緊張が解けたせいか、腹の虫がグゥと鳴った。
「まずは生存最優先プロセス(食料確保)か。……だが、泥臭いサバイバルは嫌だ。効率化したい」
目の前には、澄んだ水をたたえた川。目を凝らすと、美味そうな魚が泳いでいるのが見える。
普通の人間なら枝を削ってヤスリを作るところだろう。だが、書きなぐった設定通りならば、あの時の自分が設定した規格外の3つの特殊能力が使えるはず。(なお、阿保みたいな設定の権能も使える可能性が高いが、記憶の彼方へ遠ざけておく。)
呼吸を整え、己の能力を意識した瞬間――脳内に、見慣れた統合開発環境(IDE)のコンソール画面に酷似したインターフェースが鮮明にポップアップした。
・複数の不可視カメラオブジェクトを配置・記録する『愚者の眼』。
・高速並列処理・分析を司るエンジン『賢者の石』。
・特殊能力を持つオブジェクトを実体化する『凡者の小道具』。
「改めてみると、意図してなかったけれど『IPO(Input-Processing-Output)』システムだな。思いつきの設定がゆえに、自分の指向を無意識反映している……よし、実証実験といこう」
プログラマーとしての血が騒ぐ。ただの網を作るだけじゃ面白くない。俺は思考のコンソールを開き、複数のオブジェクトを組み合わせて、一つの『全自動魚獲りシステム』を設計し始めた。
[仕様定義:全自動魚獲りシステム]
・オブジェクトA:『凡者の小道具』により生成した、川岸に固定できる金属製のペグ(杭)。
・オブジェクトB(捕獲):強靭な繊維で編まれた破けることのない「仕掛け網」。
・オブジェクトC(制御):【条件分岐(If-Then)】を組み込んだ自動巻取り機構。
If:網のセンサーの範囲内に、特定のサイズ以上のオブジェクトが進入した。
Then:自動的に網の口を閉じ、陸地へと引き揚げる。
この能力の制限・制約は自分の設定した通りだ。初めて作るオブジェクトは入念に設計時間をかけなければ、脳に強烈なエラー負荷(苦痛)がかかる。
俺は脳内のIDE上でじっくりとコンパイルエラーを潰すように、数十分かけて各オブジェクトの依存関係を精査し、完璧な設計図を完成させた。
「よし、ビルド。インスタンス化(実体化)実行」
脳内でエンターキーを叩く。
次の瞬間、脳への負荷は一切なく、俺の手元に設計通りのハイテクな網とウインチ、そして太いペグが出現した。俺はペグを岸辺の土に深く打ち込んで網を川に設置し、座って眺める。
数分後。一匹の魚が網に近づいた瞬間、パチンと仕様通りのトリガー音が響いた。
網の口が自動でギュッと閉まり、ウインチがシュルシュルと音を立てて陸地へと自動で引き揚げてくる。
完璧に作動した自作のプログラムを見つめながら、俺はふと我に返って冷や汗を流す。
「……待てよ。世界を5回滅ぼさないと死なない男のチート能力を応用して、俺はいま、『全自動魚獲りマシーン』なんてものを作ったのか?」
国家を転覆させられる神の力を、ただの一食のために浪費している。「こんなすごい能力を、こんなしょうもないことに使っていいのだろうか?」という贅沢な疑問が頭をよぎったが、効率化と自動化こそが工学部生の本質だ。これでいい。
――と、そこまでは良かった。
引き揚げられた網に歩み寄り、俺はなんの不思議さも抱かずに、獲物を手で掴み上げようとして――動きを止めた。
「……おや? 待て、これおかしくないか?」
網の中で暴れているのは、地球のマグロ並みに巨大な怪魚だった。体積で言えば、俺の10倍は下らない。川の中で猛烈な尾鰭のストロークを繰り出し、凄まじい水しぶきを上げている。
地球の物理法則なら、網のウインチが魚の超重量と運動エネルギーでバキバキにぶっ壊れるか、地面のペグが引きちぎれていなければおかしい。なのに、罠は重量など一切気にする様子もなく、何事もなかったかのように平然と引き上げを完了していた。
さらに異常なのは、俺自身がその怪魚を掴み上げた時だ。
「……軽い。中身の詰まっていない風船か?」
俺の貧弱な細腕でも、軽々と持ち上がってしまった。
しかし、不審に思って俺が網から怪魚を地面にドロップ(手放し)した瞬間――
ズシン!!!と、周辺の空気が震えるほどの強烈な地響きが鳴り、土壌が陥没した。間違いなく、見た目通りの「超重量」がそこにはあった。
「……おい、どういうことだ? 俺が触れている間は『軽量化』されていて、手放した瞬間に『本来の重さ』に戻ったのか?」
ピコーン。
その瞬間、俺の脳内で、眠っていたはずの『Processing:賢者の石』――高速並列処理・分析エンジンが、勝手に起動した。
【環境ログの解析:警告】
【対象オブジェクトの『固有質量』に変化なし。ただし、キャラクター(ジェイ・ロン)の干渉に伴い、周囲の『魔力干渉係数』が一時的に0.0001倍へと動的変更(デバッグ書き換え)されました】
脳内に流れ込んでくる、数式の嵐。
ただのファンタジー現象じゃない。この世界のシステム(物理エンジン)は、質量そのものをいじるのではなく、魔力を媒介にして『局所的な重力や慣性の係数』をリアルタイムに書き換えることで、破綻を防いでいるんだ。
そして、世界構築の5倍のリソースを持つ俺の肉体が干渉したせいで、その係数がバグレベルで極端に書き換わってしまったらしい。
「もし、この仕様のソースコードを完全に解析できたら……?」
そう仮定した瞬間、胸の奥からプログラマーとしての、そして工学部生としての抑えきれない知的好奇心が湧き上がってきた。




