第18話:レイヤーバウンダリの不可視な壁 〜システムの境界線と無自覚なテスターたち〜
第7話と第10話に☆が付きました!!
頂いた挿絵ありのマークとなります。
口だけは傍観者のようにふるまったが、俺の性格上、やはりドキドキする場面はきつい。
「おい、ルリ。データサンプリングの限界だ、ログを閉じる。これ以上見ていると、低スペックコードのコンフリクト(泥仕合)のせいで俺の胃の耐久値(HP)が削れる」
俺──ジェイ・ロンこと黒木勉は、手元のコンソールに荒々しくコマンドを打ち込み、いくつかのBIダッシュボードの動的解析ウィンドウをパタパタと閉じてみせた。
画面の向こう、第2階層の暗がりでは、先ほどの石ランク冒険者パーティが完全にゴブリンに押し込まれている。戦士の男は盾を叩き割られ、魔法使いの少女は不発に終わる魔法のトリガーを涙目で引き続けていた。
「えー☆ ホントに閉じちゃうの? ジェイくん、口では『最高のエラーログ』とか言いつつ、手元のマウスポインタがさっきから『緊急デリートマクロ』のボタンの上を高速でウロウロしてるんだけどー☆」
瑠璃色の髪を弄りながら、ソファの隣でポップコーンを咀嚼していたルリが、ジト目で俺の顔を覗き込んできた。
「バ、馬鹿言え! テスターが全滅したら、この階層の『環境デバフが人間に与える実測データ』のログが途中で異常終了(強制シャットダウン)するだろ! データの整合性を心配しているだけだ!」
声を大にして反論する。
だが、胸の奥の心臓はさっきからドラムのようにうるさかった。
(クソ、あいつら何やってんだ……! 早く逃げろ! ほら、あと十歩後ろに下がれば、さっき降りてきたばかりの第1階層への階段があるだろうが……!)
頭の中の『賢者の石』が、彼らの生存確率をリアルタイムで逆算し、じわじわとパーセンテージを下げていく。その冷徹なカウントダウンが、俺の脳をじりじりと焦がした。
いくら「データサイエンティスト」を気取ったところで、前世はただの大学生だ。画面の向こうで血を流す人間を、完全な無関心で見殺しにできるほど、俺のプロトコルは冷酷に割り切れていない。
「あ、大剣の人が叫んだよ☆ 『撤退だ! 階段へ走れ!』って☆」
「っ……!」
ルリの言葉と同時に、画面内の戦士がボロボロの体でゴブリンの棍棒を受け止め、仲間を背にしてみるみる階段へと後退し始めた。彼らも完全にパニックになってはおらず、自分たちが降りてきたディレクトリルート(退路)の位置をギリギリで記憶していたようだ。
「へえ、判断早いじゃん☆」
「ふん……。妥当な例外処理だな」
俺は生唾を飲み込みながら、ドローンの仮想レンズを微調整し、彼らの退却ルートを凝視した。
背中を向けて逃げる人間に、ニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべたゴブリンたちが襲いかかる。その距離、わずか数メートル。
(間に合え──!)
キーボードを握る俺の指先に、じっとりと嫌な汗がにじむ。
そして──。
「うわっとっと!」
戦士の男が文字通り階段へ転がり込み、続いて仲間たちが這うようにして、第1階層へと続く階段を駆け上がっていった。
ザザッ、とドローンの集音マイクが、上層から響く彼らの「助かった……!」という安気な、泥まみれの呼吸音を拾い上げる。
「呼、吸ログの安定を確認。……チッ、タスクの異常終了(全滅)は免れたか。実につまらん」
俺はフゥ、と大きく息を吐き出し、ソファの背もたれに思い切り体重を預けた。
バックリと割れそうだった心臓の鼓動が、急速に平熱へと戻っていく。
「あはは☆ ジェイくん、今めちゃくちゃ安心した顔して『ふぅー』って言った! 言ったよね☆ 口ではツンツンしてるのに、本当は超ハラハラしてたのルリちゃんお見通しだから☆」
「言ってない! 肺の換気をしただけだ! うるさい、コーラでも飲んでろ!」
「はーい☆ じゃあ真空タンブラーのパケットおかわりねー☆」
キャッキャと笑う公式セキュリティAIを睨みつけながら、俺は赤くなった顔を誤魔化すようにコンソールへと向き直った。
まったく、自分が考えた設定(冷酷無比な孤高の大賢者ジェイ・ロン)になりきろうとするたびに、このお人好しな本性がバグのように割り込んでくる。中二病の黒歴史ノートを音読されているような気恥ずかしさに悶絶しつつ、俺はあえて真面目な顔を作って画面を指差した。
「──それより、ルリ。見ろ。アクター(人間)が去った後の、あのオブジェクト(ゴブリン)どもの挙動だ。妙だと思わないか?」
「ん? どれどれー?」
画面の向こう。
獲物をあと一歩のところで逃したゴブリンたちは、階段の一番下の段の手前で、ピタリと足を止めていた。
普通、生身の生物が食料(獲物)を追いかけているなら、多少の執念や、逃げられたことへの怒りのモーション(咆哮や足踏み)があって然るべきだ。だが、彼らの動きにはそれがない。
彼らは階段の手前で、まるで最初からそこに『透明な衝突判定(不可視の壁)』が存在しているかのように、機械的に足を止めると、何事もなかったかのように反転し、元の薄暗い通路へと patrolling(巡回)を再開したのだ。
「あれ? 追撃を諦めるの、なんかめちゃくちゃ不自然だね☆ 階段を登って上に行けばいいのに」
「ああ。ゴブリンの移動制限かと思ったが、物理的な障壁(壁オブジェクト)は存在していない。……ルリ、お前のセキュリティ権限を使って、あのゴブリンの内部構造を少し覗かせろ」
俺はルリの監視プロトコルをバックドアとして噛ませ、反転したゴブリンの『認識スレッド』を並列解析した。
流れる数式モデルとログを見つめるうち、俺の脳内の『賢者の石』が、その不可解な挙動の「答え」を弾き出した。
「……なるほどな。『登れない』んじゃない。あいつらには、最初から『上の階層(第1階層)という概念が存在していない』んだ」
「概念がないー?☆」
「ああ。このダンジョンという隔離インスタンス(バグの肥溜め)の仕様だ。第1階層と第2階層は、物理的に階段で繋がっているように見えて、システム内部では完全にシリアライズ(隔離)された独立プロセスとして動いている」
俺は仮想ホワイトボードを展開し、階層間の構造図を書き殴った。
「第2階層に自然発生したゴブリンのオブジェクトは、初期化された時点で、自分の所属するメモリ領域(第2階層)の範囲内しか探索できないよう、ポインタが制限されているんだ。つまり、あいつらにとって、あの『階段』の先は世界の外側──未定義のヌル領域(Null)なんだよ。認識すらできない空間だから、悔しがる必要も、追撃する理由もない。ただ『世界の端に突き当たったから反転した』。それだけだ」
「へー! じゃあ、同じダンジョンっていう名前だけど、階層ごとに完全に部屋が小分けにされてて、情報も遮断されてるってこと?☆」
「その通りだ。セクター隔離仕様だな。だからこそ、第1階層のネズミは第1階層の仕様(魔素密度100)でフリーズし、第2階層のゴブリンは第2階層の仕様(魔素密度120)の枠から出られない。人間だけが、その『階層』の境界線をまたいで移動できる、唯一の外部特権ノードというわけだ」
世界の裏側の、精緻で、かつ徹底的に合理化されたシステム設計。
その仕様を解き明かした事実に、俺のデバッガーとしての知的好奇心が再びパチパチと音を立てて満たされていく。
「ふむ。階層間のデータ隔離仕様はある程度把握した。さっきのパーティの行動を観察してみようか。」
俺は不敵に笑い、手元のエンターキーを静かにノックした。
完全ステルスの眼を、再び第1階層へと戻した。




