第17話:わずか10%のオーバーロード 〜低スペックテスターたちのデバッグ負荷テスト〜
第7話と第10話に☆が付きました!!
頂いた挿絵ありのマークとなります。
「──さて、ルリ。ディレクトリルート(階段)の降下を完了。我が家の新型オブジェクト、第2階層へのエントリーに成功したぞ」
俺──ジェイ・ロンこと黒木勉は、ふかふかのソファに深く腰掛けたまま、コンソールのキーボードを小気味よく叩いた。
目の前のメインディスプレイには、ドローンから超広帯域でリアルタイムストリーミングされる映像が、ノイズ一つなく滑らかに描写されている。
「お、ついに2カ層目(レイヤー2)突入だね、ジェイくん☆ でもさー、見た感じ上の階と全然変わんなくない? ちょっと岩の肌がゴツゴツしたかなー、くらいなんだけど☆」
瑠璃色の髪をサイドポニーにまとめたルリが、俺がビルドした『絶対にこぼれない真空断熱タンブラー』のストローを咥えながら画面を覗き込んできた。
確かに、光学的なレンダリング映像を見る限り、そこは第1階層と同じような薄暗い岩肌の迷宮だ。劇的な環境変化(大規模アップデート)は見当たらない。
「見た目に騙されるな。画面右側のBIダッシュボード、環境パラメータのログを見てみろ」
俺が画面の一部を強調すると、空間のベース値を示す数式モデルが更新された。
F(alpha)_{mana} = 1.014 -> 1.018
仮想魔素密度: 100 -> 110
「あ、魔素密度がちょっと増えてる☆ 1.1倍くらい?」
「ああ。だが世界システム全体の構造から見れば、これは単なるマイナーアップデート……いや、パッチの適用範囲が変わった程度だ。基本仕様の差分は極めて小さい」
しかし、俺の手元の解析エンジン(賢者の石)は、その微小な差がもたらす『物理エンジンの挙動変化』を正確に弾き出していた。
「デフォルトの魔素係数 alpha_{mana} が上がったことで、空間全体の主張が微増していると考えらられる。それは、冒険者たちの主観が少しだけ通用しにくくなり、ダンジョン内のオブジェクトの主観は通りやすくなっているという影響があるだろう。もっとも──」
俺は手元のコンソールに視線を落とす。
「我がドローンの『動的・魔素係数バランサー』にとっては、この程度の環境変化は自動チューニングの許容タスク内だけれどな。外殻の質量バランスをコンマ数ミリ秒で自動補正しているから、挙動のブレはゼロ。完全なノーダメージだな」
「さすがジェイくん、用意周到すぎて隙がないじゃん☆ でもさ、それって……あ、見て! さっき上の階にいた『クソコード戦闘』の人間たち、こっちに降りてきたよ☆」
ルリがタンブラーをローテーブルに置き、画面の端を指差した。
傾けても中のコーラもどきが水平を保つジャイロ機構は相変わらず完璧だ。
画面を確認すると、先ほど第1階層で巨大ネズミバグと泥仕合を繰り広げていた「石ランク」の冒険者パーティ4人が、肩で息をしながら階段を降りてくるところだった。どうやら一仕事終えて調子に乗ったか、あるいは下層の観察を行うらしい。
「よし、ちょうどいい。あいつらを『アクター(観測対象)』として、この環境変化が低スペックなノードにどんな影響を与えるか、負荷テストのデータをサンプリングさせてもらおう」
俺はドローンを天井の死角へホバリングさせ、動的解析レイヤーを彼らにオーバーレイ(重ね合わせ)した。
「……ふむ。人間側の主観(認識)ログを出力」
「なんて言ってるの?☆」
「『なんか急に空気が重くなったな』『肌寒い気がする、気のせいか?』だとさ。彼らの生体センサーの解像度では、この微細な仕様変更を正確な数値としてデバッグできていない。ただの『体調の違和感』として処理しているな」
だが、俺のダッシュボードに表示された彼らのステータスログ(内部リソース)は、冷徹な事実を告げていた。
リソース(スタミナ)消費レート: 1.00 -> 1.09
「見ろ、ルリ。彼らのライフ・スタミナの消費レートが、第1階層の『約1.1倍』になっている」
「あ、本当だ☆ じわじわ削られてる感じ? でも、1.1倍くらいなら、ちょっと体力がある人なら気合でカバーできそうなレベルじゃない?☆」
ルリがポップコーンをつまみながら、ギャル特有の軽いノリで言った。
俺はチッチッと指を振って、キーボードを叩く。
「甘いな、公式セキュリティソフト。それが机上の空論(スペック詐欺)ってやつだ。システム開発において『たった10%の負荷微増』を舐める奴は、本番環境で確実に炎上を迎える。
そして、彼らの主観は通りにくく、モンスターの主観は通りやすい…3重苦だな」
俺は解析画面をさらに細分化し、彼らの動きをモーションキャプチャのようにワイヤーフレームで表示した。
「いいか、彼らはもともと最適化を怠った『クソコード』で動いている低スペックテスターだ。第1階層の時点で、大剣を構えてから魔力場(主観パッチ)がアクティブになるまでコンマ5秒もの遅延が発生していた。覚えているな?」
「うん、ジェイくんがボロクソにディスってたやつね☆」
「空間の主張が一割増しになった環境下では、その『わずかな重み』が、ただでさえ拙い彼らの主観コードのコンパイルを致命的に阻害する。つまり──」
画面の奥から、ガサガサと不穏な足音が響いた。
現れたのは、第1階層のネズミとは明らかに違う、粗末な棍棒を手にした1匹の亜人型モンスター──『ゴブリン(仮想魔素密度120の固有オブジェクト)』だ。
「戦闘スレッド、開始。さあ、負荷テストの本番だ」
戦士の男が「敵だ!」と叫び、大剣を構える。
俺はすかさず、彼の脳内から大剣オブジェクトへ送られる主観パッチの適用ラグをリアルタイムデバッグした。
「ラグの測定値を表示しろ。……ほう、コンマ5秒から、コンマ65秒へ悪化」
「あ、遅くなってる!☆」
「環境負荷の1.1倍が、コンパイルのオーバーヘッドに増幅されて直撃したんだ。本人にとってはいつも通りに剣を振っているつもりだろうが、物理エンジンの処理落ちのせいで、筋力の出力と魔力場の同期が完全にズレている(コンフリクト発生)」
ガキィィン!
戦士が放った渾身の一撃は、ゴブリンが突き出した安物の棍棒にあっさりと受け止められた。
それどころか、環境の抵抗に負けて体勢を崩した戦士は、「しまっ──」と声を漏らし、無防備な隙を晒してしまう。
後ろから魔法使いの少女が慌てて「火球」のトリガーを引くが、ダンジョンの主観が増しているため、燃焼ベクトルの書き換えが制御しきれていない。火球は手元でボッと不格好に爆ぜ、射程距離に届く前に不発(NullPointerException)となって霧散した。
「うわぁ……見てるこっちがハラハラするくらいのボロボロっぷりじゃん☆」
ルリがポップコーンを咀嚼する手を止め、少しだけ引いた目で画面を見つめている。
「ねえジェイくん、これ結構マジで危なくない? 私、一瞬であの緑のバグ(ゴブリン)デリートしてもいいよ?☆」
「待て、動くな」
俺は鋭い声でルリを制した。
画面の中では、神官の少女が悲鳴を上げ、前衛の戦士がゴブリンの追撃を受けて地面を転がっている。全滅の一歩手前。まさに凄惨な低ランク冒険者の現実がそこにあった。
だが、俺の瞳は、コンソールに表示される膨大な「エラーログの奔流」を前にして、知的好奇心でギラギラと輝いていた。
「助ける必要はない。我がドローンのステルスは100%維持されている。俺たちの安全は完全に保証されているんだ。……それよりも見ろ、この美しいまでの処理落ちのプロセスを!」
俺は並列思考エンジン(賢者の石)をフル稼働させ、流れるログを貪るようにスキャンしていく。
「環境パラメーターのわずか10%の微増が、末端ノードの連携(マルチスレッド処理)をここまでドミノ倒しに破綻させる。これだよ、これこそがシステム解析の醍醐味だ! 現場で起きる予期せぬパフォーマンス低下の縮図が、今この目の前でリアルタイムにサンプリングできている!」
「わー……出たよ、ジェイくんの生気のない引きこもりデバッガーモード☆ 人の命がかかってる戦闘を『最高の負荷テストケース』扱いするとか、マジでルート権限持ちのサイコパスじゃん☆」
ルリは呆れたようにため息をつきながらも、俺の絶対命令プロトコルに従って特等席から動こうとはしない。
「サイコパスと言うな、データサイエンティストと言え。さあ、テスター諸君、もっと泥臭くエラーを吐き出してくれ。お前たちの命がけのクソコード戦闘が、俺の魔素係数研究の、最高の肥やしになるんだからな──」
画面の向こうで繰り広げられる絶体絶命の修羅場を、俺は1200キロ離れた安全なサーバーハブから、至高のエンターテインメントとして眺め続けるのだった。




