第15話:完全在宅リモート・ダンジョン探索に向けた、自律探査オブジェクトの要件定義
「ジェイくん、この街のダッシュボード、見てる分には面白いけどさー。数字ばっかりでちょっと飽きてきたかも☆ ほら、もっとこう、ドカンとエラーが起きたりしないわけ?それに、いつになったらダンジョン観察に行くのよ☆」
瑠璃色の髪を揺らしながら、ルリが宙に浮かぶ柔らかい球体の上でゴロゴロと寝返りを打った。
その手には、俺が以前『凡者の小道具』で作成したシンプルな木のボウルが握られており、中にはたっぷりの黒い炭酸水が入っている。彼女げ霊鳥の時から使っているお気に入りの一品ではあるが、彼女が動くたびに、表面張力の限界に挑むかのように黒い液体がチャプチャプと揺れた。
「おい、ルリ。我が家に炭酸をこぼされても困るしな。ちょっと貸せ」
俺──ジェイ・ロンこと黒木勉は、ため息をつきながらコンソールから手を離した。
『凡者の小道具』のオブジェクト指向モジュールを展開し、新たなクラスをサクッと定義する。魔素係数を弄って熱伝導率を極小化に設定し、さらに慣性制御のプロパティを付与した『絶対にこぼれない真空断熱タンブラー』をビルドして、木製のボールから中身を移し替える。
「ほら、これなら球体の上でどれだけ暴れても、中のパケット(液体)は漏れない」
「うわっ、何これ! ずっと冷たいままだし、傾けても中身が水平保ってる! ジェイくんマジ便利ー☆ さすがルート権限持ちのエンジニア、QOL爆上がりじゃん☆」
キャッキャと喜んでストローを吸い始める公式セキュリティ聖獣を横目に、俺は再び目の前のBIダッシュボードへと視線を戻した。
画面上では、1200キロ先にある人間の大都市と、その近隣にある「ダンジョン」との間で、無数の多次元ベクトルが正のフィードバックループを描いている。
街の人間たちがダンジョンのバグ(魔素)を資源として刈り取り、消費し、その経済活動の果てにダンジョンの魔素深度が低レベル(仮想魔素密度100)で安定する。この泥臭くも強固な相互依存の外観データは、すでに十分にサンプリングできた。
「街のマクロな定常状態の監視は、バックグラウンド処理に回していいだろう。次なるタスクは、いよいよダンジョンンの『分析』だ」
「分析?」
「ああ。あの街のエネルギーの供給源であり、レベル100で安定している低レベルダンジョン。あの中身のディープ・サンプリング(実地調査)を実行する」
俺はコンソールを叩き、ターゲットの座標を「街」から「隣接するダンジョン」へと切り替えた。
ダンジョンとは、世界システム(サーバー)のメモリリークや未処理の例外エラーが押し込められた隔離インスタンスだ。一般市民の「そんなわけない」という常識が届かないバグの肥溜めである。
「現在デプロイしている通常のスパイダーロボ(自律探査ドローン)と同機能でそのままダンジョンに放り込むのは下策だ。あの中は物理定数がバグの主観によって歪んでいる。中途半端なオブジェクトを投入すれば、環境とコンフリクト(競合)を起こして破損するか、最悪の場合、こちらの観測行動がバグを刺激してしまう」
俺は頭の中の『賢者の石』の並列思考エンジンをフル回転させ、ダンジョンの浅層探索に特化した新たな探査オブジェクトの【要件定義】を開始した。
「いいか、ルリ。隔離インスタンスを調査するための要件は、大きく分けて二つある」
「ふむふむ? 聞いてあげるよ☆」
俺は空中に仮想のホワイトボード(テキストエディタ)を展開し、項目を箇条書きにしていく。
要件①:ステルス性能(認知のNull化)
「第一に、徹底した秘匿性だ。ダンジョン内のバグ(モンスター)は、『俺は強い』という主観の出力で魔力場を作る。つまり、相手に観測(認知)されなければ、物理ルールの競合自体が発生しない。」
地球の量子力学における観測問題と同じだ。見られなければ、それは存在しないのと同じ。愚者の眼はもともと不可視で実体がないが凡者の小道具は実体を持っている。
「単なる光学迷彩(透明化)じゃダメだ。稼働音、熱源、そして何より『魔素の放出量』を極限までゼロに偽装する『Nullパケット偽装モジュール』を組み込む。これで、バグの視覚、聴覚、魔力感知のすべてに対してエラー(該当なし)を返す完全なゴーストになる」
要件②:動的・魔素係数バランサー(環境適応)
「第二に、環境負荷への適応だ。ダンジョンは階層(深度)によって魔素の濃度が劇的に変わる。俺の権能は魔素の影響を受けないが、俺が物理的な素材(鉄やガラス)を使って実体化させたドローンの『外殻』は、そのままでは高密度の魔素圧で潰される可能性がある」
これを防ぐためには、地球の潜水艦が水圧に耐えるような機構が必要だ。
「環境の魔素係数 $\alpha_{mana}$ の変動をリアルタイムで検知し、自身の仮想質量と外殻の硬度を自動でチューニングするサスペンション機構(動的バランサー)を実装する。これで物理的な圧壊は防げる」
「……ねえ、ジェイくん」
ホワイトボードの要件定義リストを眺めていたルリが、コーラを飲みながら首を傾げた。
「なんかさー、ちまちま隠れたり調整したり、面倒くさくない? ジェイくんの能力って、世界システムからの干渉を完全に弾く特権クラス(ルート権限)じゃん。通信の遮断も効かないし。だったら、全部のバグを薙ぎ払いながら進む、ゴリゴリの装甲と超火力を持った『絶対無敵の戦車ロボ』みたいなのを作って、正面から突っ込ませれば一発解決じゃないの?☆」
ルリの提案は、いかにも力こそパワーな物理デバッガー(冒険者)の発想だった。
俺はチッチッと人差し指を振って、彼女の浅はかな考えを否定する。
「馬鹿言え。だからお前は公式の脳筋セキュリティソフトなんだよ。いいか、俺の目的は『世界がどう動いているか』のデータを集めることだ。観測者が環境に暴力的な干渉をして数値を乱したら、正しいサンプリングデータが取れないだろうが」
ダンジョンの生態系に戦車を放り込むなど、ビオトープにブルドーザーを突っ込ませるようなものだ。
「あくまで人知れず、生態系に一切の影響を与えずに、環境のログだけを静かに吸い上げる。観測者の存在を完全に消し去る(オブザーバー効果の排除)ことこそが、一流のデータサイエンティストであり、ひいては最強の引きこもりデバッガーの流儀だ」
「あーはいはい。要するに『家から一歩も出ずに、安全にゲームの実況プレイ(観測)が見たい』ってことね☆ 言い訳が長くてIT用語まみれなのがジェイくんらしいわー☆」
痛いところを突かれたが、俺は軽く咳払いをしてコンソールに向き直った。
ルリの言う通り、俺は安全圏から出たくないだけだ。だが、この圧倒的な全能感と安全を両立させるプログラミングこそが、至高のエンターテインメントなのだ。
「……さて、要件定義は完了した。これより『AutonomousProbeDrone(自律探査ドローン)』の派生クラス、ダンジョン潜行特化型モジュールのビルド(実装)フェーズに移行する」
俺は『賢者の石』の並列処理を全開にし、新たな設計図のコンパイルを実行した。未知のバグ領域の深淵を覗き見るための、完璧な眼を創り出すために。




