第14話:他人のクソコードより自分の防衛、あと広域ベクトルの可視化
「よし、これでコンパイル完了。自拠点のセキュリティレベルを『過剰防衛』から『過剰殲滅』へとデプロイ(配置)する」
俺──ジェイ・ロンこと黒木勉は、自宅のフローリングにどっかりと腰掛けながら、目の前のコンソールに最後のエントリキーを叩き込んだ。
画面に走る『凡者の小道具』のオブジェクト指向モジュールが、次々とグリーンのチェックマークを吐き出していく。
我が家の周囲10キロのセグメントに構築されたのは、十重に多重化されたローカルファイアウォール。そして、未認証の動的パッチ(野良モンスター)が侵入した瞬間に、魔素係数 $\alpha_{mana}$ を強制的に「ゼロ」へとロックし、仮想質量を完全剥奪して慣性法則だけで自壊させる自動迎撃迎撃モジュール(Output)だ。
「ジェイくん、テスト用のダッシュバグパケット投げるよー☆ はい、それ☆」
柔らかい球体の上で、瑠璃色の髪を弄びながらコーラを飲んでいたルリが、指先から真っ黒な魔素の塊をポップさせた。
それが我が家の敷地境界線をまたいだ瞬間──パシィン、と乾いたエラー音が鳴り、霧のように霧散する。
「うわ、エグ☆ 質量計算を根本からヌル(空っぽ)にされて、自分の移動速度の慣性だけでセルフクラッシュしたねー。相変わらずジェイくんのルート権限、容赦なさすぎて引くわー☆」
「何度も言うが、セキュリティにやりすぎはないんだよ。これで我が家のローカル環境の安全はパッチワークなしの鉄壁だ」
俺はふんぞり返り、安全な我が家で淹れたハーブティーを一口啜った。
「でさー、自分の家の防衛は完璧だけどさ、あの1200キロ先の人間の街、本当に放っておくのー?☆ 城壁に弱い部分があるんでしょ☆」
ルリがストローをズズズと鳴らしながら、上目遣いで尋ねてくる。
「他人のシステムの保守を無償でやる義理はない。そもそも稼働中の本番環境を外部から勝手にリファクタリング(最適化)するなんてクラッキングそのものだ。もしサイドエフェクト(副作用)で街の依存関係が崩壊したら、誰が責任を取るんだ? 俺はボランティアのシステムエンジニアじゃない」
俺はコンソールを叩き、城壁の警告アラートを非表示にした。
「街がシステムダウンして生のバグパケット(全盛期ステータスのモンスター)が居住区にダイレクトアクセスしようが、1200キロも離れた我が家には1ビットの影響もない。そんなことよりルリ、タスクのプライオリティを切り替えるぞ。これより、観測タスクを『広域情報収集』へと完全シフトする」
「情報収集ー? 街を助けないのに、ストーキングは続けるんだ☆」
「ストーキング言うな。データサイエンスだ。街と、あの『魔素密度100』の低レベルダンジョンとの間で行き来している、人と資源の通信データ(トラフィック)。これの定常状態をより深く、マルチアングルで吸い上げる」
俺は『賢者の石』の並列思考エンジンを回し、『愚者の眼(Input)』の広域索敵アルゴリズムを再コンパイルした。
1200キロ先の大都市、およびそれに隣接する巨大ダンジョンの境界線へ、数十の仮想レンズを再デプロイする。
送られてくるのは、膨大な非構造化データの濁流だ。
冒険者の移動ログ、市場で取引される魔素結晶の流通量、一般市民の日常のルーティン、ダンジョンの排気弁から噴き出す魔素の流動──それらの有象無象のテキストログを、俺はすべて方向性と強度を持つ『多次元ベクトル』として再定義していった。
「この多次元ベクトル群を、動的データとして構造化しよう。」
『賢者の石』の稼働負荷が上がって、構造化が行われる。
「インターフェースは……そうだな、BIダッシュボード風にレンダリング(描画)するのが良いか」
コンソール画面が、一瞬で書き換わる。
暗闇だった空間に、突如として鮮やかな光の数式モデルが浮かび上がった。
「うわぁ……何これ! めっちゃカラフルな矢印がびゅんびゅん飛んでる! 意識高めのIT企業のオフィスにある、怪しいグラフの画面みたい☆」
ルリが驚いて木のボールに入っているコーラをこぼしそうになりながら、身を乗り出してきた。
(うん、ジュースは木のボールじゃない方が良いな。)
俺の目の前に展開されたのは、街とダンジョンを循環する世界の縮図──【BIダッシュボード】だ。
冒険者たちがダンジョンへ侵入するベクトルは青い矢印、ダンジョンから街へと運び出される素材のエネルギーベクトルは緑の矢印、そして、街の一般市民たちのコンセンサスアルゴリズム(常識の圧力)が外側へ向かって放つ防衛のプレッシャーベクトルは、巨大なグラデーションの層としてリアルタイムに熱マップ(ヒートマップ)化されている。
さらに折れ線グラフで、変動水位や移動平均も表示させる。
「美しいな……」
俺は思わず、その多次元ベクトルの流動場に見惚れていた。
「見ろ、ルリ。人間がダンジョンに入ってバグ(モンスター)を間引く圧力と、ダンジョンから得た魔素を道具に吸着させて消費する経済活動のベクトルが、完全に綺麗な『正のフィードバックループ』を描いている。このBIデータを見る限り、人間はダンジョンを攻略しているんじゃない。システムの一部として組み込まれ、共生(依存)させられているんだ」
「なるほどー☆ 数字で見せられると、確かにこの街、ダンジョンっていう巨大な外付けハードディスクがないと社会の電力が保たないレベルで依存しきってるねー☆」
「ああ。いびつな関係でも、スムーズに順調に動いているエコシステムを眺めるのは気持ちいいな。」
俺は冷徹に、しかしプログラマーとしての隠しきれない知的好奇心に瞳を輝かせながら、BIダッシュボードのログストリーミングを最適化した。
街の人間たちが泥臭く命をベットして回しているクソゲーの仕様(経済活動)を、安全なサーバーハブから高みの見物でハッキングし、分析する。
これこそが、俺が望んでいた「人知れずこっそり暮らす」ための、そしてこの世界の物理エンジンを解き明かすための、最高のリモートワーク環境だ。
「よし、データのサンプリング準備は順調だ。しばらくの間は、これらのベクトルデータの変化をローカルストレージに記録するぞ」
「はーい☆ 街の人が頑張って生活している様子を、特等席からビッグデータの収集だね☆ ジェイくん、本当に性格がエンジニアしてて最高にチャラいよー☆」
ルリの軽い拍手を聞き流しながら、俺はBI画面の輝度を調整し、世界の流動を掌の上で把握した全能感に浸りつつ、次の静的解析コードを静かに書き進めるのだった。




