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第16話 ③

 老人たちに手持ちの保存食を少しばかり分け与え、莉子たちは宿場町のさらに北、魔族領との境界へと続く街道を歩いていた。


 灰色の雲から、ちらほらと粉雪が舞い始めている。

 凍てつく風が容赦なく体温を奪っていく中、莉子の足取りは、無意識のうちに先程よりもずっと早くなっていた。


(陽菜が、人を助けた……)


 吐く白息と共に、莉子の脳裏で先ほどの老人の言葉が何度も反芻されていた。

 ゼノア鉱山での奴隷解放。見ず知らずの半魔の少年のための旅。


 それは、浄夜祭の晩にリリーを去っていった彼女の弱々しい姿とは似ても似つかない変化だった。


 莉子の記憶の中にある陽菜は、いつも周りを明るくする雰囲気を持ちながらも、人一倍繊細な心を持った女の子。

 あの夜だって、魔族としての自分と前世の自分の在り方に悩み、そして莉子を傷つけまいという——莉子からすれば独りよがりな理由で姿を消したのだ。

 

 けれど、老人の口から語られた少女は違った。

 彼女はもう、迷うばかりの存在ではなくなっていた。


 あの巨大な力を使って、理不尽に苦しむ人々を解放し、親を失った小さな子どものために、自ら危険な死地へと足を踏み入れている。


 莉子のいない場所で、陽菜は自分の足で立ち、自分の意志で誰かを守る存在へと変わっていたのだ。


(……すごいよ、陽菜)


 前を向いて歩き出している親友の姿を想像し、莉子の胸の奥に、確かな安堵と喜びが広がった。

 絶望の底に沈んだままではなく、陽菜の根底にある優しさが失われずに残っていたことが、何よりも嬉しかった。


 だが——それと同じくらい、莉子の心には言いようのない空虚な影が落ちていくのを、どうしても止めることができなかった。


 今の莉子は、陽菜にとって本当に必要な存在なのだろうか。

 彼女に追いついたとして、あの子の隣に立つ資格があるのだろうか。


 答えの出ない感情が胸の中で渦を巻き、莉子は唇を強く噛み締めた。


(……ル・シエン)


 老人が口にした、北の地の名前。ここより北ということは、間違いなく魔族の統べる領域に違いない。

 いくら陽菜が強い力を持っているとはいえ、正面から乗り込んで無事で済むだろうか。


 そんなことを考えると、むしろ怒りすらも湧いてくるようだった。


(こっちがウジウジ悩んでるってのに、あんたは人助けって……! まったく陽菜は、昔から自分のことを後回しにしすぎる……っ)


 誰かの痛みに寄り添える優しい子だからこそ、他人のために自分の限界を超えて無茶をしてしまう。

 強大な力を持ったからといって、陽菜の心が鋼鉄に変わったわけではないのだ。今もきっと、その心に無理を強いて、誰かのためにボロボロになりながら戦っているのかもしれない。


 そう想像した瞬間、莉子の背筋を悪寒が駆け抜けた。

 感傷に浸っている場合ではない。寂しさなど、後回しでいい。


「……急ごう」


 莉子の口から、無意識のうちに切羽詰まった声が漏れていた。


「えっ、莉子さん?」

「ごめん、もう少しだけペース上げてもいいかな。……嫌な予感がするの」


 驚いて振り返るミーシャやルミィたちにそう告げると、莉子は足元の雪を強く踏みしめた。

 会いたい。早く、陽菜に会わなければ。

 自分が隣に立つ理由など、今はどうでもよかった。ただ、陽菜が取り返しのつかない傷を負ってしまう前に、絶対に追いつかなければならない。


 吹き付ける北風の冷たさも忘れたように、莉子の瞳は、雪雲の向こうにある魔族領の空だけを鋭く見据えていた。

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