第16話 ①
北へ向かう道のりは、進むごとに冬の厳しさを増していった。
空は常に重苦しい鉛色に沈み、時折吹き付ける風は肌を切り裂くように冷たい。足元の土は固く凍てつき、枯れ木ばかりが目立つ風景は、この先に待つ魔族領の過酷さを無言で物語っているようだった。
そんな荒涼とした道を歩き続け、莉子たち四人はようやく一つの集落に辿り着いた。
魔族領との国境の手前にある、最前線の宿場町。かつては商人や旅人で賑わった時期もあったのだろうが、今は見る影もない。建物の木材は黒ずんで朽ちかけ、すれ違う人々の顔には一様に深い疲労と警戒心が刻み込まれている。
町全体を覆うのは、行き場を失った傭兵や流れ者たちが放つ、ひどく荒んだ空気だった。
莉子はマフラーに顔をうずめながら、周囲を静かに見回した。
前を歩くミーシャは、周囲を警戒しつつも迷いのない足取りを進めている。その後ろでは、ルミィとヴィエラが寒さを凌ぐように身を寄せ合いながら歩いていた。昨夜の出来事があってから、ヴィエラの態度は少しだけ柔らかくなり、二人の距離は明らかに縮まっていた。
その変化は莉子にとっても喜ばしいものだったが、国境が近づくにつれ、自身の胸の奥にある焦燥感はどうしても拭いきれずにいた。
手元の羅針盤をちらりと確認すると、その針は相変わらず北を指している。
こんな果ての村までやってきてもまだ辿り着かない。
そんなことがあるのだろうか。もしかして、そもそもこの羅針盤が壊れている?
それとも、本当のこの向こう、つまり魔族領に入ってしまっている……?
とりとめのない思考がぐるぐると莉子の中に渦巻き、それを振り払うように莉子の足は自ずと早くなっていった。
宿場町の中心部に差し掛かった時だった。
重苦しい静寂を切り裂くように、下品な怒声が響き渡った。
「身分証も持ってねえ泥棒野郎が、偉そうに口答えしてんじゃねえぞ!」
莉子が足を止め、声のした路地裏へ視線を向ける。
そこには、薄汚れた革鎧を着込んだ三人の男たちがいた。手入れの行き届いていない無精髭や、酒焼けした赤い顔。見るからに質の悪い傭兵崩れの男たちだ。
彼らが囲んでいるのは、驚くべきことに年齢も種族もバラバラな一行だった。人間に獣人にエルフ……彼らはみな一様に痩せこけてぼろい衣服に身を包んではいるものの、それでいて爛々と輝く目にはどことなく逞しささえ感じる。
しかし目の前に相対するごろつきに、一行のリーダー格らしき白髪の老人が、ぬかるんだ冷たい泥の上に突き飛ばされていた。
「北から流れてきた難民か何か知らねえがな、ここを通るには通行税が要るんだよ」
「我々はそんな金は持ち合わせていない……どうか、見逃してくだされ……」
泥だらけの手を合わせ、必死に乞う老人。その背後では、同じようにやつれた男女が頭を下げている。
彼らの姿は、どう見ても金目のものを持っているようには見えない。
それはただ、弱い者いじめを楽しんでいるだけであることが傍目にもよく分かった。
「何もねえなら、その命で払ってもらうしかねえな」
傭兵の一人が歪んだ笑みを浮かべ、泥に這いつくばる老人の腹部に向かって、容赦なく厚底のブーツを振り上げた。
周囲を通りかかる町の人々は、見て見ぬふりをして足早に通り過ぎていく。誰も、彼らを助けようとはしない。
ブーツが老人の身体に沈み込もうとした、その瞬間——疾風のような速さで、一つの影が両者の間に割って入った。
鈍い衝突音が路地裏に響く。
男のブーツを受け止めたのは、鞘に収まったままの細剣だった。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開く傭兵の足へ、ミーシャが静かに、しかし確かな力で剣を押し返す。バランスを崩した男が、無様な声を上げて泥の中へと尻餅をついた。
「弱い者いじめは、感心しませんね」
普段の温和な声色に微かな怒りの熱を滲ませて、ミーシャが凛とした立ち姿で男たちを見据える。
「てめえ、何者だ!」
仲間が転がされたことに逆上した残りの二人が、腰の剣に手をかけた。だが、彼らが刃を抜くよりも早く、ミーシャの背後から滑り出た莉子がその懐へと踏み込んでいた。
一切の無駄を省いた、しなやかな身のこなし。莉子の放った鋭い手刀が、男の一人の鳩尾に正確に沈み込む。
「が、はっ……」
声にならない呻きを漏らし、男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
たった数秒の出来事。それだけで二人の底知れない実力差を瞬時に悟ったのか、残された傭兵たちは尻餅をついた仲間を引きずり起こすと、捨て台詞を吐く余裕すらなく、蜘蛛の子を散らすように路地の奥へと逃げ去っていった。




