第15話 ⑧
湯口から溢れる湯の音が、静まり返った石造りの浴場に柔らかく反響している。
過去を語り終えたヴィエラは、少しだけバツが悪そうに視線を逸らし、お湯の中に口元まで沈んだ。
「……なんで私、あんたなんかにこんな話をしてるのかしらね」
それがかつてのような鋭い棘のある拒絶ではなく、単なる照れ隠しであることはすぐに分かった。
ルミィは、自分の胸の奥にすとんと落ちてきた不思議な安堵感に、ふふっ、と小さく笑い声を漏らす。
「……本当に、ヴィエラさんは口を開けば『魔王様、魔王様』なんですね」
「は?」
「せっかくの重たい身の上話だったのに、いつの間にかただの惚気話になっちゃってますよ。どれだけ魔王様のこと好きなんですか」
冗談めかしてからかうように言うと、ヴィエラは湯気越しでも分かるくらいに目を丸くし、頬まで赤く染めた。
「う、うるさいわね! 別に惚気たわけじゃないわよ、ただあの方がどれほど苦労されてたのかを語らなきゃって思って……っ!」
「はいはい、分かりましたから。お湯を跳ね返さないでください」
ばしゃばしゃと湯を波立てて誤魔化そうとするヴィエラに、ルミィはくすくすと笑みをこぼす。
ひとしきり湯を跳ね返した後、ヴィエラは再びふいっとそっぽを向いたが、その横顔からは先程までの虚ろな表情はすっかり消え去っていた。
「……こんなことを言ったら嫌がるかもしれません。でも、私、貴方の気持ちがちょっと分かるんです」
ルミィは揺れる水面に視線を落とし、ぽつりと告げた。
「私の両親も、魔族に殺されましたから」
「……え?」
「私がまだ、ずっと小さかった頃に。ほら、以前陽菜さんにお使いを頼まれたことがあったでしょう。ヴィエラさんが私のペンダントを触ったとき」
「あぁ、あったわね。あんた凄い剣幕で怒ってた」
今度は打って変わって意地悪な顔でルミィを見つめてくる。
「そ、それはっ……今は、少し反省してますってば……。でも、それくらい大事な——あれは、両親の形見なんですよ」
両親の形見、という言葉にヴィエラは目を伏せた。
普段は冷たい態度の彼女だが、今までの話を聞けば、その心の内がどれだけ優しいものなのかくらいルミィにだって分かっていた。
そしてようやくルミィの中で合点のいくことがひとつあった。
以前ヴィエラと喧嘩をした日の翌日。彼女のポケットから落ちた手帳に挟まれていた栞が脳裏に浮かぶ。
「あの押し花の栞、もしかしてあのお花は……?」
「……そう、あの日、お母さんに見せた花よ。と言っても谷に突き落とされるときに落としちゃったから、別のところで手折ったものなのだけど」
綺麗な青紫の——そう、あれはリンドウの花だった。
あの時は彼女のイメージとはあまり合わないように感じられたが、今ならあの年季の入った栞に込められた思いが感じ取れるような気がした。
魔族に親を奪われた人間の少女と、人間にすべてを焼かれた魔族の少女。
互いの種族が互いの大切なものを理不尽に奪い合った。本来であれば、憎しみ合い、殺し合ってもおかしくない関係だ。現に、この世界はそうやって血の連鎖を繰り返してきた。
「今でも、人間という種族を許せるわけじゃないわ」
ヴィエラが、静かな声で言った。
背中に刻まれた火傷の痕が消えないように、彼女の中にある人間への憎しみも完全に消え去ることはないのだろう。
それでも、ヴィエラは湯気の向こうから、ルミィの顔をちらりと見つめ返した。
「……でも、少しだけ。本当に少しだけだけど……変わってきた気もするわ。あんたたちと過ごしてきて」
「ヴィエラさん……」
「勘違いしないでよね。魔王様のために仕方なく付き合ってあげてるだけなんだから」
再びぷいっとそっぽを向いてしまったヴィエラに、ルミィは満面の笑みを浮かべた。
そして、お湯の中でそっと手を伸ばし、ヴィエラの華奢な手に自分の手を重ねる。
びくりと肩を揺らしたヴィエラだったが、振り払うことはしなかった。
「ねえ、後であの栞、もう一度見せてくださいよ」
「……あんたのペンダント、触らせてくれたら考えてあげる」
「えー、どうしよっかなぁー。ふふっ」
「何よ。じゃあ見せてあげなーい」
頬を膨らませるヴィエラが可愛くて、ルミィはますます笑ってしまう。
それに釣られたのか、結局ヴィエラも最後は小さく笑ってくれた。
種族も過去の因縁も関係ない。
ただ、同じように傷を抱え、同じように大切な人を想う等身大の少女同士。二人の距離が、また一つ確かに縮まった夜だった。




