第14話 ②
先ほどまで俯瞰していた地獄の底へ、今度は自分たちが商品として引きずり降ろされていく。
灰色の雪と汚泥が混じり合うぬかるんだ通りは、間近で歩くと、丘の上から見ていた何倍も悍ましい悪臭と熱気に満ちていた。
道端でうずくまるやせ細った奴隷たち。それを蹴り飛ばしながら歩く武装した兵士。鉄格子の中から向けられる、光を失った虚ろな瞳。
すれ違う者たちの誰もが、拘束されて歩かされる陽菜とアルトに値踏みするような無機質な目を向けてくる。
「歩け。モタモタするな」
背後から荒々しく背中を押され、陽菜はぬかるみに足を取られそうになりながらも踏みとどまった。
後ろ手に縛られているため、バランスを崩せば顔から泥水に突っ込むことになる。何より、隣を歩かされているアルトを不安にさせまいと、陽菜は必死に毅然とした態度を保とうとしていた。
やがて二人は、広場の中心にあるひと際大きなテントの前へと引き立てられた。
そこは先ほど陽菜が丘の上から見ていた、奴隷の振り分けが行われていた場所の片隅にあった。
「おい、監督官。丘の上に鼠が紛れ込んでたぜ。こっちの女は魔力持ち、そっちのガキは珍しい半魔だ」
襲撃者の男が声をかけると、皮張りの椅子にふんぞり返る肥え太った男が、面倒くさそうに立ち上がった。
男は陽菜とアルトの前に立つと、品定めをするようにねっとりとした視線を這わせる。
「ほう。なるほど、確かに悪くない面構えだ」
監督官の男はそう呟くと、不意に陽菜の顎を分厚い手で乱暴に掴み、上を向かせた。
「っ……!」
「睨むなよ、魔族風情が。どれ……ふむ、首の枷越しでもこれだけ魔力の反発を感じるとはな。身体も女にしては頑丈そうだ。これなら坑道の最前線に放り込んでも、ひと月……いや、ふた月は持つだろう」
まるで家畜の肉付きや骨格を確認するかのように、顎や肩の関節を無遠慮に触れられる。
陽菜は屈辱に唇を噛み締めるが、今の状況では抵抗のしようもない。
下手に歯向かえば、共に連行されているアルトの身に何をされるか分かったものではない。
「放してっ! お姉さんに触るな!」
それにも関わらず、守ろうとしている当の本人が、陽菜を庇おうと監督官に向かって体当たりをしようとした。
だが、襲撃者の男にあっさりと蹴り飛ばされ、アルトは地面に転がった。
「アルトくんっ!」
「威勢のいいガキだ。おい、お前ら、そいつは丁寧に扱えよ。半魔は好事家連中に高く売れるからな。ほら、こっちに寄越せ」
監督官は泥だらけになったアルトを目の前に連れてこさせると、彼の髪を無造作に掴んで引き起こした。
そして無理やりその口をこじ開け、歯並びや口内の状態を確認し始めた。
「よし、病気は持っていなそうだな。角の形もいい。これは次の魔族領への引き渡しの馬車に乗せるぞ」
淡々と事務的に下される、命の使い道。
自身がいくら侮蔑されようと、使い捨ての駒として坑道へ送られようと構わない。
だが、アルトは別だ。こんなに小さな子どもを平然とモノ扱いして、高価な商品として売り飛ばそうなどと——そんな下卑た笑い声を上げる連中が許せなかった。
「検品は終わりだ。こいつらも、とりあえず他の連中と同じ西の牢へ放り込んでおけ」
監督官が顎でしゃくると、屈強な男たちが再び陽菜とアルトの腕を掴んだ。
広場の隅に建つ、窓一つない巨大な石造りの収容所。その重苦しい鉄扉の奥へと、二人は無情にも引きずり込まれていった。
◇
鼓膜を打つ重鈍な鉄の音と共に、牢の扉が閉ざされた。
扉には何重もの鎖が巻き付けられ、脱出を防ぐための南京錠が掛けられる。
陽菜とアルトを連行した男たちが立ち去ると、周囲は静寂と暗闇に包み込まれた。
窓一つない石造りの牢獄。
僅かに差し込む通路の松明の光が、鉄格子越しに冷たい縞模様を石の床に落としているだけだ。ひんやりとした空気には、長い間染み付いた排泄物の饐えた臭いと、血と汗、そして病の匂いが濃密に混じり合っていた。
暗がりに目が慣れてくると、壁際にうずくまる幾つもの影が浮かび上がり、この収容施設がかなりの規模であることが窺えた。
人間、獣人、あるいは別の種族。十数人はいるであろう先客たちは、陽菜とアルトが放り込まれても誰一人として口を開こうとはしない。
ただ、ボロ布を被ったまま恐怖と寒さに小刻みに震え、希望などとうの昔に失ってしまった虚ろな瞳だけが、暗闇の中で微かに光を帯びてこちらを見つめている。
そこは言わば、死を待つだけの空間だった。
「……アルトくん、怪我はない?」
陽菜は、冷たい床の上に押し倒されたアルトに視線を向けた。
自身の首にはめられた魔力封印の枷が、その重さ以上に陽菜の心にのしかかる。体内に満ちていた魔王の力が靄がかかったかのように上手く感じ取れない。
あれだけ莉子を傷つけてしまうと忌避していた力も、使えないとなると不便に感じるのだから現金なものだ。自分の体の一部がなくなったかのような心許なさに手足が急速に冷えていく。
「うん……僕は平気。でも、これからどうなっちゃうの……?」
「大丈夫。必ずここを出る方法を見つけるから。あの見張りが交代する隙を見て、この首の枷さえどうにかできれば……」
声を潜めて手立てを相談し始めた、その時だった。
「……やめておけ。馬鹿な真似は」
奥の暗がりから、枯れ枝が擦れ合うようなしゃがれた声が響いた。
陽菜が視線を向けると、鉄格子から最も遠い壁際で膝を抱えていた年長の人間——白髪交じりの薄汚れた男が、乾いた咳をしながらゆっくりと顔を上げた。




